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エンジン音と振動で目が覚めた。どうやら、乗用車の後部座席に寝かせられていたようだ。起き上がろうとするが手が思うように動かせない。どうやら縛られているらしい。
「あれ、起きちゃいました?薬が足りなかったみたいですね」
運転席から京香の声がする。
あの赤ワインに睡眠薬でも入れられていたのだろう。店員もグルだったということになる。
「何をするつもり」
「あなたがやったことと、同じことを。亮君を助けるんです。今度は本当に」
私がやったこと。
亮が去った今、初めて私は過去の自分を冷静に見ることができた。私は亮を自分の隣から逃さないようにするために、亮の母を殺したのではないのだろうか。ふいに、罪の意識が私を襲った。自分がひどく醜いものに感じられ、吐いてしまいそうだった。
車が停止した。
窓の外は暗く、コオロギが鳴いているのが聞こえた。
京香は運転席から降りて、トラックからシャベルを取り出した。私を殺して穴を掘り埋めてしまうつもりなのだろう。かつて私もそうしたように。
「それ、外れないようになってますから、逃げても無駄ですよ」
バーであったときは自身に満ち溢れていたように見えた京香の顔も、今は濁って憔悴していた。人を殺すということの精神的な負担は計り知れない。
その姿は、何度も夢の中で見た私のようだった。
きっと、京香も過去の私と同じで、亮を自分のものにしたい一心で動いている。
京香がふらふらと山奥へ姿を消したのを見計らって、私は靴を脱ぎ、足の指を使ってドアのロックを外そうと試みる。以外にもあっさりとロックが外れる音が聞こえた。ここまで用意周到にしておいて、こんな単純なことに気づかないなんて。やはり、今の彼女は正常ではないのだ。
私は足でドアを開け、裸足のまま駆け出した。あたりは暗闇に包まれており、わずかな星明りしかない。無我夢中に木々の間を駆けていく。
足の裏がじんじんと痛む。
呼吸が上がる。
しかし、それでも足を止めるわけにはいかない——。
どれだけ時間がったのだろうか。
ふいに、目の前の視界が開けた。
夜の森が一望できる。思っていたよりも、ずいぶんと標高が高い場所にいるようだ。
地面が少し先で途切れており、おそるおそる近づいて真下をのぞき込むと、切り立った崖になっている。ここから降りるのは難しそうだ。戻らなければ。
振り返った瞬間、
「探しましたよ」
冷たい声が夜風を切り裂き、私のもとへと届く。
そこに立っていた京香の手には携帯とナイフが握られていた。
「GPSをつけておいてよかった」
私はそこで覚悟を決めた。
「亮のためにこんなことまでするのを、ばかげていると思わない?男なんて、いくらでもいるよ」
それを聞くと京香は大声で笑った。
「あなたがそれを言うんですか?ぜんぜん説得力ないですよ」
「私はもう遅いけど、あなたはまだ間に合う」
「私には、亮君しかいないんです。だから彼のためなら何でもする」
「そう自分で思い込んでるだけだよ。亮なんて必要ない。あなたにも、私にも」
私はそう言い放つと、身をひるがえして崖へ猛然と走り出し、そのまま身を投げた。
これでいいのだ。
自分がしてしまったことに気づいた以上、償わなければならない。
京香の手が汚れ、私みたいになる必要はない。
重力を感じながら私は落下していった——。
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