Je t'aime ma femme.(FANBOX用短編)

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Je t'aime ma femme.(FANBOX用短編)

 僕が恋に落ちた日の話をしようか。  あれは、路上のマーケットで手作りの仮面を売っていた時のことだったかな。  僕はその時仕事をクビになったばかりでさ、とりあえず特技で生計を立ててみようと思い立ったはいいものの、さっぱり売れなかったんだ。  でもほら、僕って才能あるでしょ? 両親ともにそれは認めていて、「まあ何とかなる」って思ってくれてたんじゃないかな。いや、その時にはもう二人共死んでたんだけど、天国で思ってくれていたはずさ。  神父様が時折心配そうに見に来ては「大丈夫、神は見ておられるよ」と言ってくれたりもして、だったら一個ぐらい買って欲しいなぁなんて思ったりしていた頃に、君は現れたね。  目深に帽子をかぶって、じっと商品を見下ろして……「これ……ください」って、小さな声で呟いた。  なんて可愛い人なんだ、と思ったよ。仮面作ってて良かったなとも思った。 「ありがとうございます。貴女に神の祝福を!」 「……神……。……祝福なんて……」  今思えば、君は僕の信じる神があまり好きじゃなくて、そんなことを言ったんだろうね。 「神は見ておられますよ。僕は早くに両親を亡くしましたが、こんなに元気に育ちました」  そこで、君は僕の顔が気になったみたいで、帽子をちょっと上げてこっちを見た。  切れ長の黒い瞳が見えて、やっぱり僕は幸せ者だと思った。 「ほら、あそこの教会……見えますか? あれが僕の育った家です」  君は、その時どう思ったのかな。  幸せそうな、馬鹿な男だとでも思ったのかな。  ……それとも、羨ましいって思ってたのかな。 「……運が良かっただけ」 「え」 「いくら、信じて祈っても……救われなかった人がいる。……私の父も、母も、そうだった。……私も、そう……」  ちらりと額が見えて、隠れていた「3つめの瞳」をそこに見つけて……  やっぱり、僕は幸運だと思ったよ。  その瞳を見た瞬間、恋に落ちた。  素敵な恋に出会えた。  君は、それほどまでに美しかった。 「結婚してください」 「……はい?」  変な男だって思ったでしょ?  僕もそう思う。 「こんな素敵な人に、初めて出会いました」  君は逃げるように去っていったけど、次の日、また改めて仮面を買いに来たよね。顔を隠すために、やっぱり欲しいって。このデザインなら、毎日つけても許せるって。恥ずかしくはあるけど……って、何度も繰り返してたけどね。  嬉しかったよ。連絡先も教えてくれたし、ユカコって名前も教えてくれて、さ。  少なくともあの日は、僕にとって人生最高の日だった。  ***  ……ね。懐かしいでしょ。  だから、気にしなくていい。気に病まなくていい。僕は今も昔も、幸せな人間だよ。信じて欲しい。  ……なんて、それも無理な話か。  君は疑り深いし、僕は……  ──いつの間にこんな怪我をしたんだ  ──いつの間にでしたっけ……。たぶん、階段から落ちた時かな? 雨だったからうっかり滑っちゃって……  ──……神も、酷なことをする。……痛覚は、人が生きていくのに必要なものだと言うのに  ──大袈裟ですよ神父様! 痛みも苦しみも感じなくて、むしろラッキーだなって思いません?  ──思わないよ。……ダミアン、君は不幸せを不幸せと感じていないだけだ。ちゃんとした感覚を失ってしまっているだけなんだ  僕は、神父様いわく、幸せも不幸もわかっていないらしいから。  でもね、僕が狂人や異常者だったとしても、これだけは言える。  ユカコ、僕は、君に出会えたことを後悔していないよ。 「……あなたの腕、は……私が……食べた……」  泣かないで。痛くなかったし、自分で作った義肢を試せたし、悪くない経験だったよ。 「あなた……は、私の……せいで……子供たち、から……離されて……」  君だって辛かったよね?  傷つけたくないから、離れる道を選んだんだ。何も間違ったことじゃない。  僕も君を一人にしたくないから、君と一緒にいることを選んだんだ。何もおかしくないさ。 「カミーユも……ブライアンも……私の、血を……呪われた血を、受けついで……しまって……」  君は、素敵な女性だよ。本当さ。  3つある目も、6つになった腕も、本当に可愛いよ。君以上に素敵な人なんて、どこにいない。君だから、僕は恋をしたんだ。 「……いいえ……あなただから、私を、愛してくれた……あなたは……不幸が、わからない人……わからないから、にげないで、いてくれた……」  そうかも、しれないね。 