亡霊は、未だ語らず(文フリ京都での特典小説)

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亡霊は、未だ語らず(文フリ京都での特典小説)

 嫌なことは数えても減らないし、むしろ、年月を経て増えていく。今日も、雨が降っている。この土地はやたらと雨が降るし、霧も多い。  兄さんが死んだ日を、また見送った。事故なのか、自殺なのか、僕には分からない。兄さんは何も語ってくれないし、誰も教えてくれない。僕は確実に先に進んでいるのに、傍らの亡霊から手を放すことができない。 ㅤ僕の歳を数えるのが、いつからか嫌になった。あの日の兄さんより歳上になっていくのが嫌だった。……大人になっていくことすら、ほんとうは拒みたかった。  八歳も年上の兄さんは二十一歳だった。もう、十五年は昔の話だ。……それ以上昔のことは、ぼんやりと霧がかかった向こうにある。その時期はやたらと事故が多くて、民営化がどうだこうだと、世間がうるさかったのも覚えている。兄さんの死と関係があるかどうか、僕にはわからない。線路の上に倒れていたらしいけど、どうしてそうなったかも分からない。……テロが多い時期でもあったから、仕事に殺されたのかもしれないし。  当の本人は、死んだことすら忘れている。頓珍漢な答えしか帰ってこないし、いつも通りニコニコ笑って、他愛のないことしか言ってこない。十年以上そうだから、もう慣れてしまったし、もう、このままでいいような気がしていた。僕は僕で、やりたいことがあったし、別に不満もなかったから。 ㅤだけど、どうしようもないところでつまずいた。お世話になった教授が亡くなって、教会に向かって、その日も雨が降っていて、本当に、なにか、大切な糸が切れたみたいに身体を壊した。 「……大丈夫?」  兄さんが、心配そうに顔を覗き込んでいた。幼い頃、熱を出した日を、ぼんやりと思い出した。  悪夢を見た。  誰かと喧嘩した過去。その人は電話先で、「兄さんは俺に助けてって言ってた。殺されたんだ」と、喚いていた。  あの人、兄さんが死ぬ前に電話がかかってきたから、自殺なわけがない事故でもない殺人なんだ、と、気が触れたように繰り返して……僕はその言葉を拒絶し、連絡を絶った。  熱っぽくて、けだるくて、憂鬱な日が続いた。兄さんは子供扱いするみたいに面倒を見てくれた。 「だって、死にそうな顔してたから……」  そっちはもう死んでるくせに、なんて、言葉は必死で飲み込んだ。死んだことになんかしたくなかった。……昔のまま、傍にいてほしかった。 「嫌な夢でも見た?」  無言で頷く。ロブはまだ子供だから……と、苦笑が返ってきた。兄さんの中では、幼い頃のままなんだろう。 「俺も幽霊怖いから、気持ちはわかるよ」  幽霊なのはそっちだろ、と、また言葉を飲み込んだ。まだ、子供の日々を続けたかった。 「そう言えば、覚えてる? ロッドのこと」  そして、その名前を久しぶりに聞いた。 「最近、変なメールが来たって」  友達から、殺されるかも、なんてメールが来た、と。またそんなこと言ってるのか……と、思ったけど、兄さんは事実死んでいたし、……他殺じゃないとも、まあ、言い切れない。 「変な小説の書きすぎじゃないの?」  泣きすぎて声が掠れてるのが、みっともないと思った。 「うーん……そんな話書いてたかな……」  昔は魔法使いとかドラゴンが出てくる話ばかり書いてたような気がするけど……今も、そうなのかな。 「……助けを求められやすいのかもな、もしかしたら」  ぽつり、と響いた言葉が、……低く呟かれたその言葉が、胸に突き刺さる。 「……会いに行く。どうせ、休暇はまだ長いし」  閉ざした霧の向こうに置いていったものを探そうと、そう、思った。 「あの人……ロッド兄さん、今どこに住んでるの?」  逃げていたものから向き合おうと、決めた。 ㅤ……そうして、ここに足を踏み入れた。 「なるほど、やはり兄弟か」  赤毛の青年は静かに耳を傾け、話の終わりに一言呟く。よく似ている、と、苦虫を噛み潰したように付け加えた。 「あの人も続けたかったのだろう。心安らかに過ごせた、失った日々を……終わらせたくなかったのだろうな」  兄さんは何も語ってくれない。……きっと、自分からは、もう語ることもできない。  僕は……いや、僕たちは、先に進まなければいけない。たとえ、その先にあるのが別離でも……本当の時間を、取り戻そう。もう、無理はできないし、させたくない。 「さて、そろそろ帰れ。夜に一人で出歩きたくはないだろう?」 「そうする。今日はありがとう!」 「……くれぐれも油断はするなよ」  たとえ、それであの笑顔が翳ったとしても、今までみたいに話せなかったとしても、……ずいぶんと遅くなってしまったけど、降り止まない雨の向こうへ踏み出し、過去を迎えにいこう。より良い未来を手にしよう。  まぶたの裏で、あの頃の僕らが笑っていた。
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