01.5月、体育祭前

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01.5月、体育祭前

「よっちゃん、俺やる、やるわ、アンカー。」 「金子、お前はいいから勉強してくれ、頼むから。」 「じゃあさ、俺のほかにブルーも。いいじゃん、そうしたら練習の合間に勉強教えてもらえるしよー。」 「教えないって。それに私、ハードルに出るんだもん。」 「良いじゃん、減るもんじゃないし。出よーぜ、俺と一緒にリレー。高校生活最後のフィナーレを共に飾ろう。」 「あんたと飾りたくなんかないし。」 必死の抵抗を試みる。でもいつものごとく、ゴールドはこっちの言う事なんか聞いちゃいない。 「ってことで、俺とブルーでリレーやりまーす。」 「じゃあ、まあ紺野、悪いが金子を頼むわ。」 「ちょ、待って下さい、先生。」 「はい、じゃあみんな俺とブルーに拍手。」 「待ってってばー。」 でももうみんなに拍手され、私の抗議の声はかき消されてしまった。 「お姉ちゃん、リレーやるんだって?」 家に帰ると、まりがバナナケーキを頬張りながら聞いてくる。 「早っ、何なのその情報網。」 「えー、だってゴールドさんがうちのクラス来て、リレーのメンバーに気合入れてったからさ。何か、俺とブルーに恥かかすんじゃねえぞ、とか言ってた。」 「あいつ…1年相手に凄んでどうするよ、情けない。」 「でも、私ら青組だから、アンカーはナイトさんなんだよ。ゴールドさん、結局謝りながら帰って行ったけど、憎めないよねえ。あれはあれで可愛いっていうか。知ってる、お姉ちゃん、ゴールドさんって1年にも人気あるんだよ。まあ、ナイトさんとは比べようもないけどさ。でもあー青組ラッキー、ナイトさん最高にカッコ良いだろうなあ。たすきかけてるところなんて、よだれ出ちゃう。」 「ナイト、って、水木君?」 「他にいないじゃん。そうだよ、お姉ちゃんとゴールドさんのライバル。」 「ライバルって。でもそうか、青組はナイトなのか。」 「凄いだろうねえ。きっと何組関係なく女子みんな、かぶりつきでナイトさんを応援するだろうから。」 そこへ、母がバナナケーキのおかわりをよそったお皿を持ってきた。 「おかえり、麻。あんたの大好物のバナナケーキ作っといたわよ。手洗ってきて、お上がりなさい。」 「うん。」 私は急いで部屋に行き、カバン一式を置き、お弁当箱と水筒を持ってキッチンに行く。手を洗い、お弁当箱類を洗い、やっとケーキにありつく。 「美味しい」 つい満面の笑顔になってしまう。母のバナナケーキは最高だ。レモンもきいてるし、何よりバナナの量が半端なく、ずっしりと重い。 「で、麻、あんたリレーやるの?」 ダージリンを淹れながら母が訊いてきた。 「うん、成り行きでさあ、ゴールドが押し切った。」 「あはは、またゴールド君?あんたたち、本当に仲が良いわねえ。」 「うえー、やめてー。あいつは単なるケンカ相手。まったく3年間同じクラスだなんて、腐れ縁も良いとこ。」 私は、フォークで大きくケーキをひとかけ切り取って口に放り込む。本当に美味しい。 「で、何、まり、あんたのチームは誰がアンカーだって?」 母がまりにおかわりを切り分けながら、聞く。 「ナイトさん!」 ハートが飛び散りそうな勢いで、まりが答える。 「ナイト君って、あの伝説の水木君だったかしら?」 私はびっくりした。 「お母さん、よく知ってるね。」 「だって、まりが毎日、やれナイトさんに会えた、ナイトさんの笑顔を見た、ナイトさんが云々って、入学以来名前を聞かない日はないからねえ。なのに、そう言えば、同じ学年の麻からは殆ど聞かないわね。仲良くないの?」 バナナケーキがいきなりつまる。 「ママ、ナイトさんと仲が良いってことは付き合ってるってことなんだよ!