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「新作が、全ッッッッッ然思いつかないんだよな。なんだろうなこれ。なんか美味いものでも食うしかないんじゃないかと思って」
アンティーク調のダイニングチェアに座り、大きな身振り手振りで苦悩を訴えている大柄な男。
顔立ちはくっきりと鮮やかで、イケメンと呼ばれる類だ。浅黒い肌にきらきらと光る黒目。鼻の下と顎に髭を残しているのが、粗削りで男くさい印象。髪は赤地にペイズリー柄のバンダナできっちりとまとめている。服装は一番上のくるみボタンを外したコックコート。
イメージ的には海賊船のコック。もしくは砂漠の盗賊。
リストランテ・フェリチータのシェフ高木英司。
いかにも、自分の店の休憩時間に抜け出してきたという風情だ。
ランチタイムのピークを終えた、夜の営業までのわずかのアイドル・タイム。
一方、苦悩を訴えかけられているのは、茶色っぽい髪に眼鏡の青年。崩れたところのないコックコートを着て、昼食のまかないカルボナーラをもくもくとフォークで口に運んでいる。
うるせえな、と顔に書いてある。
「高木シェフ。用事がないなら、お帰りはあちらです」
うるせえな、を極めて穏当な表現に落とし込んで、黒シャツにソムリエエプロンの蜷川伊久磨がエントランスを立てた親指で指し示した。
「用事はあるよ~~~~、あるよ~~~~、あるんだな~~~~」
腕を組んで、ぐいっと椅子の背もたれに背を預けて高木は声を張り上げる。本人は普通に話しているのかもしれないが、とにかく声が大きい。空気がびりびりと震える。
「英司がいると、埃が立つんだよなぁ……」
コップの水をぐいっと飲んで、眼鏡の青年が言った。
レストラン「海の星」オーナーシェフ、岩清水由春。
迷惑千万といった顔をしているが、当の高木はまったく意に介していない。
「埃? 綺麗なもんじゃないか、この店。業者入れないでここまで掃除完璧なんて、由春らしいぜ。従業員三人だけなんだろ? ん、よほど暇なのか? 掃除するしかやることがない日でもあるのか?」
夜の予約確認のため、隣の席でノートパソコンを開いていた伊久磨は真顔になり、今一度「お帰りはあちらです」を言いそうになった。
(暇はない。隙間時間程度ならあるが、従業員三人でまわしているレストランで、暇はない)
レストラン「海の星」。
大正末期、外国人の建築士によって設計されたらしい瀟洒な建物で、ステンドグラスがはめ込まれたエントランスを抜けると、アンティークの家具類が店内のそこかしこに品よく並べられている。
テーブル数は多くない。
席ごとに、少しずつ意匠の違う凝ったペンダントライトが下がり、観葉植物で適度に目隠しされている。
価格帯は、近隣の店に比べれば「高級」と言って良いだろう。それでも、最近ではランチは満席、夜もそれなりに席は埋まっている。普段使いというよりは、記念日デートや接待の席が多い。
現状、オーナーシェフの由春とパティシエと接客担当の伊久磨の三人だけで営業している。
その為、ランチとディナーの間はクローズ。普段なら、この時間帯だけは、店内はひっそりと静まり返っているはずなのだ。
「新作が思いつかないっていうのは、なんだ。グランドメニューチェンジでもいれるのか」
一応相手にするつもりはあるらしい由春が、気の無い様子で高木に問いかける。
「そういうわけでもないけど、新年だし? こう、看板メニューっていうのかな」
「チーズフォンデュのキャンディ包み生パスタは上手いぞ」
リストランテ・フェリチータのスペシャリテ。とろとろのチーズフォンデュを、もちもちの生パスタでくるんで、セロファン包みのキャンディのように両端をきゅっと絞って皿に並べた料理。パスタの生地も凝っていて、ピンクと白のストライプやドット柄など、その時々で可愛らしい模様が入っている。
「そうなんだけど、こう、何か……。さらに可愛い一品が欲しいんだよなぁ」
高木は大柄な上に動作が雑なので、足を組み直した拍子にがつんとテーブルの脚を蹴り上げていた。
由春の表情が険しくなる。
「高木シェフ、本当に可愛いものが好きですよね……」
横で聞いていた伊久磨は、しみじみと言ってしまった。
うんうん、と頷きながら高木は顎髭を指で扱きつつ笑顔で言った。
「好きだねえ。オレってほら、悪人面~なんて言われることもあるし、この年末年始も留置所だったけど、根は良い奴だからね~」
しん。
静まり返った。
「えっと……つっこむべきなんですか?」
どこに? どうやって? 何を?
