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プロローグ
「俺さぁ、死ぬらしいんだわ」
ガヤガヤとやかましい大衆居酒屋の一席で、坂本裕典は学生時代から変わらぬ飄々とした口調でそう言った。
手を伸ばせば届きそうな距離で、サラリーマンや学生のグループが大きな笑い声を上げ、店員は忙しそうに店内を行き交っている。「はい、刺身盛り合わせ!」という威勢の良い声と共に、恰幅の良いおっちゃん店員が坂本たちのテーブルに注文の品を届けていった。
「死ぬらしい?『らしい』って伝聞だっけ?」
刺身用の醤油皿を配りながら、隣の席に座る戸村慎二が聞く。
「国語の授業思い出すな、伝聞。『同様に確からしい』ってなんかなかった?あ、サーモンもらうな!」
そう言って、坂本の向かいに座る中山伊織が早速一切れ刺身を取った。
「数学の確率問題だろ。ちなみに、人間は100パーセントの確率でいつかは死ぬな」
中山の隣で日本酒を一口呑んでからそう言うと、後藤博士はわさびだけ付けてサバを口に運ぶ。
「うん、そうなんだけど。俺の場合、わりと早めの話でさ」
三人の視線を集めてから、坂本は静かに告げた。
「俺、癌なんだわ」
賑わう店内で、四人のテーブルだけがその場から切り離された様に一瞬無音になる。三人が動きを止める中、坂本は一人ジョッキのウーロン茶を飲んだ。
「病院で検査して、気付いた時にはけっこう進行してたみたいでさぁ。もう手術でどうこうって段階じゃないらしい」
「いや、だって全然――」
「うん、そんなに重い病気してるようには見えないよなぁ。自分でもたまに本当か?って思っちゃうくらいだし」
戸村の言葉に対してそう答える坂本の目は、眼鏡の奥でいつも通り感情の読み取りにくいそれであったが、旧友の彼らにはこれが質の悪い冗談などではないことがわかった。
張りつめた空気が漂い誰もが次の言葉を見つけだせずにいる中、俯いたままだった伊織が静かに口を開いた。
「わかった。いろいろ聞きたいこともあるし、本当は言うべき正解も別であるのはわかってるけど、ごめん、やっぱまず言わせて」
坂本が眼鏡を中指でくいと上げると、伊織もその顔を上げた。
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