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「なんだこれは……」
黒い塊はもぞもぞと蠢き、その真ん中に大きな目玉を覗かせた。
そして、なにか声のようなものを発した。
それはなにか不快な、心の奥のドス黒いなにかを穿り返すかのような、嫌な言葉だった。
「ちゃんと話してください。話さなければ、あなたの力にも、私達の力になってもらうこともできません。」
葵が謎の物体に話しかける。
これは……いまのは、話、喋っていたのか。一体なんなんだこいつは。葵は、一体なにを連れてきて、なにをしにきたんだ。
「高き眠りと低き怒り供物を捧げよ神の乳を血乳飲み子の乳は我の血よ産めよ穿てよ飲み干せよ神なる乳を捧げよ子よ」
なんだこれは……
この言葉は、脳が理解を拒んでいる。心がドス黒く染まっていくのがわかる。これ以上この言葉を聞いてはいけない。本能が警鐘を鳴らしていた。
耳を抑えて倒れ込む。
「もっとわかる言葉で喋りなさい――
――お父さん。顔を上げてください。」
葵に肩を叩かれ、耳から手を離し顔を上げる。
もうあの声は聞こえなかった。
「あー……あいうえお……きゃきゅきょ……」
「はい。それで大丈夫です。私達にも理解できる言葉ですよ。」
黒い物体と葵が会話していた。
黒い物体に口は存在していないように見えるが、しっかりと発声している。声は不気味にクリアだった。
「では、自己紹介を始めてください。」
「自己紹介か……。名前でも言えばいいか?」
葵がこくりと頷く。
「名前か……。『闇の心臓』とでも言っておこうか。」
闇の心臓は、少し目玉を俯かせて考える素振りを見せてから名乗った。
「『闇の心臓』ですか……。長いですね。あなたの名前は『シン』です。闇の心臓のシン。そう呼ぶことにします。」
「「は?」」
まさか、このよくわからない物体と同じ反応をすることになるとは思わなかった。
そして、我が娘ながらこの不気味な物体を前にして、いつもと調子が何一つ変わらないことに脱帽した。
「何か不服でも?」
葵は、有無を言わさぬ表情をしていた。
「ククク……クハハハハハハ」
途端に、『闇の心臓』……シンが目玉をにっこりと細めて笑いだした。
「やはり人間というものは面白いな。いいぞ。俺のことは好きに呼ぶといい。
しかし娘よ――」
「私の名前は葵です。人を呼ぶときはちゃんと名前で呼ぶようにしてください。相手に失礼です。」
葵がシンを遮って言う。
妻に似て、逞しく育ったと思う。それに比べて、姉の茜は俺に似て、少し寂しがりで臆病に育ってしまったかなというのは、俺の落ち度を形にしたというところなのだろうか。
「クハハ!葵よ。お前は俺と会話した人間の中で最も我儘だな。よくもまあ、俺を見て、俺の声を聞いて、そこまで豪胆な態度が取れるものだな。」
「あなたには人間との接し方を学んでもらわなければいけませんからね。言葉遣いはさすがに直らないかもしれませんけど、心の持ちようや礼儀くらいは学んで、実践してもらいますよ。」
シンは、葵が気に入ったようで、終始笑っていたように思えた。
「で、自己紹介の続きだな。俺はこの世界のモノではない、ということは察しが付くだろう。そっちの……お前はなんていう名前なんだ?」
「そうですね。名前で呼ばないと失礼ですからね。よくできました。」
葵がシンの頭……なのかわからないが、体の上の部分を撫でる。シンもまんざらではないようで、目玉を細めていた。
妻も生前はよく叱り、よく褒める人だった。その教育方針は、娘にしっかり受け継がれているようだ。
「俺は琴葉真治。葵の父親だ。」
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