今夜はリモートでそっとごめんね

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 私は娘が経済的な理由で将来を諦めなくていいように、今まで断っていた残業や出張も引き受けて必死に働いた。彼女は小さいときから年齢のわりにしっかりした子で、わがままを言って泣いたり、親を困らせたりするような行動はとらなかった。学校の家庭科で習ったという料理は、いつのまにか揚げ物以外なら作れるようになっていたし、洗濯や掃除も進んでやってくれた。中学生になると、冷凍食品を上手く使いながら、自分だけではなく私の分まで弁当を作ってくれるようになった。成績もそこそこ良く、学校の三者懇談では「学業も生活面でも、なにも問題ありません」と先生から言われて後の会話が続かず、たいてい五分で済んだ。  なにか困ったことがあれば二人で話し合い、時には周りに助けてもらいながらなんとか生きてきた。娘が大学を出て、就職し、その後良縁に恵まれて結婚、翔太が生まれた。私もここ数年で、ようやく穏やかに人生を楽しめている。  ふと、ある記憶がよみがえる。 「お母さんは、私のことをなんにも知らない」  高校生の頃だったか、娘は一度だけ、そう言って激しく泣いたことがあった。あれって結局……どういうことだったんだっけ?
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