ある罪人の贖罪(FANBOX用短編)

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ある罪人の贖罪(FANBOX用短編)

 ある日突然、兄さんが知らない青年を連れてきた。 「レヴィくんって言うんだけど、たぶんブライアンと同い年だよ。友達になれるんじゃない?」  ガーネットのような深紅の長髪を縛った青年の名前は、レヴィと言うらしい。  面会室のガラス越しに初めて見た彼は、口元を真一文字に引き結び、眉間にしわを寄せていた。 「ともだち……?」 「そう、友達。ずっと検査とか聴取ばかりで、寂しいでしょ」  さみしいって気持ち、僕には分からないけど……兄さんは、僕が寂しくないように考えてくれたらしい。 「……四礼は……ともだちじゃ、ない?」 「その子は……。……僕は、だけどね、君に酷いことをする子を、友達って呼びたくないかな」  四礼は、僕がカナダにいる時からの友達だけど、兄さんは彼のことを嫌いらしい。 「カミーユさん、俺が回復に貢献できるとは限らない。期待を持たせるようなことを言うな」 「ブライアンは人に期待なんかしない……というより、できないよ」  僕には悲しいって気持ちも分からないけど、兄さんが悲しそうなのは、なんとなく、わかる。 「まずは……友達になれるところまで、頑張って欲しくてさ」 「……そうか。そこまで言うのならば、やれるだけのことはやってみよう」 「ありがとう」  兄さんの瞳が、僕の視線と交わって、ふいっと逸らされる。兄さんは、僕とあまり目を合わせてくれない。  レヴィくん……と呼ばれた人のほうは、僕にしっかりと視線を合わせ、口を開いた。 「罪のことも……その、特殊な心身の状態であることも聞いている。大した助けにはなれんが、話し相手に困った時は頼れ」  困るって気持ちは、よくわからないけど……胸の奥で何かが、動いた気がした。  *** 『お兄さんさぁ、ぼくに対して冷たくなぁい?』  ぶっきらぼうな声が、頭の中で響く。 『ブライアンはクズどもに感情すら消えちゃうほど傷付けられたんだよね? ……じゃあさ、似たようなクズを斬って斬って斬りまくって復讐するくらい別に良くない?』  四礼は、僕のおじさんが保管していた刀に宿っていたらしい。  おじさん達が殺されて、僕がおかしくなってからは時々僕の身体を使うようになって……やがて、大きな事件が起こった。 『ねぇねぇ、また体貸してよ。大人のフリした……ううん、人間のフリしたクズを斬り捨てて、ぼくも、おまえも安心できる世界を作りたい。ぼくはおまえを幸せにしたいんだ』  四礼は僕のことを案じてくれるし、優しい子だと思う。……でも、人を傷つけたり殺したりするのは良くないことだ……とは、思わないらしい。 『何でダメなの?』  それは、僕にもわからない。  痛いとか、苦しいとか、悲しいとか、つらいとか、昔は感じていた気もするけど、今は、よくわからない。 『いいじゃん。ぼくはね、ぼくを傷つけたヤツらを許さない。おまえを傷つけたヤツらも許さない。もう誰にもぼく達を傷つけさせやしない……』  僕の身体を使って人を斬って、僕が外に出られなくなったから、  死んでるはずの身体の検査と、死んじゃった心の検査ばかりの日々になったから、四礼は勝手に身体を使わなくなった。  僕のことを考えているのは、きっと、ほんとだと思う。 「内臓の壊死が広範囲に及んでおり、脳機能も三分の一ほどが停止しています。……けれど、どこからどう見ても生存している……。これは、もはや人間と呼べるのでしょうか」  会議室で座っている時、ずっと似たような会話が聞こえてくる。 「感情が制御できず凶行に走った記録がある以上、厳罰を科すのが筋ではありませんかな」 「彼が自らの意思で人を殺めるのは困難であるとの所見も存在します。裏で糸を引いた人間がいるとするなら、彼も立派な被害者です」 「テロの可能性も充分考えられますね。洗脳やマインドコントロールの類であるならば、彼から得られる情報は慎重に扱うべきでしょう」 「まずは彼の心身について詳細を解明するのが先です。死体になるべき肉体が奇跡のような神秘を得て生きて動いている……などと、曖昧模糊とした結論で済ませても良いものでしょうか?」  僕は、化け物なのかもしれない。もしくは、化け物に「なった」のかも。  僕の家系は「人間じゃなくなって死ぬ」呪いにかけられているらしくて、お母さんもそれで一緒に暮らせなくなった。だから、僕もお母さんと同じように人間じゃなくなったのかな。  そのせいで、兄さんも目を合わせなくなって、話もうまくできなくなっちゃったのかな。  四礼はいつものように『アイツらは何もわかってないね』と、笑っていた。  *** 「何か、欲しいものはあるか」  レヴィは、毎週きっちり決まった時間に面会に来た。 「欲しい……欲しいって……どんな、気持ち?」 「どんな、と言われると困るが……。……そうだな。何か、必要としているものはあるか」 「……必要……」 「嗜好品……は、嗜む暇もなさそうだな。日用品で足りないものはあるか」 「ん、えと……あ、タオル……?」 「タオルか。わかった、調達しておこう」  四礼が『何コイツ』と呟いた気がした。 『馴れ馴れしいと思わない?』  今度は、確かにそう聞こえた。けど、馴れ馴れしい……って、何だろう。 『ブライアンの友達はぼくだけ。そうでしょ? 誰も、おまえのことなんかわかってくれないんだから』  でも、僕も、僕のことはわからないし、仕方ないと思う。  