1-4 さよなら、ロリっ子JCプロデューサー

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「やあやあ篠崎くん。もうお帰りかな?」 「あっ。ども」  ステージを降りて、共演者への挨拶もそこそこに楽屋の荷物を回収し裏口から外へ。煙草を取り出すと縦物の影から二階堂が現れた。  俺が打ち上げに参加せず会場を後にすることを予期していたわけでもあるまい。説教か恐喝か、何でも良いけれど。 「どうでした? ご期待通り最高のライブだったでしょ。なんか文句ある?」 「いや~まんまとやられちゃったね~。オーディエンスの心をガッチリと掴んだ、素晴らしいパフォーマンスだったよ。ミュージシャンよりタレントの方が向いてるんじゃな~い?」 「……はぁ」  ゆったりとしたペースで手を叩く。拍手とも言い切れない微妙なラインだ。読むに読めないサングラス越しの表情。  会話が成り立っていない。素直にライブの出来を称賛しているわけではなさそうだ……。 「まっ、悪くないんじゃない? 最近はああいうお客さんとお喋りするアーティストも多いし、そっちの路線の方がもんね~」 「……なにが言いたいんすか?」 「これ、今日のギャラね。一ヶ月は食べてくのに困らないくらい入ってるから、有難く受け取ってちょーだい!」  茶封筒を突き付けにこやかに笑う二階堂。中身も確認せずポケットにしまい込んだ。感触は悪い。大した金額でないのは明らかだ。これ以上コイツのペテンに付き合うほど暇ではなかった。 「そんなに気に入りませんでしたか。ライブの出来より個人的な感情を優先すると、そういう解釈で良いんですね?」 「いやいや~、篠崎くん。僕はあくまで客観的な立場からモノを言っているんだよ。確かにね、面白いライブだったよ。ああそうだとも。面白いライブだ」  刺し違えてでも「良いライブ」とは言わないようだ。パフォーマンス、と称した辺り俺の楽曲やスタイルは意地でも認めない、と。 「手応えを掴んだのは結構。だがしかし、たかが一回のライブの出来がキミの音楽人生を保証するかどうかは……よく考えた方が良いかもね~」 「負け惜しみにしちゃ随分と弱いっすね」 「篠崎くん。改めて忠告だよ……あの500人の観客のうち、何人がキミの音楽をこれから聴き続けてくれると思う? そうだなぁ、僕の見積もりだと……良くて50人、いや、30人も行かないんじゃないかな~?」  余裕綽々といった様子で顎を擦り底意地悪い笑みを浮かべる。俺の音楽を聴き続ける……つまり、興味関心を持ち続ける人数ってことか。 「確かに悪くないステージだった。でも、キミの音楽が大衆にとって受け入れ難いモノであるという事実は変わらない。それは分かってるでしょ?」 「……さあ。どうでしょうね」 「まっ、これから一ヶ月の間に答えは出る筈さ。ホント勿体ないなぁ~。大人しく僕の言う通りStand By Youをやっておけば……」 「あんまり俺の弟子を苛めるなよ」  地を這うようなダンディボイスと共に、俺たち二人の前へ現れた大柄な男性。特徴的な黒の長髪と腕にビッシリ敷き詰められたタトゥー……って、神田さん!? 「二回りも下のガキ相手に業界人ぶってんじゃねえよ。お里が知れるぞ」 「かっ、神田ッ!? 何故ここに!?」 「なんだ、コイツが八宮waveの常連だってことすら知らないのか? その程度の認識でよくオファー出したもんだな……」 「神田さん、どうしてここに……ていうか、えっ? 知り合い?」  彼の後ろには一緒に連れられて来たのか、ナオヤと玲奈の姿もあった。一応この周辺って関係者しか入れないエリアなんだけど……どういうことだ? 「知り合いもなんも、二階堂は『Gaston』の元ボーカルだ。三代目のな」 「……そ、それってもしかして、ロクに練習も来ないでしょうもない歌詞のアイデアばっかり持って来ては逆ギレして、終いにはファンに手を出してGaston解散のキッカケになったっていう、あの三代目ボーカルですかっ!?」  