遺されたもの(FANBOX用短編)

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遺されたもの(FANBOX用短編)

 失われたものについて、悔いたことも、嘆いたことも、なかったわけじゃない。  いびつな状態での「存在」を、喜ばなかったと言えば、嘘になる。  亡霊として、時折自我や記憶を揺らがせながら、それでも笑いかけてくれた彼と、私だって共にいたかった。 「……でもね、分かっていたの。このままじゃ先に進めないって。だから……そうね。忘れはしないけど、大切な『過去』として、思い出に留めることにした」  傍らの部下に、そう語る。夫婦について……結婚について知りたい、と、新入りの青年は私を訪ねてきた。  デスクの上の、写真立てを手に取る。亡き夫の姿を、ガラスの上からなぞる。 「愛していたし、愛されていた。……だけど、唐突な『死』によって引き裂かれてしまった……。簡単に割り切れることじゃなかったわ」  私が夫と出会ったのは、生まれてすぐだった。  幼馴染として一緒に育ち、長い時間をかけて穏やかな絆を育んで、自然な流れで夫婦になった。 「彼のことも痛めつけたい、従順な下僕にしたい……そう、思ったこともあるにはあったけれど、痛い思いも、苦しい思いもさせたくなかった。……まあ、彼のことだから、願ったら一生懸命叶えようとしてくれたでしょうけれど」  夫が死んだのは、夫婦となって数年も経たない頃だった。  あまりにも突然の死で、あまりにも受け入れ難い理不尽な出来事だった。  黙って聞いていた部下が、静かに呟く。 「社長は、一人で生きていける方でしょう?」  私を様付けで呼ばない、下僕になる気はないと語る青年。……どこか、あの人に似た面影を感じさせる若者。 「あらぁ、そんなのは関係なくってよ。……愛は……いいえ、人間の感情って、理屈じゃないもの」  そばにいるのが楽しかった。  心安らげる居場所だった。  その笑顔を見るのが好きだった。  自分勝手だった私が、「誰かのために」何かをしたいと……心から思えるほど、愛した相手だった。 「……なるほど。愛って、そういうものなのですね」  ふむ、と考え込み、青年は眼鏡の奥から私を見つめた。 「僕は、ローダがいなくては生きていけませんが……」  ローダ。私が養子にした少女の名だ。  親から虐待を受け、心を壊した少女。……そして、目の前の青年は、仕事場で迫害を受けて心を壊している。  傷ついたもの同士の共依存。傷の舐め合い。……不健全な恋愛感情と呼べるかもしれないけれど、それでも……彼にとっては、心の拠り所なのだろう。 「それもまた、愛の形よ。いびつではあるかもしれないけれど……安心なさい。いつだって、わたくしが矯正して差し上げるわ」  他者から見たローザ・アンダーソンは悪人かもしれない。  自分勝手で、嗜虐的で、欲深い金の亡者。  ……だけどね、誰かを幸せにしたい気持ちだってあるのよ。まず自分が満たされることを、第一に考えているだけ。  自分が満たされていれば、余分な部分が多ければ、それだけ他者に与えられるものも増える。それに、何か問題があって? 「社長……。……なんだか、いつもの調子が戻って来たようですね。少し安心です」 「……あらぁ、それは貴方が心配することではなくてよ?」  眼鏡の奥……濁った灰色の目を、真正面から見つめる。  冷戦の影響で家族と離れ離れになり、先祖が暮らしていたという街に流れ着いたものの、迫害の末にミスで爆発事故を起こした……そんな、過酷な背景を背負っていると聞いた。  その「爆発事故」の裏にはレヴィの怨念が関わっているのだけど……そのことは、まだ伏せている。 「仕事に戻りなさい、マクシミリアン。……またいつでも、話をしに来てちょうだいね」  どうか、背負い込んで潰れてしまう前に。  あの人のようにいなくなってしまう前に。  ……義娘が、同じ痛みを背負ってしまう前に。  救いの手があると、気付いて欲しい。  私は欲深く、悪どい人間になってしまった。強欲商人、金の亡者と称されることだって数え切れない。  でも、その生き方を悔いたりなんかしない。……ただ、そうね。以前よりちょっとだけ、他人に優しくしたいって気持ちも大きくなったかしら。  写真立てを元の場所に戻し、誰もいなくなったドア付近に視線をやる。  軍服姿の男は、もう二度と現れない。……でも、それでいい。  私は、思い出と共に生きていく。  貴方がくれた温もりと共に、未来へ進んでいく。  隣に貴方がいなくたって、大丈夫。  貴方の存在は、私の中にちゃんと残っている。  だから……もう、無理をしなくたっていいのよ。  どうか、ゆっくり眠ってね。……ロジャー。
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