(3-1) 怪談話

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(3-1) 怪談話

 八月十九日 「特ダネの褒美を進呈しよう。俺のポケットマネーだ」と、全日新聞下越支局長の玉脇から二千円分のグルメカードを貰った大和理紗は、駅前のファミレスで一番豪華なランチステーキランチセットを食べていた。 「俺のポケットマネー」と玉脇は言っていたが、彼がそんな太っ腹な度量を持ち合わせているはずはない。きっとゴルフコンペの景品に違いないだろう。  上にはペコペコ、下には面倒な仕事を押し付けて、部下の手柄も自分の物……という最低な上司に巡り合ってしまった悲運を嘆きながら、理紗は肉の表面に玉脇の顔を思い出してはフォークを突き立てた。  肉の最後の一欠片をパクついて、オニオンスープの入ったカップを口に運ぶと、通路を挟んで隣りのテーブル席に座った若い女――二十歳前後だろうか――から突然、「幽霊!?」と、ヒソヒソ話の声が発せられた。  理紗は、隣りのテーブルにそっと目を向けて、様子を窺った。どんな会話でも聞き耳を立ててしまうのは、自然と身についた記者としての条件反射だった。  若いカップル二組が座っている隣りのテーブルでは、向かい合った女子二人が顔を近づけて話をしている。渋谷を意識したカラフルポップな今時ファッションな女子二名と、それぞれの隣席には、ダボついたTシャツにハーフパンツを穿いた、軽そうな風体をした彼氏が座っている。 「メグは、そういうの信じたくないんだけどさ」  濃いアイメイクで、セミロングの髪をアッシュに染めた方の女子は、「メグ」と自分のことを名前で呼んでいる。ややゆっくりめのフワッとした口調からは、インテリジェンスさは微塵も感じられない。 「いいから話してよ。そういう怪談話、カナは大好きなの」  ベージュヘアーのもう一人の女子も、自分のことを「カナ」と呼んでいる。類は友を呼ぶのか、あるいは仲良くしているうちに同じ類になっていくのだろうか。口調もファッションも似た者同士のメグとカナの会話に、理紗は知らんぷりしながら傾聴した。 「夜中になると、『うーん』だの『あー』だの、なんか悲しげな男の呻き声が聞こえるんよ、ここ最近、毎晩よ」  メグが怪談話の詳細を語り始めた。  彼氏二名は、悪寒が走ったような顔付きになっている。  一方、カナは目を大きく見開いて、 「どっから聞こえんのさ?」  と、興味津々な面持ちでメグに問い掛けた。 「うちの近くに駅前郵便局があるでしょ。で、そこの前に廃墟ビルあるよね」 「昔、一階が電器屋だったとこ?」 「ピンポン! あの建物の上の方から夜中に男の呻き声が聞えてくるんさ。近所じゃ、廃止される郵便局の歴代郵便局長の怨念じゃないか、って噂なんよ」 「まさか」  メグの隣りに座っている彼氏が、怖気を掻き消すように怪談話を否定した。 「ユースケ、私の言うことが信じらんないわけ?」 「いや、メグちゃんのことは信じるけど、幽霊の存在は信じないんで」 「ユースケ、怖いんだ」 「怖くなんかねぇーよ」 「ほんと?」 「ああ」  メグの彼氏――ユースケは、怖くないと顔を横に振りつつも、慄いている様子が顔に表れている。と突然、メグは、 「ワッ!」  と、ユースケに向かって声を発すると、不意を突かれたユースケは、ビックリして椅子から転げ落ちてしまった。  尻餅をついたユースケは、 「驚かすなよ、突然」  と立ち上がって、バツが悪そうに照れ隠しの笑いを浮かべた。 「ユースケ、ビビリマン!」  とメグが揶揄う。 「今のは突然メグが驚かすからだよ」 「メグは意気地なし男は嫌いよ」 「だから違うって」  そっぽを向いたメグに必死に弁解しようとするユースケに、カナの彼氏は、 「ユースケは、マジでビビってんだよ。俺とユースケは小学校からずっと一緒だけどさ、ほんとコイツ、お化け屋敷でも俺にしがみついてきたり、すっげぇビビリ男なんだぜ」  と突っ込みを入れた。 「コウヘイ、うるせえ! 小学生のガキの頃の話を今更すんなよ」 「じゃあ、今は幽霊も怖くなくなったのか?」 「ああ、全然平気」 「そうか、そんなら、その証拠を見せてくれよ」 「証拠?」 「肝試しだ。夜中にあのビルの屋上まで行って、呻き声の正体を掴んで来いよ」 「俺が?」  