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01
この場所へは初めて来たはずなのに、初めて来た気が全くしないのはなぜだろう。ずっと昔、まだ僕が学生だった頃、
『――――』
『え』
君の訃報を人づてに聞いたはずなのに、僕は自分の記憶から、その訃報とともに君の記憶まで奇麗に消してしまっていた。
「……ごめんね」
いまさら謝っても、僕の声は君にはもう届かない。
「ねえ、パパ。これ、だれの?」
もうすぐ4歳になる娘は、まだ上手く喋ることができない。舌足らずな声でそう言って、興味なさそうに目の前の墓標を指差した。
日本のそれとはまた違うが、雰囲気や色めでそれだとわかるのだろう。
「パパの友達のだよ。ママには、また来週会いに行こうな」
初めての海外旅行にはしゃいでいたのは最初だけで、すっかり飽きてしまった娘の頭を撫でる。
頬を撫でる風が心なしか暖かく感じるのは気のせいだろうか。一言喋るたびに言葉と一緒に吐き出される白い息を両手で受け止めると、それもまた暖かかった。
「さあ、はな。帰ろうか」
「えーっ。もうかえるの?」
「うん。ご用は済んだからね」
まだ帰りたくないと駄々をこねる娘をなんとかなだめ、来た道を戻る。待ってもらっていたタクシーに乗り込むと、ドライバーに空港に引き返すように言った。
この街が彼の生まれた街。少年だった僕が、あんなにも憧れた街。
このちょっとした小旅行のきっかけになったのは、突然の妻の死だ。体調不良で病院に行き、その場でその病名を告げられた。
――乳癌。しかも末期だった。
「ママ、ねむってるの?」
死の意味がまだ理解できない娘の華は母親の通夜の席で、
「ねえ。早くおきてご本よんで」
そう無邪気にねだって親族、縁者の涙を誘った。あれから一年の年月が過ぎ、まだ死の意味は理解できてはいないようながら、もう二度とママには会えないと幼心に悟ったらしい。
「ねえ、パパ。今度はママに会いに行こうね」
「……そうだね」
週に一度はママに会いに行きたいと言い、娘は妻の香苗の墓碑に自分から手を合わせるようになった。どうやらその下で母親は眠っていると理解したようだ。
『お客さん、本当にいいんですか。観光しないで。ここからはアビーロードスタジオが近いですよ』
ドライバーは流暢なイギリス英語でそう言うと、赤信号で車を停めた。
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