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絶対に泣かない。
そう決めていたはずなのに、香鈴の顔を見た瞬間から、言葉がまともにしゃべれなくなった。
香鈴と私は向かい合って座っている。いつもと違うのは、私のコーヒーも、香鈴のカフェラテも、どちらも全くと言っていいほど口がつけられていないとこ。
「大丈夫?」
私の返事は壊れた拡声器から出る音みたいで、とても聞き取れたものではないと思う。
「連絡ないのも忙しいだけかもしれないし」
香鈴の気遣いは大げさでなく、それでいてとても暖かい。
「どっちにしろ、あんな浮気男のことなんて、忘れたほうがましだって」
しかし、香鈴の最後の一言は、私にはやはり許せなかった。
私は涙でピントが合わないままに、なんとか香鈴を睨む。
「亮のこと悪く言わないで」
その言葉に、香鈴は目を丸め、そのあと深く長い溜息をついた。
「あれだけ浮気されておいて、よくそんなこと言えるね」
「いいのよ。最後に私のところに戻ってこれば、それで」
香鈴の口が、何か言いたげに開くが、しかし声にはならなかった。
それが私には癪に障った。
「何?どうせ、香鈴も私のこと馬鹿にしてるんでしょ」
男に依存してる、みっともない女だって。
「言いたいことがあったら、言ってよ」
そこまで言って私はすっかり冷めてしまったコーヒーを一口すすった。
香鈴はまだ少し迷いながら切り出した。
「いい加減、認めたら?」
そこで言葉を切って、息を吸い込み私を見据えてはっきりと言った。
「あんた、もう捨てられたんだよ」
その瞬間私は手に持っていたコーヒーを香鈴に頭からかけた。
どこかで亮が見ている気がして、こうすることで亮への愛情を証明できると、直感的にそう思った。
香鈴が私を睨んでいる。
右頬に衝撃。
気が付いたら、私はひりひりする頬を抑えて泣いていた。
香鈴の姿はない。
きっともう二人でここに来ることなどないのだろう。
亮のために、何もかも失った。
それなのに亮が居なくなってしまったら、私はどうしたらいいのだろう……。
うなだれて何気なく視線を下げると、テーブルの下に置いてあったバックの中の暗闇でスマホの画面が光るのが見えた。
亮からだ。
<今日の夜、このお店に来れる?>
いくつもの私のメッセージを無視して、位置情報とともにその一言は送られていた。
見た瞬間から、返事は決まっている。
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