四礼もきっと、僕のことをわかってるわけじゃない。  そう伝えたら、四礼はしばらく静かになって、 『でも、アイツにはわかんないよ。ぼくと、おまえの苦しみなんか……絶対、わかんないよ』  と、絞り出すように言った。  それからまた、頭の中がしばらく静かになる。 「ブライアン」  レヴィの声の方に、視線を向ける。 「……言葉が浮かばんな……」  眉間のシワをいつもより深くして、レヴィは僕をじっと見つめた。翡翠の瞳が、僕の片方しかない目を見ている。 「俺には憎んでいる相手がいる」  憎む。その気持ちも、僕にはわからない。  わからないから、警備員さんがどうして震えたのかも、わからなかった。 「俺は、俺の誇りを踏みにじったものを憎悪している」  レヴィは拳を握りしめ、唇を震わせる。  誇り。その気持ちも、わからない。  わからないことばかり話されても、どうしていいのかわからない。 「……その感情を持て余す苦痛を思えば……」  苦痛、は、知ってる。確かに味わった……と、思う。でも、覚えてない。 「お前の状況は、おそらく……お前を守るために必要なことだ」  必要なこと。  空っぽだった胸が、少しだけ温度を取り戻した気がした。……痛くて苦しい気持ちが、少しだけ帰ってくる。 「だが……たとえ苦しくともお前はかつての感情を取り戻さなくてはならない。……なぜなら、罪を犯したからだ」  わかってる。それが……それが、「酷いこと」なのは、よくわかってる。  だから……逃げちゃ、いけないんだ。 『罪じゃないよ。何も悪くないよ。ぼく達は、何も間違ってないよ……! そうだよねぇ? ……そうだと言ってよ、ブライアン……!』  四礼が叫ぶ。 「お前に罪を背負わせたのは、誰だ。俺が憎むべきはそいつだろう」 『ブライアン、騙されないで! こんなヤツにぼく達のことなんてわからない……!!!』  頭の中で、四礼の声が反響する。  レヴィの視線は、変わらず僕を射抜いている。 「……四礼、僕は……」  おじさん達が死んだ時、悲しかった。  お母さんがいなくなって、寂しかった。  身体を傷つけられて、怖くて、痛くて、苦しかった。  それは……僕が、僕達が傷つけた人も、同じなんだ。 「償わなきゃ、いけない」  その選択は、大きな一歩だった。  ……数年後にまた身近な「死」を経験したから、余計に、そう思う。  ***  後にレヴィは、「誰かを救うことで、俺も救われたかったのかもしれん」と語った。  どんな理由であれ、彼が僕に目を合わせて、「頼れ」と言ってくれたのは……きっと、すごく大事なことだった。    それに……  彼は、僕の罪も理解して……それでもなお、手を差し伸べてくれたんだ。  ***  レヴィと初めて会った時から、もう幾年も経った。  四礼はもう、語りかけてこない。  兄さんは今、土の下で眠っている。  レヴィも、きっと、僕の隣には帰ってこない。 「ブライアン、いつもありがとな。片付けそれくらいにして、休憩行こっか」 「ん。グリゴリーさんも、お仕事、おつかれ……」  兄さんが死んで、レヴィもいなくなって……死後の世界で再開して、また別れて……その経験の中で、出会った人達がいる。  失ったもの、奪ったものの取り返しはつかない。  ……これから未来がどうなっていくかも、わからないことだらけ。  でも、その「わからない」は、もう怖くない。 「グリゴリー、頼む。そろそろ許可出してくれねぇか」 「そうは言ってもさ~。アドルフ、お前一応病院で働いてんだぞ……?」 「ビールが飲めねぇのはキツい。飲酒の許可を……この通りだ、頼む」 「せめてぶっ壊した胃が治るまで待てよ。できんだろその顔なら」 「顔面は何一つ関係ねぇだろ……!」  このなんでもない日常がいつまで続くか……それすらわからないけど、未来のことは、進み続ける限りわかっていくことしかない。  良い方向か、悪い方向かもわからないなら、怖がる必要もないし……僕がするべきことは、ずっと決まっている。 「……グリゴリーさん、明日、検査だから、えと……午後から休み、もらう……」 「あれ、そうだったっけ。また検査かぁ。立て続けじゃしんどいだろ」 「いい。そのぶん、助かる人も増える……かも、だから」  医学や科学……に限らず、学問はサンプルが大事なんだよって、ロバートが言ってた。  償いにならなくても、できることからやっていく。許されなくても、元から許されないつもりで進み続ける。  そしたら、怖がってる暇もなかった。 「ブライアン、無理すんのはなしだからな」 「ん、グリゴリーさんの仕事増えるの……大変」 「それくらい大したことじゃねぇけど……俺は、ブライアンに笑ってて欲しいから。アドルフはいい加減痛み止めの用法用量守れ。あと酒かタバコやめろ」 「なぁ、やっぱり扱いに差ァあるよな」 「残念でしたー! ブライアンはお薬ちゃんと正しく飲むし酒もタバコもやりませんー!! まあ俺は酒飲むけどね!!!」 「タバコも吸うだろ」 「言うと思った。でもお前とは違って禁煙中なんだよね~5回目の」 「喧嘩、だめ……。二人とも不摂生で不養生。両成敗」 「「ウィッス」」  この日々だって、明日には終わるかもしれない。僕の命がいつ尽きるのかもわからないし、予期せぬ報いが訪れるかもしれない。  だけど、せめて今だけは、笑いたい。  より良い未来を紡いでいけるように、より多くの笑顔を生み出せるように、歩いていきたい。
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