あれだけ余裕たっぷりだった二階堂が冷や汗をダラダラ流し挙動不審になっている。後ろのナオヤと玲奈も「うわぁ……」みたいな顔してドン引きしていた。  し、信じられない……こんな金の亡者と、音楽に掛けては徹底的にロマンチストの神田さんが同じバンドで活動していたなんて。  お互いバンドを辞めたあとはライブハウスの支配人になったってことか。この様子だと、当時の因縁……というか、二階堂への一方的な恨みがまだ続いている……? 「二階堂。テメェのやり方自体は否定しねえけどな。この坊主には通用しないぜ。お前の出る幕じゃねえよ」 「だッ、黙れッ! お前に俺の何が分かる!? こんな古臭いロックが今どき流行るわけ無いだろッ! だからお前はいつまで経っても……!」 「俺の話はどうでも良いんだよ……残念ながら、このシノザキユーマっつうミュージシャンはお前みたいな三下が扱い切れるような才能じゃねえんだな。コイツ、これから弾けるぜ。時代を変えるよ」 「そっ、そんな馬鹿なことが……!」 「ナオヤ。見せてやれ」  神田さんの指示に従い、ナオヤは何やらスマートフォンを忙しなくスワイプさせこちらへと突き付ける。  これは……ツブヤイターのトレンドだ。八宮を中心にこの辺りの市域だけで細かく設定されているけど……。 「……えっ、オレの名前……!?」  下へ下へとスワイプすると、燦然と輝くトレンド12位、シノザキユーマの文字。投稿件数は2000ちょっと。慌ててスマホを受け取り内容を確認すると……。 『シノザキユーマすっげえ良かった!』『登坂スターダム、10組目シノザキユーマ。単身アコギ一本で乗り込んで観衆を虜に。心から燃え上がる最高のロックンロールだった。何故これほどの才能が埋もれていたのか?』『シノザキユーマ初めて見たけど、骨の髄までブルースどっぷりって感じで結構好き』『めっちゃファンになった! #シノザキユーマ #登坂スターダム』『あーゆーしゃがれ声のボーカル久々に聴いたわ。好き♡』『最近じゃ珍しいくらい一本気の漢らしいステージだった。これからチェックしよ。 #シノザキユーマ』『シノザキユーマ熱すぎてヤバイ。なんでCDどころかMVも無いの。貢がせて』『チバユウスケの幻影を見た #シノザキユーマ』『シノザキユーマって人のライブでドリンク奪われて全部飲まれたwwww』『今回の登坂外れっぽかったけど、シノザキユーマで一気に持ってかれた。』『シノザキ一番期待してなかったけどかなり当たりだったわ~』『>>そんなに良かった?』『>>技術の荒さは目立ったけどどうでもいいレベルで最高だったわ』『>>リリックビデオ10本だけ? マジの新人じゃん。掘り出しものだな』『TikTalk荒らしまくってたから嫌いなくらいだったけど、あんなライブ見せられたら好きになるわ』『シノザキユーマ、Stand By Youで名前だけ知ってたけどライブああいう感じなのか。他の曲の方が全然良いじゃん』『シノザキユーマ良かったあああ!!!!』『MCで持ってかれて最後の曲で完全に堕とされたわ』『次のバンドスルーして物販ダッシュしたらシノザキ関連のグッズなんも無くて泣いた』『最後の曲なんて言うんだろ。新曲かな #シノザキユーマ』『リリックビデオ一通り見たけどライブの方が断然良いな #登坂スターダム #シノザキユーマ』『シノザキユーマ凄かった。明らかな「誰コイツ?」からワンマン状態まで持ってった』『シノザキユーマ良かった~!MCでマジギャン泣きwww』『今年に入ってからなんも良いこと無かったけど、シノザキユーマを知れただけでお釣りが来る』『シノザキユーマすこ』『シノザキユーマ最高でした!またロックンロールしに来ます!#登坂スターダム』 「……だってさ」 「おいおいおいっ……なんだよこれ……夢でも見てるのか……ッ!?」 