混乱しながら伊久磨が聞くと、「ん?」と抜群の愛想の良さで高木が目を向けてくる。そこから、ばちっと片目を瞑ってウィンクまでされてしまった。
な・ん・で・も・聞・け・よ★
アイコンタクトはわかったが、背筋がぞくぞくしただけだった。
「あんまり興味はないんですけど」
思わず本音を口走ったが、高木は聞いていない。
「年末に店閉めて、実家に帰ったんだけど。高速を走っているときに、後続車にやけに煽られて」
「真冬の高速道路で煽り運転。悪質ですね」
話し始めてしまった。
伊久磨はひとまず頷いて、先を促す。
(ん? でも捕まったのって高木シェフの方なんだよな?)
「車に猟銃積んでたから、構えてみせたんだ。向こうが追い越すタイミングで、こっち見てたから」
ハンドルは? ハンドルはそのときどうなってましたか?
聞きたかったが、咄嗟に声が出なかった。
いま現在生きているということは、事故は起こさなかったということなのだろうが。
高木は伊久磨の緊張を気にした様子もなく、気持ちよさそうに話を続けていた。
「実家に着いたら、家の周りにパトカーが詰めかけていて、何かあったのかと思って車下りたら、こう、ライトぴかっと当てられて『手を上げて投降しなさい!!』って。よくわかんねぇなと思って手を上げて歩き出したら、親父と母親がいてさ。『お、無事か。殺人事件でもあったのかと思ったぜ』って言ったら、『お前何してんだああああああ』っていきなり騒がれて。帰省して来た息子に何びっくりしてんだって思ったんだけど、その場で警察に取り押さえられた。どうも『銃を持った男が高速を走ってる』って、車のナンバー通報されていたらしいんだ。それで実家に先回りしていたんだから、警察もなかなか優秀だよなぁ」
鷹揚。
に、笑っている。
伊久磨としては、笑いどころがよくわからない。
(あったか? いまの話、和やかに笑うポイントどこかにあったか?)
