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 結局、あの日の出来事はなんだったのかと今でも不思議に思うことがある。 「おい、木田。木田ってば」  あのあと、おまえ大丈夫か。そんな村田の一言で白日夢から覚めた。  初冬の夜。どうやら雨は実際にも止んでいたようで、耳を澄ませば静寂だけが辺りを支配していた。  もしかして今年一番の雪になったかも知れないなと一人、そんなことをぼんやり思いながら入口付近のドアを見遣る。 「なあ、村田。僕さ。ジョンにさよなら言えたよ」  ふらりと店内に入って来た学ランを着た金髪、青い目の一人の少年。村田にはジョンの姿は見えないかも知れないな。強く、強く会いたいと願ったからこそ見てしまった白日夢。 「そうか」  心底ホッとしたように言った村田にありがとうを言うと、照れ臭さをごまかすように一気にビールを煽った。  あの日から一ヶ月。今夜も僕はカウンターの中。本格的に降り始めた雪の影響か閑古鳥(かんこどり)が鳴く店で、グラスを磨いて来客を待つ。  教育大学を卒業して英語の教員免許を取得して、英語を猛勉強したきっかけは間違いなくジョンだった。高校教師から転職した今は、めっきり英語を喋る機会も減ってしまったけれど。  それでも今でも思い出す。  中学三年生の夏休み明け。ひょっこり僕らの中学校にやって来た、一人の青い目の少年を。 「純さん。そろそろ」  表情は変えないで、シェイカーを振りながら高橋くんが言う。 「ふふっ。そうだね」  もうそんな時間か。あれから村田は毎日のようにこの店に顔を見せるようになり、取り留めのない話をしては閉店まで粘って帰って行く。  あの時、ジョンはさよならの前に、 『ジュン。大好きだよ』  そう言ってふわりと笑った。僕もさよならの前に、 『ジョン。大好き』  そう言いたかったけど、別れが辛くてとうとう言えなくて。  ねえ、ジョン。もう一度、運命のルーレットを回してよ。そしたら来世じゃなく、この世でまた君に出会えるような気がする。 『ジョン』  そう呼んでみたら、今にも君の返事が聞こえそうで。  今でもたまにあの夜に見た幻のような白日夢を思い出し、カウンター越しに出入口のドアを見遣ることがある。  レトロな作りの重厚なドア。しっかりと閉じられたその向こうに、誰かが佇んでいるようなそんな気がして。 2010/09/10/完結
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