「狂った人、だから……私を……見捨てないで、くれタ……」  だけど、だけどもし、そうなら……  僕は、狂っていて良かったと、思うよ。  君を選んだことは、正しさよりもずっとずっと、大切なことなんだ。 「ねぇ……ダミアン」  なんだい? 「神様は……本当に、いるの? 私みたいなばけものを、神様は、望まないんじゃ……なイ、の……?」  神様が望まないなんて言い出したのはきっと、嘘つきで酷いやつだ。  神様は君だって愛してくれてるよ。だって、僕と出会わせてくれたんだから。 「……やっぱリ、信じらレない……」  ……そっかぁ。悲しいけど……仕方ないね。 「だって……だって、そう、なラ……私、もっと、あなたの隣に……いられた……ニんげんで、いラれタ……」  ユカコ。僕は離れないよ。逃げも隠れもしないよ。  だから、安心して。 「いや、あナタを……あなたヲ食べてしマう。そんな……そんなふうニ、なってまで……生キたく、ナい……」  ……ありがとう。 「ダミアン、ワたし、幸せダった」  君が幸せだって言うなら……本当に、幸せなんだろうね。 「たくさん、たクさン、良くしテくレて……愛シテ、くレて……ありガとウ……」  ユカコ、僕のこと、食べちゃってもいいんだよ。  君が、君が……いなくなるなら、どっちみち、同じだよ。  不幸なんてわからなかった。痛みなんて感じなかった。……だけど、今、すごく……すごく、手が震えて、目の前が暗くって……きっと、怖くて仕方がないんだ。  君を失うのは、僕にとって一番の不幸だ。人生初の不幸かもしれない。  たとえ君が人と呼べない怪物だとしても、僕の、最愛の人なんだから。 「……ブライアンを、ヨろしク」  そう、だね。そう。僕は、父親でもある。僕には、まだ、やるべきことがあるよね。……ありがとう。忘れるところだった。  カミーユは……カミーユは、死んじゃったけど……ブライアンは、まだ…… 「わタし……ほんとうニ人間じゃナくなる前に……「私」が、消えてシまウ前に……呪ワレた血ヲ……すコしデも……役立てタい……」  ユカコ。  ユカコが……それで、幸せなまま、死ねるなら。  それが、ユカコにとって、一番幸せな死に方なら……  僕は……君の……なんだっけ、イヌガミツキ、だっけ。呪術師の力……か。……それを、使って、力尽きるのが、君の……さいごの希望なら……、…………。 「ダミアン」  能面、外しちゃうの?  ……ああ、でも、君の顔が見れてよかった。  頑なに見せてくれないんだからさ、もう。 「……こんナにくちも裂けて、目も血ばシって……だカら、見せタクナかっタ」  恥ずかしがり屋なのは、昔からだったね。  40年も君の姿を褒めてきたのに……まだ、信じられない? 「信じラれナい。ダッて、あなタ、おかシイもノ」  まあ、それは、ほら、天才だから。天才職人だから。仕方ないと思うよ。  その能面も、素敵でしょ? 君の先祖の文化を調べて、いいなって思ったんだ。 「ワタしは……スき……」  能面が? それとも僕が? 「……どっチモ」  良かったぁ! いや、そうだと思ったけどね! 「サヨナラ、ダミアン。……アりガトう」  …………。  おやすみ、ユカコ。  また、神の国で会おうね。  また、引っ掻いても、齧っても、怒らないから……  また、僕と、夫婦になろうね。 「……ワタシ、こノからダは嫌イ。ウマれ変ワっタら、にンゲんになリタい」  えー、そんなに悪くないと思うけどなぁ。 「アナタも……マトもな趣ミになッて……ソシたら……まトもナ、フう婦と、かゾくニ……なレる……」  まともじゃなくたって、僕は……  ……ユカコ? ユカコ、どうしたの?  犬の影……? ユカコをどこに連れて行くの!?  ユカコ、行かないで、消えないで……! 「……いい歳したお爺さんなのに……もう……仕方ない人……」  ユカコ……!!!  ……! あ…………。……………………。  最期は……笑って、くれてたね……。  片目が残ってて良かった。君の笑顔を見れた。  やっぱり僕は、幸せだ。  ……だけど……  痛いなぁ。  ***  血溜まりの中から能面を拾い上げ、老人は自分の顔にあてがった。  ステッキの力ない音が、地下室に響く。  やがて、近隣住民の間から、「怪物を飼っている家」の噂は風のように消えて行き、代わりに「能面で徘徊する紳士」が噂されるようになった。  男の名はダミアン=ジャック・バルビエ。  彼が飼育していたとされる「怪物」が、最愛の妻由佳子であったことを知る者は、ほとんどいない。
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