ありふれた、

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私には隠し事がある。 きっと人が聞いたら「何だそんな事か」と言うような、些細な、ありふれた隠し事。 それは、私の小さな恋。 *** あれは小学生になったばかりのこと。 私は幼稚園の頃からピアノを習っていて、週に1回レッスンに通っていた。 その日も学校のあとレッスンに行って、何事もなく帰る予定だった。 いつもは母が迎えに来てくれるのだが、その日母はどうしても仕事が抜けられなかった。 「ごめんね、今日だけ一人で帰れる?何回も一緒に帰ってるし道はわかるよね?仕事終わったらすぐ行くからね」と母に言われ、小学生になって少し大人になったと思っていた私は意気揚々と「うん!だいじょうぶだよ!」と答えた。 「寄り道しないのよ」「まっすぐ帰りなさいね」と何度も念押しされたのに、一人で帰るという高揚感から寄り道をしてしまった。 寄り道と言っても、いつもの道から見える、少し離れた場所にある駄菓子屋さんに寄っただけ。 遠目に駄菓子屋さんを見ながらいつも行きたい行きたいと母に駄々をこねていたけど、一度も行ったことがなかったから。 ちょっとくらいならいいよね? 道路を渡り、いろんなお菓子やおもちゃが並んだ駄菓子屋さんの前へと走った。 紐付きのアメや当たりくじのついたガム、8の字型のチョコレートや見たことのないグミ。瓶に入ったイカの串や小さなカップ麺。アイスケースには沢山のアイスクリーム。きらきらひかるビー玉やおはじきも置いてあった。 当時の私には宝の山に見えて、お金もないのに店内をうろうろと歩き回った。 レジの前では眼鏡をかけたおじいさんが眉間にシワを寄せて丸椅子に座り新聞を読んでいた。 私以外に何人か子供はいたものの、みんな私より年上に見えた。5年生くらいだろうか。何か言われそうで怖くて近寄れなかった。 でも、その子たちの後ろには私の好きなキャラクターのお菓子が置いてあった。 見たいなあ、でも怖いなあ… もじもじと上着のポケットに両手を突っ込んで様子を窺っていると突然「おい」と声をかけられた。 びくっと肩を震わせて声の方を見ると、新聞を読んでいたおじいさんが眼鏡を外してこちらを見ていた。 おじいさんは「お前、店のモン盗っただろ」と眉間のシワを更に深くして私を睨み付けた。 「ポケットに何入れた、手ェ出さんかい」と立ち上がってこちらへ歩いてきた。 私何も盗ってない。何もしてない。と言いたかったが、怖くて声が出なかった。 ポケットに手を入れるのは私の癖で、困った時や恥ずかしい時につい入れてしまうのだ。 「どうせアレだろ、そこのビー玉やらガムやら盗ったんだろ。小さいもんだからバレんと思ったんか?」 近づいてくるおじいさんが怖くて、ますますポケットに手を突っ込んでしまう。 「早よ出さんかい」と語気を強められ、声の出ない私はぶんぶんと首を横に振ることしかできなかった。 お母さんの言ったことを守らないからだ。まっすぐ帰れば良かった。こわい。誰か助けて。どうしよう、どうしよう… 俯いて必死に涙を堪えていると、 「その子何も盗ってないで、おっちゃん」 とよく通る声が飛んできた。 「みんな見てたもん。もじもじしてたけどその子何も盗ってない」 そう言ったのは私が近寄れなかった集団の一人の子だった。 その子はすたすたと私の元へ歩いてくると、ぱっと私の腕を掴んでポケットから左手を引き抜いた。 「ほら、何もないやろ」と、ポケットの中と私の手をおじいさんに見せる。 その子に触れられてようやく動けるようになった私は、慌てて右手もポケットから抜いて見せた。 じろじろと私の手とポケットを見たあと、「ふん、何や紛らわしい事しおって…」とぶつぶつ言いながら眉間を指で擦り、おじいさんはレジへと戻って行った。 緊張から解放された私は、思わずぼろぼろと泣いてしまった。 「怖かったな、あのおっちゃんいつもあんな感じやねん。大丈夫?」と顔を覗き込まれ、あわてて涙を袖で拭って頷いた。 「あんまりここで見ないけど初めて来たん?