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相田は恐る恐る足を踏み出した。足に金色の草が触れるたびに、さらさらと音を立てる。
しばらく歩いてみたが、ずっと草原が続いているだけで他には何もない。さらに言えば、人一人いないのだ。
「本当に、ここが楽園……なのか?」
行けば一生幸せに過ごせるというわりには、何も無さすぎる気がする。だが、この金色の草原の景色は、『黄金郷』と言えなくはない。
相田は足を止め、今来た方向を振り返る。だが、その先にさっきまで歩いていた街の風景はなかった。
「俺は、どうやってここに来たんだ?」
夕日に違和感を感じ、逃げようとしたらここに立っていた。
「というか、どうやったら戻れるんだ?」
そんな風に自問自答していると、ふいに目の前に人が現れた。白く長い服を着た女性。髪の色も、銀色に近い白だ。
「あなたは、戻りたいのですか?」
「えっ?」
突然の問いに、相田はどう答えてよいのか分からなかった。すると、女性は再び同じ問いかけをしてきた。
「あなたは、戻りたいのですか?」
相田は少しだけ考えると、「はい」と答えた。
「それは、なぜ?」
すると今度は、こう尋ねてきた。
「仕事がありますし、急にいなくなったら騒ぎになるでしょう?」
相田がそう答えると、女性は無表情のまま言った。
「あなたがいなくなったら、誰か困るのですか?」
「なっ……!」
相田は一瞬カッとなったが、冷静に考えてみると、確かに自分がいなくなったとしても誰も困りはしない。仕事で役職に就いている訳でもないし、結婚もしていないから養う家族もいないのだ。
「あなたの言うように、私がいなくなっても誰も困りませんね」
「なら、ずっとここにいても問題はありませんね?」
「問題はないですけど……」
相田は辺りを見渡して言った。
「ここには何もないですよね? ここにいても、何の特にもならないのでは?」
女性は頷くと続けて言った。
「ここは魂のたゆたう場所。だから何もないのです」
「魂……?」
「ええ。時々貴方のように、魂だけこちらに来てしまう方がいるのですよ」
「待ってください。それって……」
相田は頭を回らせて言った。
「俺が、死にかけてるってことですか?」
「正確には、魂だけが抜け出してしまっている状態だということです。まあ、このまま戻らなければ、そういう事になるでしょうが」
女性はあくまでも淡々とした話し方をする。相田は背筋がゾクリとするのを感じた。そして、ギュッと目を閉じると女性に向かって言った。
「俺は……戻ります。退屈な毎日だけど、まだ死にたくはないです。やりたいことあるし……」
相田がそう言うと、女性は初めて表情を変えた。
「そうですか。なら、今を十分に生きなさい。人生は一度きりですからね」
「あ……はい」
彼女が見せた笑顔は、女神のような慈愛に満ちたものだった。
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