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ジンベイ
ギリリリリ……!
最大限に締め込んだはずのドラグを物ともせず、ジリジリと糸が引き出されていく。
……ダメだ! ……深場に行くんじゃねぇ!
思い起こせば鬼岩に通い出して11年目、やっとジンベイと2回目のファイトに持ち込めた。しかし相手は百戦錬磨。強引に深場へ潜られ、そのまま尖った岩に糸をこすりつけられ切られてしまった。呆気ない幕切れ。
同じ轍を踏まない為に、ここは死ぬ気で耐えるしかない。
腰を落とし、両足で岩場に踏ん張り、全身全霊の力を振り絞って竿を支える。
突然、ジンベイが猛烈な力で引き込んだ。ショウジの身体が竿ごと一瞬フワリと宙に浮く。ショウジもろとも、海中目掛けて引きずり込もうとしたのだ。
12年目の挑戦は、この時に落水して終わった。
もしもライフジャケットが無ければ、そのまま海の藻屑と消えたかも知れない。だから、13年目以降は肩掛け式の安全帯を着込み、岩場に打ち込んだ極太アンカーと太いワイヤーで結びつけてある。
ピンと張ったワイヤーがショウジを岩場に留まらせる。
ギリ……ギリ……。
必死に身体を後ろへ反らし、腕を伸ばして竿を立てる。竿が倒れると弾力がなくなり、糸が切れるか針が外れるかの二択になってしまうのだ。それを痛感したのが13年目……。
やがて、次第に糸が海面の上に姿を現し始める。ジンベイが浮いてきたのだ。深場に潜る作戦が不発に終わった事を悟り、力と持久力の勝負を挑んでくる。それこそがまさにイソマグロのイソマグロたる本領……。
ギギギギ……!
再びドラグが悲鳴を上げ始める。ショウジはドラグを少しだけ緩めて加減しながら糸を繰り出していく。
深場へ向かわれるなら糸を出すことは正解ではない。しかし持久力勝負となれば話は別だ。あえて少し糸を出してやることで『全力を出せば突き放せる』と思い込ませて体力を消耗させる作戦なのだ。
そして、ここからは壮絶な体力勝負である。
本来、怪力を誇るイソマグロを相手にしたら1人で釣り上げるという選択肢はない。とても適う相手ではないからだ。近くにいる釣り人が協力し、2~3人で竿を抱え、どうにか糸を巻き取って相手を仕留める。
それが、小笠原の釣りなのだ。
だがショウジは違う。
誰の力も借りることなく、一人で敵と戦うのだ。飽くまで『1対1』勝負に拘る。それで仕留めてこその勝利……。
……10分……20分。
限界の戦いが続く。
こっちも必死だが、相手も自身の命を賭けて戦っているのだ。容易にギブアップなぞしよう筈がない。
震える腕で支える竿が、中央から大きくしなって呻き声を上げる。
普通の竿は竿先から順に曲がるが、それではパワーファイターを相手にした時にテコの原理が働いて竿を立てるのが難しくなる。
胴から曲がるムーチングロッドと呼ばれる竿の方が適していると知ったのは、14年目の時に途中で腕が堪えきれなくなって逃げられた時だ。
……40分……50分。
1メートル巻取り、2メートル引き出される。そしてまた1メートルを巻き取る……ひたすらその繰り返し。
息が切れる。目が霞む。腕がしびれて感覚が鈍くなってくる。
いつの間にか、ショウジの周りには岩場に来ていた釣り人の全員が集まってきた。そして自分達の釣りも忘れ、固唾を飲んで勝負の行方を見守っている。
さあ、一滴残さず絞り出せ!
備えてきた! 鍛えてきた! 積み上げてきた!
そう……全てはこの日この瞬間のために……。
そして、遂に。
「ああ! 魚体が見えたぞ!」
誰かが海面を指差して叫んだ。
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