04.8月

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04.8月

「じゃあ、行ってきまーす。」 「はい、行ってらっしゃい。頑張ってね。」 「うん、頑張ってきます。」 「おはよー、えー、お姉ちゃん、何?あ、合宿だっけ、今日から?」 まりが寝ぐせのひどい頭で顔を出す。 「そうよ、ねぼすけ。受験の夏なんだから、あんたも頑張れ。」 「うへー、お姉ちゃん、ママそっくり。」 「あはは、じゃね。行ってきます。」 私はボストンバッグとリュックサックを持って、すでにギラギラした日差しの中に足を踏み出した。空は真っ青、蝉たちも快調に朝のコーラスを始めている。さあ、合宿だ。よし、頑張ろう。まず校庭に集合して、顧問から注意事項を受ける。1年の後輩たちは神妙に聞いている。そうか、3年の先輩たちは現地集合だったな、とぼんやり思っていると、急に大勢の男子の声がして、辺りが騒がしくなった。隣に立っていた部長の由美が、 「やった、ラッキー。」 と小声で言うのが聞こえる。 「何が?」 私も小声になって聞く。 「だって、あれ見てみなよ。今日からサッカー部も合宿みたい。」 由美が言った方向を見る。我ながら、すぐに反応するところが情けない。でもあっという間に見つけられるのだ、金色の光のようなナイトのことを。笑いながら、リフティングをしている。私服姿を初めて見た。アディダスの黒に白のラインが肩に入っているTシャツに、ブラックジーンズ。黒髪と黒い瞳が一層引き立つ。 「私服見られるなんて、さらにラッキー。」 由美の声で、我に返る。顧問に意識を戻すと、ちょうどバスへの移動を指示しているところだった。荷物を抱え、最後に一度だけと振り返った。そのすっと伸びた背中を見つめた。 バスで2時間ちょっと、毎年お世話になる南相木村の宿に着いた。空気がひんやりして、山の緑でむせかえりそうだ。荷物を解いて、食堂に移動する。スケジュールが発表になる。今日から金曜まで4泊5日だ。毎朝6時からストレッチ&ランニング、7時から朝食。8時半から戦型別練習(私は前陣速攻)。昼食をはさんで、小一時間ランニング。それから全体練習、最後の1時間は実戦。木曜日はシングル、金曜日は混合ダブルスの部内トーナメント。毎年大体同じ内容だ。去年はついていくだけで必死だったけど、今年は副部長だし部全体に責任がある。木曜日の夜はこれまた恒例の肝試し大会だ。金曜日に組む混ダブの相手同士で、近所のお寺のお墓に行くのだ。これも1年目はドキドキしたけれど、2年目だと大体様子もわかるから余裕がある。 合宿の時の早朝ランニングが好きだ。薄青い夏空の下、澄み切った空気を胸に吸い込みながら走る。夏草の緑がまぶしい。私は東京のど真ん中で生まれ育ったから、勿論東京が一番好きだ。けれど、毎年訪れる、この静かで透明な夏の空気の長野も大好きだ。きっと大人になっても思い出すんだろうな。その時どんな気持ちになるんだろう。そんなことを思いながら走っていると、由美が隣に来た。 「麻、今回の合宿絶好調じゃん。」 「そうかな。まあ2年だしね。そういえばOGたちっていつ来るんだっけ?」 「ああ、水曜の夜らしいよ。」 「今年は最強学年だった小笠原さんたちが来るんだよね。」 「うん、そう。私たちを潰しにかなあ。負けたくないね、現役の意地にかけても。」 負けず嫌いの由美の目がきらりと光る。 「んだね。じゃあ私たちで決勝戦をいただくってことで。」 ハイタッチをして、走り続ける。 そうだったのに、その日の午後の練習で由美が足首を捻挫してしまった。