「馬鹿言うな。お前の音楽がちゃんと伝わったんだよ……最高だったぜ、ユーマ」 「……ナオヤ……ッ」  朧げに頬を緩ませ、白い歯を見せ笑うナオヤ。差し出した右手と右手が重なり合い、パチンと軽快なハイタッチが響いた。  一方の二階堂は、自分のスマホでもツブヤイターの反響を目の当たりにし、居心地悪そうに苦汁の声を漏らす。そんな彼を前に神田さんは、どこか勝ち誇ったような表情で鼻を鳴らしこう続けた。 「これが世論ってやつだ。二階堂。お前が口癖のように言っていた、な」 「……神田……ッ!!」 「恨むならコイツの真の才能を見抜けなかった自分を恨むんだな……何度も言うが、お前の商売に口出しするつもりもねえ…………ただし、この坊主に関しては別だ。お前の力に限らず、大衆性なんてモノに媚びを売らなくたって……」 「……フンッ。そういうことみたいだな……あー、分かったよ。僕が間違っていた。それで良いんだろう!」  顔を真っ赤にした二階堂は、歯ぎしり混じりに俺と神田さんをサングラス越しにグッと睨み付け、乱暴な手つきでスマホをしまい込む。 「僕は僕のやり方でこれからも続けさせてもらう……篠崎くん、あんまり調子に乗らないことだ。少なくとも、二度と登坂のステージには立てないと思ってねッ!」 「いや、出ないっすよ。二度と。こっちから願い下げです。もっとデカくて良いハコでやらせて貰うんで……まぁ、良いハコでしたけどね。Club Do」 「……ああ、そりゃどうもッ!!」  さながら捨て台詞の如く唾を吐き散らし、二階堂はズカズカと建物の中へ姿を消して行った。神田さんは呆れたような顔で彼の後姿をジッと眺めている。 「……あまり毛嫌いしてやらないでくれ。あれでも昔は純粋な奴でな……一緒にデカい夢追い掛けた大事な仲間んだよ」 「……神田さん」 「Gastonのセールスが伸び悩み始めて、アイツはおかしくなっちまった……いや、一概に奴を悪者と決め付けるわけにはいかないけどな。アングラの世界から抜け出す努力をしなかった俺たちにも、少なからず責任がある……」  当時の苦い記憶が脳裏を過ぎったのか。神田さんは辛そうにため息を挟み首を横に振る。 「アイツの言っていることは正論なんだよ。売れなければ意味が無い。生活がままならない。至極当たり前のことだ……結局俺たちも、アイツの語る現実ってモンに唆されて、夢を諦めちまった。でも、俺たちにも譲れないものはあった」 「……プライド、アイデンティティーですね」 「互いの意思を尊重した結果だ。別に後悔はしてねえよ…………でもな、ユーマ。お前には未来がある。将来がある。まだ21……もうすぐ22歳だろ。これからどんなことだって出来るんだ…………アイツみたいな人間にはなるなよ。まだな、まだ」 「……ええ。分かってます」  どこか縋るような瞳を前に、俺は黙々と頷くばかり。すると、背後からこちらへと歩み寄る足音が聞こえて来る。振り返ると、目の前にはちょっとだけ複雑そうな顔をした玲奈の姿が。 「…………ゆーくん……」 「アホ。その呼び名禁止っつっただろ」 「えへへっ、そうでしたね…………その、えっと……おかえりなさいっス」 「んっ。ただいま」  照れ隠しのシェイクハンド。握った右手はほんのりと水滴で滑りやすい。汗か涙か、原因までは聞かないでおこう。 「……さいっこうのライブでした。流石は玲奈が惚れ込んだ令和最強のロックンローラーっス」 「だから、そんな奴どこにもいねえよ」 「はいっ。この裏口の喫煙所にはいませんね。でも、あのステージには確かにいたんスよ。マジで」 「……じゃ、そういうことにしとくわ」  白い歯を存分に見せびらかし、満面の笑みを浮かべる玲奈。散々迷惑掛けちまったな。まっ、これからの活動とこの後の打ち上げで借りは返させて貰おう。 「……ん、ナオヤ。すばるんは?」 「……はあ? 俺が知るわけねえだろ」 「あー、それもそっか。