由春はといえば、椅子に座ったまま安らかに目を閉ざした。寝たふりだ。
自分も寝ていれば良かった、と思ったが時すでに遅し。嫌々相槌を打つ。
「それで、留置所ですか」
「なんかね。結構長く感じた。年末年始丸つぶれだから」
「まだ入っていても良かったんじゃないですか。なんで出て来たんですか。あったか~い感じで話してますけど、きちんと頭冷えましたか? バケツに外の雪つめてきますから、ちょっと頭突っ込んでみましょうか」
声の温度もまなざしも氷点下になってしまうのは避けようもない。
さすがに冷ややかさは伝わったのか、高木は大きな体をわざとらしく震わせ、自分の肩を抱く仕草をした。
「冷たいな」
「危険運転するような人にはこれでも足りないくらいです。警察の皆さまにも年末年始申し訳がなく……」
嫌味もたいがいに、絶句してしまう。迷惑過ぎる。
伊久磨の絶大な非難を感じたのか、高木はさすがに神妙な顔になって言った。
「運転していたのはオレじゃない。彼女を親に紹介するつもりで一緒に帰ったんだ」
「でも高木シェフはそのまま警察のお世話になった、と」
「そう。一人で放り出されても困るって彼女すげぇ怒ってた」
たまりかねたように、目を閉ざしたままの由春がぼそりと「それはお前が悪すぎる」と言った。伊久磨もドン引きしつつ問いかける。
「もうなんて言っていいものやら……。彼女は大丈夫なんですか」
高木は笑顔のまま首を振った。
「もう、全然だめ。別れるって騒いでいる」
「しっかりした彼女さんだと思います。正解です」
伊久磨の言葉に、由春も力強く頷く。
全然凹んだ様子も見せずに、「そこでだ!!」と高木は高らかに言い放った。
「今度お詫びとプロポーズを兼ねて『海の星』に予約を入れようと思う!!」
「兼ねるな」
ノータイムで、由春が言い返す。
唖然としたまま伊久磨も高木を見つめてしまった。
「一つずつ解決した方が良いと思います」
「二回予約入れろって? 高いじゃん『海の星』」
……店内で修羅場になられても困るし、修羅場になられたあげく(フォローして!!)みたいなキラーパスを出されても困るし、できればよそに行ってほしい。切実に。
言いたいことはたくさんあったが、伊久磨は唾を飲み込んで、ゆっくりと言った。
「予約日時ご希望があれば空きは調べますが……。兼ねないでくださいね? できれば解決済みのまっさらな状態でプロポーズだけ海の星でして頂けるとありがたいんですが」
「いや~難しいな……」
んんん、と唸りながら高木は腕を組む。
「その状態で結婚しようとするなよ……」
疲れ切った様子で、片目だけ開けた由春が言う。もっともすぎる。
「ま、そんなわけだからさ。予約頼む!! ほら、由春の料理食べたらオレも新作思い浮かぶかもしれないしさ~。それをお前らがうちに食べにくればwin-winだろ!?」
そうかな。
冷静に考えそうになったが、伊久磨はパソコンの画面に目を向けて「希望を言ってください。調べます」と仕事に徹することにした。
そこから、予約を詰めた。彼女の誕生日も近いと高木が言い出し、由春が今一度「兼ねるな」と言ったが、「当日は自分の店でやるから、そこはちゃんとしている」と妙に自信満々に言い返されていた。
デザートはバースディ仕様でとか。サプライズには薔薇の花束をとか。
途中から由春も真剣にメニューの話を始めて、いつの間にか夜の営業も間近の夕刻。
「おっと、オレも仕込みあるから店戻るわ!!」
陽が傾いた中、高木は慌てて出て行った。
「長かった。夜の準備しないと」
伊久磨も由春もバタバタと立ち上がる。
持ち場に戻る前に、由春と目が合った。
「結局、新作の話はどうなったんですかね、高木シェフ」
予約の話だけになってしまった、と思いながら呟くと、由春が小さく笑った。
「はじめから予約したかっただけだ。言い出しにくかったんだろうな。遠まわしに、謎かけみたいなことしやがって」
子どもみたいだ、と思ったのは由春に伝わってしまったらしい。とん、と肩を叩かれる。
「うちの店が、同業者にプロポーズの場に選ばれるのは光栄だな。あいつの為というより、彼女の為に全力を尽くしたいところだが……」
不意に言い淀む。今度はその意を汲んで、伊久磨がぼそりと言った。
「問題は、彼女が結婚したいかどうかですよね。うまくいかせすぎて結婚したはいいけど、すぐに離婚なんてなったら」
「考えるな」
由春も悩むところなのだろう、迷いを振り切るように言って、テーブルの上に置いていたスマホを手にし、画面に目を落とす。
「おっと、本格的にやばい。仕事戻るぞ。夜の営業にかかってくる」
ランチとディナーの間、レストランの遊休時間は、予約の相談で終わり。休む間もなく今日も夜の営業が始まる。
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