責任感の塊でもある由美は、翌日も同じ練習メニューをこなすと言い張り、私たちは必死に止めた。でも涙をためながら「絶対に最終日まで頑張る。」という由美を説得出来ず、男子部長の坂本君に任せた。坂本君は静かで穏やかだけれど、芯が強く譲らないところは譲らない。私たち女子部員は、昨日までの勢いがなくなり、由美のことを思って沈んでいた。遅くなってやっと由美が部屋に戻ってきた。目が腫れている。 「どう、落ち着いた?」 「うん、坂本君と話して、とりあえず明日は一日休む。でも木曜と金曜は出る。」 「わかった。私がカバー出来ることはやるからね。」 「うん、ありがと。迷惑かけてごめんね。」 涙が一粒落ちる。 「大丈夫だって、たまには私の出番でもないと、名ばかり副部長で終わるわ。」 由美は少し笑った。ちょっとホッとした。 翌日の戦型別、スマッシュ100球練習で、3個ボールを叩き割った。ネット間際い上がるボールをほぼ垂直に叩き付けると時の気持ちよさと言ったら。でも危うくラケットも、卓球台に打ち付けて割りそうになってしまった。危ない、危ない。明日はトーナメントなんだから。 木曜日の個人トーナメントは、くじ引きで対戦相手が決まり、私は上り調子だったのもあり決勝まで勝ち上がった。相手はやはりと言うか、カットマンの小笠原さんだ。カットマンか、うーん、好きじゃないんだよなあ。華麗に舞って、拾われまくって、こっちばかり疲れる。その隙に攻撃まで仕掛けられるんだから、たまったもんじゃない。私は性格から言って絶対に前陣速攻だ。3球目でスッキリ決めたい。決勝戦は久しぶりに現役対OGとなったことで、ちょっと異様な雰囲気だった。皆が私たちの一球一球を固唾を飲んで見守っているのだ。あと3点とればゲームセットなのに、粘られてラリーが10球以上続いたところで、小笠原さんが 「打ってきなさいよ。」 と言った。よし、なら絶対にとれない所に決めてやる。私は渾身の力を込めて、スマッシュをコーナーに放った。 「これで満足?」 言っちゃった。あー言っちゃった。みんなが息を飲んだのがわかったけど、気分は最高だった。そして勢いで3連続得点を奪い、私はその夏の女王になった。由美がちょっと悔しそうに、でも「おめでとう。」と抱きついてきた。私はVサインを高々と掲げた。 夕食時に、賞品(ラケット用スプレー)を貰い、改めてみんなが拍手をしてくれた。 「さあ、この後はお待ちかねの混ダブくじ引きです。」 と坂本君が言い、くじの入った袋を回し始めた。毎年意外な組み合わせがあって盛り上がる。今年はなんと、由美と坂本君がペアになった。みんなが口々に 「こりゃーもう決まったな。」 「現役両部長のペアなんて、今まであったっけ?」 「じゃあ俺らは準優勝を狙うってことで。」 等と言っている。私はダブルスは本当に勝てないのだけど、お気の毒な相棒は、同じ前陣速攻の1年生の佐藤だった。色が白くて細くて髪の毛が茶色で、もうともかく全体的に色素が薄い。 「佐藤、宜しくね。」 と握手をしに行くと、周りの1年が 「うおー、佐藤責任重大。女王と組むんだからなあ。」 と騒ぎ、佐藤の肩を軽く小突いている。私は佐藤の細い手を握ると(冷たかった)、 「大丈夫、私混ダブ勝ったことないから。」 と胸を張って言った。 「先輩、そこ胸張ることですか?」 1年たちはいちいち騒ぐ。まあこの間まで中学生だったんだから仕方ないか。 そしてそのまま肝試し大会となった。 「佐藤、行こう?」 振り返って見ると、なんと顔色が悪い。 「大丈夫?具合悪い?」 「いや、大丈夫です。」 「そう?無理ならやめといて良いんだよ、こんなの。ただのお楽しみなんだから。」 「大丈夫、行きます。」 