カエデちゃんと一緒だったみたいだしな……」 「ちょっと、玲奈の前で他の女の話っスか!? 誰でスか、すばるんとは! カエデちゃんとは! エエ゛ッ!?」 「うるっせえな」  一観客として訪れていたカエデちゃんはともかく、すばるんには裏口の入り方とか喫煙所の場所も教えてあるんだけどな……俺以外のアーティストはさして興味も無いだろうし、そろそろこっちに顔を出しても良い頃だと思うんだけど。  というか、一刻も早くすばるんに逢いたい。このツブヤイターの反響を教えてあげたい。彼女が俺の家へやって来た一番の目的が果たされたと言っても過言ではないのだ。まずは彼女への報告が筋ってモンだろう。  せっかくの機会だ、玲奈にも紹介するか。まぁメチャクチャ怒ると思うけど……この後の打ち上げは二人でって約束したけど、やっぱり大勢の方が楽しいしな。 「……ん?」  結局、今日日に至るまですばるんとラインを交換していないことに気付く。つまり彼女とのコンタクトはツブヤイターのDMを使うほかに無いのだが。  一件だけ彼女からDMが届いている。なんだろう。労りの言葉にしちゃ少ないような。取りあえず読んでみるか。 『シノザキユーマさん。登坂スターダム、お疲れさまでした。今日も後列右端で、いつものように観させていただきました。  控えめに言って、シノザキユーマ史上最高のライブだったと思います。初めて貴方のライブを観たときと同じくらい。いえ、それ以上の感動と興奮を覚えました。  ツブヤイターの反響も凄いですね。まぁ、最初にハッシュタグを付けて呟いたのは私ですが。どれだけファンが増えようと、最古参だけは譲りません。  最後に貴方の名前を呼んだこと、気付いていましたか? 普段はどれだけ興奮しても、ああいうことはしないんですけど。でも、どうしても名前を呼びたくて。気付いて欲しくて。振り向いて欲しくて。ついつい叫んでしまいました。  きっと、聞こえてなかったですよね。当然だと思います。私以外にも沢山の人が貴方の名前を呼んでいました。私の小さな声では届かなくて当たり前です。だから振り向いてくれなかったこと自体は、別に怒ったりとかはしていません。  怒っているのは、私自身へ。です。  みんなが「シノザキ」「シノザキさん」って呼んでいるなかで、私だけが貴方の下の名前を呼んでいました。そのことを悟った瞬間、私は大きな過ちを犯してしまったことに気が付きました。  シノザキユーマさん。貴方はもはや、誰も知らない無名の売れないミュージシャンなどではありません。  このステージをキッカケに、貴方はこれからもっともっと大きな舞台で、ステージで輝いていく。そういう方です。今日から貴方は、名実ともに本物のロックンロールスターとなったのです。  では、私という人間は。  今宮スバルという人間は。  追っかけの「すばるん」は。  貴方にとってどのような存在なのでしょう。  そう。一ファンです。ただの追っかけです。ただ他の人より、ほんの少しだけ貴方の才能に気付くのが早かったというだけの、やはり一ファンなのです。  結果的に、私は貴方のプロデューサーとして最低限の仕事さえ務まりませんでした。今日披露した曲も、私の指導案が反映されたのはone way bluesくらいでしたよね。あとは貴方の実力、私の助言は必要ありませんでした。  最後の新曲に至っては、私は歌詞もメロディーも一切口を挟んでいません。私は何もしていない。なにも、出来なかったのです。  貴方もとっくに気が付いていると思います。私という人間は、あくまで貴方の一ファンであり。プロデューサーとしては失格の部類でした。こんなに素晴らしいライブを、貴方はたった一人の力で成し遂げたのですから。  出過ぎた真似をしてしまいました。  越えてはいけない一線でした。  貴方の名前を呼んだとき、私は自分のことがとても恥ずかしくなりました。