船旅

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船旅

 東京から南下すること約1000キロ。小笠原諸島のひとつである父島に向かうには、竹芝桟橋から出るフェリー『おがさわら丸』に乗るしかない。片道24時間の気長な船旅だ。  観光シーズンには豪華客船によるクルーズ便もなくはないが、ショウジは別に船旅がしたいわけじゃない。毎年この時期に父島から渡船に乗って小島に上げてもらい、そこで磯釣りをするのだ。もう、15年もこのサイクルを続けている。  昼寝から目を覚まし、体重3桁を超える巨体には少し窮屈なベッドを降りて船のラウンジへと向かう。時刻は午前10時30分。そろそろ船が父島に着くので、その前に用を足そうと思ったのだ。  ……何だ? 何かモメてるな。  ラウンジの中央で、客の男が船員に何事か大声で叫んでいる。どうやら男はかなり酔っているようだ。からすると、男もまた釣り客か。絡まれた船員がオロオロしている。  酔客が、船員の胸ぐらを掴もうとした時。 「……よさんか。船で面倒を起こすんじゃぁねぇ」  ショウジが背後から酔客を羽交い締めにして引き離す。 「何だおりゃぁ! 邪魔すんじゃねぇ!」  酔客が強引にショウジを振りほどこうとするが。 「ぐ……っ! ふ、振りほどけねぇ!」  強引に脱出しようとするが、ショウジの太い腕はまるで万力のようにビクともしない。  しばらくそうして藻掻いていたが、どうにも動かないと観念したか酔客は暴れるのを止めた。 「はぁはぁ……。くそ、何て馬鹿力だよ!」   「……」  酔客が抵抗を止めたのを確かめてから、ショウジはゆっくりと腕を解いた。 「船で騒いでも『出てけ』って訳にゃぁいかねぇ……船員に面倒掛けさせんじゃねぇよ」  そう低く呟き、ショウジはそのままラウンジの端へと消えてく。 「何なんだよ……アイツ。柔道黒帯のオレが力で止められるなんて、どういう馬鹿力なんだ」  酔客は喧嘩の原因も忘れ、肩で息をしながらその後姿を眼で追った。 「……何だ、あんた『あの男』を知らんのかい」  近くに座っていた老人が声を掛ける。漁師だろうか、浅黒い肌と無骨な指が長い島暮らしを物語っている。 「あの人は『ショウジ』ちゅうて、島じゃチョットした有名人さ。あの『剛腕』はの、父島近くの岩場からイソマグロを釣るために鍛えとるんだと。それも超ド級のヤツをの……普通の人間では相手にならんで当然よ」  イソマグロは海釣り師にとって憧れのひとつだ。名前に『マグロ』とはつくがマグロの近縁ではなく単独種で、そのシルエットはむしろサバに近いと言える。  だが、その大きさやファイトはサバどころの騒ぎではない。『暴れん坊』だの『ダンプカー』といった異名が示す通り、想像を絶する猛烈なが釣り人を魅了して止まないのだ。    そして、その中でもショウジが狙っているのは。 「超ド級? イソマグロってデカくなっても1メートルかそこらじゃないのか?」  酔客が聞き返す。少し酔いが醒めたようだ。 「いや……最近でこそ見んようになったが、イソマグロもデカいヤツになると2メートル級がおる……。実際、ショウジさんが追ってるのもその一匹で『ジンベイ』ちゅう二つ名を持つイソマグロでな。腹の模様が甚平みたいに見えるんで、そう呼ばれとるらしいがの……体重なら、おそらく100キロ近い超大物じゃて」 「100……キロ?」  酔客は驚いたように尋ねる。 「おいおい、イソマグロってそれこそ『怪力』なんだろ? 大物カジキ用の専用ボートでも持ち込めば話は別かもしれんが、そんな巨体を足場の悪い磯から釣り上げられるのかよ!」 「……よ。普段は配管工をしてて、80キロを超えるバルブをひとりで抱えて取り付けるってよ。そうやって鍛えてあンのさ……。ケタが違う腕力さね」
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