いずれ理想に至るまで(FANBOX用短編)

1/1
前へ
/27ページ
次へ

いずれ理想に至るまで(FANBOX用短編)

 犬を飼っていたことがある。正確に言えば、今もオランダの実家で飼われているはずだ。  友人の家庭環境の変化で、飼えなくなったのを引き取った。今実家にいるのは、その子世代だ。  困った者を見過ごせない正義感が、確かに救った命。  それなのに、僕はどうして、奪う側に回ってしまったのだろう。  泣きながら飼い犬に謝る友人を励まし、全て任せろと言った日から、いったい何が変わってしまったのだろうか。  僕が犯し続けた罪は、その友人を撃ち殺すことと同じだったというのに。  ***  時折、闇の中で過去を追想する。  悔いたところで、もう取り返しはつかない。自分を罰するだけの行為にしかなり得ない。  けれど、忘れたくない。……忘れてしまったから、僕は、自分の正しさだけを信じて突き進んだのだ。  振り返るべき時に、振り返らなければならない。  ***  友人の家庭環境が悪化したのは、青天の霹靂だった。  父親が失業し、薬物中毒に陥ったのだと聞いたのを覚えている。  まだ若かった友人も、それで多少荒れた。ギャングの集会に行こうとしたのを、殴って止めたことも覚えている。  友人は犬を可愛がっていた。……それでも、父が、そして自分が殴ってしまうからと、泣く泣く手放すことを決めた。  僕は友人の慟哭に心を痛め、我が家で犬を引き取れるようにと両親を説得した。そして、今も、その子供たちが実家で両親に愛されている。  なあ、僕。あれは友人だけのせいだったのか?  彼を殺せば解決するような問題だったのか?  闇雲に命を奪えば、あの犬を……荒れた環境に巻き込まれた弱者を、救うことになったのか?  そうしなかったから、あの犬は、子供を産んで、今も穏やかに暮らしているんじゃないのか……?  ……追想に戻ろう。  オランダの大学を卒業後、フランスに留学し、サーラと出会う前のことだった。  友人が命を落としたと、風の噂で聞いた。ハイスクールを出てから疎遠になっていたが、どうやら、彼も父親と同じく薬物に手を出してしまったらしい。  中毒死なのか事故死なのかまではわからなかった。けれど、彼を救えなかったことが僕の心に変化を与えたことは間違いなかった。  僕がドイツで警官になることを決めたのは、それから程なくしてのことだ。……友人のような人を救う、と、その頃は確かに思っていたはずだった。  どうして祖国でなく、留学先のフランスでもなく、ドイツだったのか。  恥ずかしながら、そこには僕の偏見や個人的感情が多分に含まれていたことを認めなくてはならない。……「悪」の「多さ」を無意識に求めていたことも、認めなければならない。  僕は、その時から、主観により目を曇らせがちだった、ということだ。  歪みに繋がる萌芽が、既に存在していた。 「悪を正す」……その感情がどんな結末を招いたか。  振り返らなくてはならない。  僕は、部下の弱弱しいとはいえ確かな制止に振り返らず、進み続けた。……だから、向き合わなくてはならない。  自分、あるいは自分に近しい者を守るために、他者を悪とし、排除する。下劣で愚かな行いだ。それこそ、悪に他ならない。……けれど、渦中にいれば分からない。主観は、見えるものさえ見えなくする。  脚を撃たれた罪なき青年の、絶望した顔が浮かぶ。  やがて世界を恨み、呪うようになるほど、僕は彼の心を追い詰めた。  僕の罪の重さは、殺した数だけでは説明できない。  何より、僕は……  自分の過ちを、認めるのが遅すぎた。  *** 「……おい」  背後からの声が、僕の意識を現実に引き戻す。  ……いや、現実、と言っていいかは分からない。 「仕事だ」  僕を憎み、恨んでいるはずの青年は、あくまで冷静に語る。 「僕にできることなら、どんなことでも手伝うよ」 「……そうか」 「済まなかったと思う。……何度でも、伝えさせてくれ」  青年……レヴィは僕を睨みつけ、「今、その話をするか」と言った。  許されることだとは思わない。……取り返しのつくことだとも、思っていない。  謝って済むことでもないが、謝らなければ僕の気が済まない。 「これは、あくまで個人的な感情になるが……許す気はない」  僕の言葉に対し、レヴィはきっぱりと告げた。 「だが、その誠意は認めよう」 「ありがとう」 「念のため言っておくが、しつこく謝罪する必要はない。……俺の苛立ちをあえて刺激したいなら別だがな」 「……心証が良くなかったみたいだな。悪かった」  まだまだ、僕はから回ってばかりだ。  ……自分の信じた道ばかりを突き進むのは、もうやめなければ。  人類が理想とすべき「正義」は、この世に確かに存在する。少なくとも、僕はそう信じている。  だけど、「正義」の形は、僕一人で決めるものじゃない。少なくとも、僕自身の憤りによって、歪めていいものじゃない。 「新たに迷い人が見つかった。貴様には、当該人物の保護に回ってほしい」 「わかった。任せてくれ」 「わかっているだろうが、保護、および自衛までが仕事だ。『裁き』は含まれない」 「……ああ、わかってるよ」  今度こそ間違えたくない。時には来た道を振り返り、過去を戒め、確実な歩みを進めていこう。  奪った命も、……救った命も、今度こそ忘れはしない。  暗闇の先へと足を踏み出した。  どれほど時間があるのかも、もしくはいつ終わるのかも分からない。それでも僕は、「僕」でいられる 限り、償いを続けていく。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加