たかが一ファンが身内を気取って、貴方の音楽に口出しするなどとどれだけ愚かなことか。  ステージを降りる貴方の背中を見つめて、酷く情けない気持ちになりました。こんなにカッコいいミュージシャンを私だけで独り占めしようとしていたこと。有象無象のにわか共より、私は貴方のことをよく知っているんだと一瞬でも考えたこと。   どれもこれも、私のエゴでしか無いのです。こんなに惨めな気持ちは、生まれて初めてでした。  私だけのシノザキユーマでいて欲しい。  そう思った自分が、確かにいました。  失格です。  貴方の力になりたくて。もっともっと沢山の人に貴方のことを知って欲しくて、強引な手段を使ってまで貴方へ近付いたのに。  こんな気持ちを抱いてしまった以上、もはや貴方のファンを名乗る資格はありません。少なくとも、プロデューサーなんて以ての外です。  一からやり直そうと思います。  今の私は、これまでのような純粋な気持ちで貴方の音楽と向き合うことが出来ません。貴方の歌。声。音楽。たったそれだけで十分過ぎるほどだったというのに。  貴方の笑顔が。私だけに向けてくれた笑顔が。どうしてもチラつくのです。こんな状態で、貴方の音楽が好きなどと、口が裂けても言うことは出来ないのです。  DMを送るのは暫くやめようと思います。あくまでもただの一ファンとして、貴方のことを精一杯応援する。そう決めました。    せっかくのゴールデンウィークだったというのに、たくさんご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。私は家へ帰ります。  帰りたくない気持ちも、嘘ではありません。もっともっと、貴方の傍で貴方の音楽を聴いていたい。私だけのために歌って欲しいという気持ちも、否定はしません。  けれど、必要の無いものです。シノザキユーマは私だけのヒーローでは無いのです。こんなワガママが通用する筈が無いのです。  楽しかったです。夢のような時間でした。  私のために歌ってくれた時間。私だけに話してくれた大切な話。喧嘩みたいなこともしましたね。どれもこれも、大切な思い出です。このゴールデンウィークに起こったこと、わたし、一生忘れません。  でも、夢はいつか覚めるものです。  あれですよ。今生の別れとか、そういうのじゃないですから。これからも貴方のライブにはすべて顔を出します。新曲も聴き続けます。一生、貴方のことを応援しています。  でも、すぐにチケットも取れなくなったりするんでしょうね。でも良いんです。シノザキユーマというミュージシャンが、これからも私の人生を支えてくれる、大切な存在であることに変わりはありませんから。  貴方の音楽が。生き様が。  すべてが大好きです。  だから、さよならです。ユーマさん。  短い間でしたが、お世話になりました。  そしてこれからも、よろしくお願いします。  ご飯、ちゃんと食べてくださいね。  お酒も煙草も控えめにしましょう。  次のライブ、楽しみにしてます。  最古参、すばるんより』  「…………んだよ、それっ……ッ!」  一ファンに戻る?  越えてはいけない一線?  ……これで、さよなら? 「……ふざけんなよ……ッ!!」  冗談も程々にしろ。これだから中学生の笑いのセンスは当てにならないんだよ。笑わせるつもりならもっと面白いこと言えよ。  どうしてだよ。すばるん。  ただのファンでも、プロデューサーでも、なんでも良いよ。俺の力になんかならなくていいよ。メチャクチャな理論振りかざして、俺を困らせてくれよ。  これからも俺の傍に。隣に居てくれるんじゃなかったのかよ。こんなの……こんな一方的な別れ方、あるかよ……ッ!! 「……悪い、用事出来た」 「えっ? 打ち上げは?」 「すまん、明日で頼むッ! もう疲れてんだわッ! ナオヤも神田さんも、観に来てくれてありがとな! じゃあッ!」 