嵐の前に、(FANBOX用短編)

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嵐の前に、(FANBOX用短編)

 私の弟は、不思議だ。温厚な青年に見えるが、どこか掴みどころがない。  他人にも身内にも親切に接するくせに、自らを「人間嫌い」だと称する。……私には、そこがよくわからなかった。 「……あ。ちょっと待ってて、行ってくる」  久しぶりの休暇でのことだった。4つ下の弟……ローランドは足を挫いた女性に声をかけ、手早くタクシーを呼んだ。  スムーズに人助けをこなした後、涼しげな顔で帰ってきた彼に、疑問に思っていたことをそれとなく聞いてみた。 「人間が嫌いなら、放っておけばいいのではないかね」  きょとん、と緑がかった青い瞳が見開かれた。 「何言ってんだ」  呆れたようにため息をつき、ローランドは睨むように私を見上げた。  こいつは、私に対しては時々辛辣になる。それだけ信頼されているのだろうが、本人に伝えると「ばかなんじゃないの」と言われるので黙っておく。 「俺の好き嫌いで、他人の権利が左右されちゃたまったもんじゃない」 「……なるほど……?」 「絶対わかってないだろ」  図星だ。だが、そもそもローランドは案外面倒でややこしい性格をしている。つまり、分からないのがむしろ当たり前だ。致し方ない。 「さすがは私の弟だ。よく理解している」 「なんで偉そうなんだよ……」  そこで言葉を切り、ローランドはしばし考え込む。どうやら、言語化に困っているらしい。 「……例えば、生活に困窮している時や災害時に救助を求めたとして、それが救助者の好き嫌いに左右されるのはまずいだろ」 「ふむ」 「看護の仕事を選んだわけだし、日頃からそういう意識を持っておくべきだと思って」  要するに倫理観と個人的な好悪感情は分けて考えるべきと言いたいのだろう。  それはそうとして…… 「真面目だな、お前」 「……理屈っぽくて面倒だって?」 「やはりさすがだ。私の本心を容易く汲み取るとは……付き合いが長いだけはある」 「はいはい、悪かったなこの野郎」  憎まれ口を叩きつつも、ローランドは楽しげに口角を緩めた。目を細めれば、泣きぼくろもつられて下がる。  いつもの作り笑顔よりも、こちらの方が好ましい。 「で、さっきの話の続きだけど」  ……はて、なんの話をしていたか。  思い出したくないあたり、触れられたくない何かだったような…… 「……毎年毎年バラの花を贈りすぎてプロポーズに何を贈るべきか分からないって話、忘れた?」 「忘れていたな。欲を言えばお前にも忘れていて欲しかった」  確かに、ローランドが離席するまでその話をしていたが……ついつい零した弱音だ。あまり気にせず聞き流してもらいたかった。 「もう婚約してるし、わざわざプロポーズするほどのこと?」 「私もそうは思うが……夫婦となっても毎日会えるわけではないのだ。……改めて愛を伝えたい」 「そういうとこ、真面目だよな……」 「そうだろうそうだろう。私ほど誠実な男は他にいるまい」 「ばか、皮肉だよ」  ぶつくさ文句を言いつつも、ローランドは「……で、どうしたいの」と続ける。まったく、素直じゃない奴だ。 「……もう少し時間が欲しい」 「最近煮え切らないよな……。前は意味不明なくらい決断力あったのに」 「私も大人になったのだよ。お前も早く成長したまえ」 「だから、なんで偉そうなんだよ」  白いシャツの膨らみが「彼」の成長も示しているが……あえて、何も言わなかった。  母は男になりたいのだと主張しているが、本人は未だに自らの性について口にしたことがない。……それならば、私も触れないのが賢明だろう。 「……俺は、今のままでいいよ」 「ほう」 「ロッドがいて、ロブがいて、兄貴がいて、義姉さんがいる。……それで、いいよ」  語られる兄弟と、幼馴染の存在。……その中に、足りない名があった。 「……ロンとは、まだ喧嘩中か?」 「…………っ。……まあ……」  その名前を出した途端、目に見えて動揺があった。  ……いつからか仲違いをしたようだが、何があったのは、当人たちは語らない。 「そうかね。……まあ、深くは聞くまい」  その歪みを知ろうとしなかったのが、私の罪だったのかもしれない。  いつからだろうか。 「知る」ことそのものが煩わしくなり、時に恐怖へと変わっていったのは。  いつからだろうか。  弱音も泣き言も、何もかも「知らせない」ようになったのは。 「兄貴」  ローには、何が見えていたのだろうか。  ……それとも、私に、何が見えていなかったのだろうか。 「無理は、するな」  泣き出しそうな声に、私は何と返しただろう。  私が死んだのは、それから程なくしてのことだった。
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