名前は?」と聞かれ、答えようとするもまだ声が出ない。 その子は握ったままの左手をもう一度そっと握り、「大丈夫やで、泣かんといて」と困ったように笑って、もう片方の手で私の頭を撫でた。 「この辺住んでるんやったら池山小学校やろ。1年生くらい?うちの妹と同じクラスかもしれんな、また見に行くわ」と笑う。 それでもまだ涙が止まらなかった。その子は私の前にしゃがんで目線を合わせると「泣かんといて、笑ってる方がええよ」と笑いかけた。そしてポケットを探り、苺の絵が書かれたキャンディを1つ取り出し私の手に握らせた。 「これあげるからもう泣き止みな。またなんかあったらいつでも助けたるから。な?」と言ってその子が立ち上がったところで、 「桜!」と店の入り口から母の声がした。「遅いと思ったらやっぱりここに寄ってたのね、もう心配したんだから」と店の入り口でぷりぷりと怒る。 「桜って言うんやな。お母さん呼んでるで」と背中を押され、私は店の入り口へ向かった。 「あ、あの」とやっと声が出るようになった私は言ったが、それより先に母に手を掴まれて店の外へ出されてしまった。 ありがとうって言いたかったのに。 その子の胸のところについていた名札には「5年2組 濱田優希」と書かれていた。 はまだゆうき。ゆうき。心の中で何度も唱える。 母に手を引かれながら、反対の手でポケットに入れたキャンディをそっと握りしめた。 *** それから、同じ学年で同じクラスだった、優希の妹の瑞希と仲良くなった。 1年ほど前に大阪から引っ越してきたらしく、ここでの知り合いがほとんどおらず心細かったのか、すぐに打ち解けることができた。 仲良くなった理由なんて下心でしかなかったが、なんだかんだと高校生になった今まで親しくしている。 家にも行き来するようになって、瑞希の家に行く度に優希に会えないかとどきどきした。 実際会えるのは3回に1回くらい。それでも会う度に「お、桜じゃん。ゆっくりしてってな」と声をかけてくれた。毎回どきどきしてほとんど話せなかったけれど。 私が3年生になる頃には優希は中学生になり、優希は部活に行くのでほとんど会えなくなった。 私立の中高一貫の学校に行ったと瑞希から聞いたので、必死に勉強して同じ学校に入った。ようやく入学したときには優希は高校2年生で、中学と高校じゃ敷地が違うせいでやっぱりほとんど会えなかった。 たまに姿が見えると、その日1日嬉しくて堪らなかった。 そんな状態だったから、告白なんてもってのほかだった。そっと影から見ているだけで十分で、胸がいっぱいになった。 あわよくばもう一度あの時みたいに手を握って、その先も…と考えなくもなかったが、私は優希にとって妹の友達でしかない。 それでもたまに会った時、私だけに笑いかけてくれるのが嬉しかった。 今のその笑顔は私だけのものだ。それだけで十分。 *** 明日、優希は結婚する。 私は高校3年生になり、優希は22歳になった。 「大学で知り合ったんだ」と相手を家に連れてきて いるところに鉢合わせた時は、ショックで顔も見れなかった。 こんなことになるなら告白でもしておけば良かったかな。そう思ったりもするが、どの道今更遅い。伝えたところで絶対に叶わない。私は優希の恋愛対象ではない。 優希は人のものになる。元から私のものじゃなかったけど。 もう二度と手が届かない。 私の気持ちを伝えたら、優希を困らせることになってしまう。だから、この恋は誰にもバレちゃいけない。 あの日もらったキャンディは、勉強机の引き出しの奥に入れた宝箱に大事にしまってある。 キャンディと同じように、私の恋も心の奥底にしまわなくては。 結婚おめでとう、優希お姉ちゃん。 明日はそう言って笑えるように。 唇を噛み締めて、涙を堪えた。 もう泣き止みな、と笑ってくれる人はもういない。 これが私の、隠し事。 これから先もずっと秘め続ける、私の小さな恋。 些細な、ありふれた、隠し事。
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