「ちょちょちょっ、ユーマくん!?」  玲奈の制止の声を振り切り、裏口から一目散に駆け出し最寄りの登坂駅を目指す。クソ、いつもの八宮だったら電車で数分だってのに。どうしてこんなときばっかり。  夜も深まり人通りも増え始めた繁華街、ギターケースを背負い爆走する見るも無残な迷惑極まりない若者と化した自覚はあったが。そんなことを理由に足を止めるわけにはいかなかった。  帰らなきゃ。  帰って、ただいまって言うんだ。  一緒に打ち上げするって約束しただろ。まだ家に居るんだろ。そうだよな。だって朝、なんの報告も無かったよな? 帰るなんて言ってなかっただろ? 荷物だって置きっぱなしだろ? そうなんだろ? (クソ……クソぉッ……!!)  飛び乗った電車は鈍行だった。快速に乗り換えても一時間は掛かる。ダメだ、時間が掛かり過ぎる。チンタラ走っている間に、本当に帰っちゃうかもしれないだろ! もっと早く走れ! 俺の力じゃどうにもならねえんだよッ! (すばるん……すばるん……っ!!)  早く逢いたい。  伝えなきゃいけないことが沢山ある。ありがとう。すばるんのおかげで頑張れた。散々邪険に扱ってごめんな。お前が居なきゃ俺はダメなんだ。ダメダメなプロデューサーでいい。これからも俺を支えてくれって。言わなきゃ。伝えなきゃ。  最後の新曲、お前も聴いただろ。  目印なんだよ。たった一つの。  絶対に見失いたくない、俺の希望なんだよ。  すばるん。  お前じゃなきゃダメなんだよ。  電車が最寄り駅へと到着した頃には、最初にDMを確認してから丸一時間が経過していた。改札を潜るや否や自宅までの一本道を全力ダッシュで駆け抜ける。  およそ10分の長過ぎる道のり。部屋の明かりが点いているかどうかさえ確認せず、俺は縋るような思いで階段を駆け上がった。  急いで鍵を開け、六畳一間へ繋がる扉を開く。  そこには、期待していた通り。望んでいた通り。この一週間と同じように。黒いパーカーとスキニーに身を包んだ、ちっこくて可愛らしい、世界でたった一人のファンであり、プロデューサー。彼女の姿が———————— 「…………すばるん……っ」  布団を始め小綺麗に整理整頓された、いつもと変わらない汚い部屋。片隅がすっかり定位置になっていた小型のスーツケースは、忽然と姿を消していた。  諦め切れなかった。浴室。トイレ。ベランダ。はたまたクローゼットの中。可能性のある個所すべてを徹底的に、しらみつぶしに探し出す。  けれど、いない。  どこにも、いない。 「……なんでだよ…………どうしてだよ、すばるん……ッ!!」  六畳一間のど真ん中でガックリと膝を付き、年甲斐もなく涙を流す哀れな男。ステージ衣装には貧相なワイシャツが水滴に塗れ、描きそびれた未来地図の代わりに、歪な姿を象っていく。  ちょうど膝を付いた辺りにテレビのリモコンが転がっていたようで、意図せずとも画面がパッと明るくなり、時間相応のニュース番組が流れ始める。 『今日はゴールデンウィーク最終日。帰省先から都心に掛けて渋滞が起こり、各地では大きな混乱も…………』  そうか。ゴールデンウィーク。  今日が最後だったんだっけ。  そうだよな。すばるん、まだ中学生だもんな。明日から学校か。そりゃいつまでも人の家に泊まっているわけにはいかないよな。そうだよな。  俺はいったい、なにを期待していたんだろう。どうして彼女が部屋にいることが当たり前だと思っていたんだろう。  馬鹿に安っぽい、聞き覚えのあるラブソングが脳裏を過ぎった。居なくなって初めて気付く、存在の大きさ。なんてな。  そうしてこの日。  俺とすばるんの同居生活は。  何の前触れもなく。  或いは予め決められていたかのように。  然るべく、終わりを迎えた。
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