「そう、なら私の手握って。」 私は手を突き出した。 「えっ…」 「良いから、ほら。」 私は佐藤の手を引っ張った。相変わらず真夏なのに氷のように冷たい。 「佐藤、いつも手、冷たいの?」 私は歩きながら聞いた。 「いや、そんじゃないと思うんですけど。緊張してるのかも。」 「緊張?大丈夫だよ、こんなの。小さなお寺のお墓を巡るだけだから。怖い?」 「いや、お墓じゃなくて。」 「違うの?じゃあ何?」 「いや、先輩が。」 「はあ?あんた、私が怖くて緊張してるっていうの?」 「いや、そうじゃなくて。」 「そうじゃなかったら何なのよ。はっきりしゃべんな。」 「いや、だから、今日優勝した先輩と組むなんて緊張するっていうか。」 「はー、そんなこと?今日のはたまたまなんだから、しかもさっき私が言ったの聞いたよね?混ダブで勝った試しがないっていうの。」 「はい。」 「だから緊張なんてしなくて良いって。大丈夫。」 そう話しているうちに、佐藤の手が少しづつ温まってくるのがわかった。 「あー良かった。あんたの手、少し温かくなってきたね。」 「あの、先輩。」 「何?」 「明日、僕頑張ります。」 「そう?そりゃ助かるわ。じゃあ初の1勝狙うか。」 「はい。」 翌日、なんと私たちは2勝もした。昨夜のせいか、佐藤との息も合い、お互いのスマッシュが決まるたびにハイタッチをした。でも3戦目は、優勝候補の部長ペアにぼろくそだった。ぼろくそだったけど、しおれていた由美が元気を取り戻したのが何より嬉しかった。 「佐藤のおかげで私史上初の混ダブ2勝、ありがとね。嬉しい。」 「いや、とんでもないです。こちらこそ有難うございました。あの、先輩」 「ふん、何?」 「時々先輩のところに聞きに言って良いですか、戦型のことで。」 「もちろん、いいよ。来年は君たちの代だもんね。私で助けられることなら何でも。」 私はにっこりした。以来、佐藤は時々教室に来るようになった。でもその度に、廊下側の席のゴールドが(なぜかこいつはいつも廊下側だ)、 「ブルー、お坊ちゃまがいらっしゃったぞー。」 と大声でがなるのには閉口したけど、佐藤が毎回ビビるのが笑えた。一回は、廊下の窓から顔をこちらに出して喋っているナイトがいた時で、小柄な佐藤がさらに驚いた様子でナイトを見上げるのが見えた。きっとナイトのあまりの長身ぶりにだ。 「ゴールド、お坊ちゃまって誰?」 「ああ、最近よくブルーのところに来んだよ。なんか同じ卓部の1年らしい。」 「ふーん、結構よく来るの?」 「うん、そうだな。夏以来結構頻繁だな、そういえば。おし、聞いてみっか。」 止める暇もなく、ゴールドは大声を出した。 「ブルー、なんでお坊ちゃま、お前のとこ来んの?」 「はあ?部活の後輩だからに決まってんでしょ。」 「でも最近特によく来てね?」 可哀そうに佐藤の耳は真っ赤だ。だよね、ゴールドのがさつさに慣れてないんだから。 「ゴールド、佐藤をいじめるな。可愛い私の後輩なんだから。」 「可愛いっつったってなあ、野郎には変わりねえよなあ。なあナイト?」 「え?いや、でも後輩なら俺のところにもよく来るし。」 俺はお坊ちゃまと話す紺野さんを見た。すっかり先輩の横顔になっている。きりっとして、でも優しそうな表情で。お坊ちゃまは、俺たちから見ると紺野さんに憧れているのが丸わかりの表情で、真剣に頷いている。きっとでも、紺野さんは何も気づいてないんだろう。俺は、ゴールドがそっとしておいてくれることをお坊ちゃまのために祈った。
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