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始まり
ピンポーンとベルの鳴る音がする。その音をアラーム代わりに、体を起こす。
体のあちこちが痛い。
昨日も徹夜だったからな。
デスクでそのまま寝てしまっていた。
俺は、体をほぐしながら玄関へ向かった。
ドアをがちゃりと開けると、眩い日差しに目がくらんだ。
まるで後光のように太陽を背負って立っていたのは、我が娘、琴葉葵だった。腰まである長い髪が風で揺れていた。
「お父さん、今起きましたね?」
「ああ。昨日も徹夜でな。やることが些か多いんだ。」
デスクで眠りこけていた状態のまま玄関まで来たのだ。そりゃあひと目でわかる。
我が娘の琴葉葵は、俺に対しても丁寧語で話す。昔はこうではなかったと記憶しているのだが、いつからかこんな話し方になってしまった。嫁の影響が強いのだろうが、それにしても他人行儀に聞こえる。
「朝ごはん、もう昼ですが、まだですよね。作りますよ。」
「ああ。すまん。」
葵が、俺の横を通り、研究所の中に入っていく。研究所には、トイレに風呂はもちろん、キッチンや寝室もあり、ここで生活することもできるようになっていた。
俺はあまり食事を取らないから、コーヒーを淹れるくらいにしか使わないのだが。
キッチンの横にあるテーブルで暫く待っていると、きれいに焼けたフレンチトーストとコーヒーが出てきた。
「砂糖は三本くらいいれますか?」
「いや、コーヒーにはいい。」
「そうですか。」
フフッと娘が笑う。どうやら砂糖の話は冗談だったらしい。
俺が半分眠りこけながらフレンチトーストを食べている間、葵は自分用に淹れたお茶を飲み、微笑みながら俺を観察していた。
寝ぼけながら食事をしている姿がそんなに面白いものなのだろうか?
嫁と似ていて、葵はいまいち掴めない。
トーストを食べ終わると、頭が冴えてきた。
コーヒーの2杯目を啜りながら、話を切り出す。
「で、今日は何の用なんだ?」
すると葵は真剣な眼差しになり、真面目な声色で語りだした。
「今日ここへは、重大なことを告げに来たのです。
また、未来を見ました。」
その言葉を聞いた途端、頭がすっとクリアになって、高速回転をはじめた。
娘の葵には、不思議な能力がある。それは、未来の事象を、夢で見るということだ。葵曰く、その能力は幼い頃から備わっており、幾度も悩まされたということだ。
俺は息を呑んで、話の続きを促した。
「一年後の今日、私は死にます。」
一瞬にして、全身の血の気が引いた。
娘が一年後に死ぬ?そんなこと、受け入れられるわけがなかった。
だが、葵はそんな悪趣味な冗談を言う人間ではないことはわかっていた。
「本当………なのか……?」
俺の声は震えていただろう。
そんな狼狽しきっていた俺とは対象的に、葵は、赤い瞳に確かな意思を乗せて、俺を見つめていた。
「はい。夢で見ましたから。」
「だが、未来は変えられるだろう!これまでも何度か変えたことがあっただろ!」
「いえ、これは変わりません。」
「なぜだ!」
俺はいつのまにか立ち上がり、葵に詰め寄っていた。
「落ち着いてください、お父さん。」
赤い瞳が俺を見つめる。俺は不思議と冷静さを取り戻していた。
「なぜ変えられないんだ。」
俺はできる限り冷静な声色でいることに努めた。
「そうしなければ、代わりにお姉ちゃんが死ぬでしょう。」
俺は顔を強張らせた。
それもそのはずだ。愛する双子の娘、そのどちらかを選ばなければならないと、運命が告げていたのだ。
「お父さんに辛い選択をさせるつもりはありません。」
「じゃあなぜ、俺に言いに来たんだ……。」
声が震える。手もわなわなと震えていた。
「もう一つの選択肢を、与えるために来ました。」
そう言うと、葵の長い髪から黒い塊が、ボトリと、テーブルに落ちた。
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