頷くコウヘイ。メグもカナも賛同の相槌を打つ。 「愛するメグちゃんが毎晩不安になってんだから、彼氏としては心霊現象の原因究明をしてあげなきゃな。ねえ、メグちゃん?」 「コウヘイ、いいこと言う! あたし、度胸ない男、嫌いだし」  困り顔をしたユースケは、何かハッと閃いたのか、 「じゃあさ、みんなで行こう」  と三人を誘った。 「え!?」  ユースケの切り返しに、三人はビビった。  勝ち誇ったようにユースケは、 「みんな意気地ないなぁ、焚きつけたのは、だーれだ? 今夜、午前〇時に廃墟ビルの前で集合な!」  と勝手に約束の時間を決めてしまう。  その一部始終を盗み聞きしていた理紗は、四人が集合する時間と場所をメモに書き留めた。  日付が変わる午前0時十分前、メグが言っていた怪奇現象――男の呻き声の正体を知りたくなった理紗は、廃墟ビルから数十メートルほど離れた路地の角から、若者たちの到着を待っていた。  五十メートルおきに立っている街灯が辺りを照らしているだけの商店街には、人も車の往来もなく、ただでさえ薄気味悪い。  理紗は、学生時代まではお化け屋敷へ入ることさえも大嫌いだった。ところが、新聞記者になった今では、全ての事象を科学的な事実に基づいて原因を究明する癖がついてしまった。  この種の怪奇現象ネタは、全国共通の三面記事にはならないが、地方紙の地域ネタとしては活字にできるかもしれない。なにしろ、重大な事件事故が少ない田舎町でのニュースは、「田植え始まる」「海開き」「すいか豊作」などの風物詩さえも見出しになり得るほどだ。  午前0時を二分ほど過ぎて、懐中電灯で足元を照らしたコウヘイが、カナと手を繋ぎながら廃墟ビルの前にやって来た。メグとユースケが到着したのは、それから十分ほど過ぎてからだった。 「遅いぞ、ユースケ。ビビったのか?」コウヘイは、マウンティングする態度でユースケを嘲弄した。 「いや、途中でメグがトイレ行きたいって言うから」ユースケは、遅刻は俺のせいじゃないと弁明した。  半べそな顔をしたメグは、「だって、マジ、やばそう。ああー、やっぱ来るんじゃなかった。カナちゃん、怖くないの?」と、メグに同意を求めるように尋ねた。  腰が引けているカナは、「あたしも怖いけど、なんかリアルお化け屋敷みたいで、彼氏とこういうことするのも夏の定番儀式みたいな」と、無理やり楽しもうとしている体で応えた。  四人の中で一番度胸がすわっている態度のコウヘイが、「よし、行くぞ」と言って、先頭を切って廃墟ビルへ足を進めた。それに従ってカナは、「待ってぇ」と、コウヘイのTシャツの後ろを引っ張るように掴んで一緒に中へ入って行く。へっぴり腰状態のユースケとメグは、重い足取りでコウヘイとカナに追随して行った。  足音の出ないラバーソウルのスニーカーを履いて、物陰から偵察していた理紗は、四人の後を追って、廃墟ビルの中へ向かった。  十階建てビルの一階部分は、家電量販店と通販との商戦に負けてしまったのであろう街の電器屋で、新品家電の代わりに、不法投棄されたブラウン管テレビやタイヤが蜘蛛の巣とともに散乱している。  二階より上はテナントとして活用されていたらしく、電器屋の脇の廊下はエレベーターホールになっている。その奥にある階段から、上階へ昇っていく四人組の足音が聞こえてくる。  理紗は、フロアに四散したガラスの破片に注意しながら、階段入口の「関係者以外立入禁止」と札が掛かったロープを乗り越えて、ゆっくりと階段を昇った。  理紗が七階に達した時、おそらくユースケの声だろうか、「この野郎!」という叫び声とともに、人が殴打された時に発するような、男の「うおっ」という鈍重な苦痛の悲鳴が上から聞こえた。  内輪喧嘩でもしたのだろうか。程なく、上階から速足で降りてくる複数の靴音が聞こえてくる。理紗は、七階踊り場にある給湯室に身を隠して、彼らが階段を降りていくのをやり過ごした。  四人の行動を見る限り、先程の悲鳴はユースケとコウヘイではないようだ。 (幽霊の悲鳴?)  まさかとは思いつつ、謎の呻き声の正体を掴んで記事にできるチャンスだ。十階にきた理紗は、屋上へ繋がる梯子を昇った。 (つづく)
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