なんだっけ、門前市をなす?ともかく東京中の女子たちが集まってくるんだから。」 「あらあらまあ、さすが伝説ねえ。そんなに素敵なの?」 「うん、もうママだってうっとりしちゃうよ。こんな人本当にいるんだって、私初めて見た時びっくりしちゃったもん。」 「あらまあ、そんなに?」 「うん、もうその辺のアイドルとか目じゃない感じ。」 「パパより素敵なのかしら。」 お母さんはぶつぶつ言い始める。まったくお母さんにとってはいまだにパパが一番に見えるらしい。少々くたびれている商社マンのパパが。 「ほら、まり落ち着きなよ、ケーキが飛び散ってるじゃん。」 私はむすりと言う。 「でも何でかお姉ちゃんは少しも興味ないんだよね、ナイトさんに。不思議ー。あ、でもお姉ちゃんにはゴールドさんがいるもんね。」 「いないし。まり、あんた、変なこと流したら許さないかんね。」 「わかったわかったって。さあ、お姉さま、もう一切れいかが?」 全くまりったら。本気でゴールドを彼だと思っていかねない。 「という訳で、今日から夕食後走ってくるわ。」 「あら、そうなの?遅くならないように、気を付けてね。」 夕食後、私は卓球部のジャージに着替えた。7時半までには帰ってこよう。あんまり暗くなるのは嫌だから。代官山から恵比寿方面に、それから渋谷に抜けようかな。今日は様子見だからゆっくりと思ったのだけれど、卓球部も引退間近だから、練習量もぐっと減っていて身体がなまっている。思ったより動かない。はーきついなあ、ゴールドの馬鹿たれ。何だってあいつは、いつも私の足を引っ張るんだろう。腕に付けているウォークマンの音量を上げる。私の人生のテーマ曲、ロッキーだ。うーん、やっぱりこの曲は良いなあ、頑張れる。フィラデルフィアの美術館の階段を駆け上るロッキーをイメージしながら、歩道橋を駆け上がる。でもやっぱりきつい。 歩道橋の上で一休みし、暮れかかる太陽を見ていたら、「あれ、紺野さん?」とはるか上から声が降ってきた。私を紺野さんと呼ぶ数少ない男子の中で、こんなに私の心に響く声を持つ人は一人しかいない。見上げると、やっぱりナイトが微笑んで立っていた。サッカー部の練習着を着ている。修学旅行以来ずっと封印してきた人。驚きすぎて声が出ない。ナイトは微笑んだまま、 「走ってるの?卓球部の練習?」 と聞く。私は鳴り響くロッキーのテーマを慌ててオフにして、イヤフォンを外す。 「いや、リレーの練習。水木君は?」 声がかすれる。 「俺はいつもこの辺走ってるから。」 「そうなの?」 「うん、部活の後に。で、紺野さんはリレーの練習なの?」 「うん、ゴールドのバカのせいで(あ、ひどいこと言っちゃった)、リレー出ることになっちゃって。緑組の。ゴールドはアンカーで。」 「そうか。紺野さんとゴールドは仲良いからな。」 ナイトは何となく楽しそうに言う。 「水木君は青組のアンカーなんだって?」 「良く知ってるね。うん、そう。」 「みんな騒いでたから。うちの高1の妹ですら。」 「ああ、妹さんいるんだっけね。」 「そう、入ったばっかり。」 「俺の妹も高2にいるよ。」 「あ、そうなんだ。」 沈黙が落ちる。薄青の空に半月が上り始める。 「今日は半月か。」 ポツリと横の人が言ったので、ビックリして横顔を見上げた。 「どうかした?」 「いや、何だか男子から月の話が出るなんて不思議で。」 「そうかな。俺、小さい時から月がずっと好きで、今も毎晩見るんだ。」 「そうなんだ。私も満月大好き。バターボールみたいに金色の塊が上がっていくところが。」 「バターボール?」 クスリとナイトが笑う。笑われる度にどんどん顔が赤くなっている、気がする。封印していたはずなのに。 「そろそろ帰らないと、暗くなってきたから。」 「送ろうか?」 「ううん、大丈夫。じゃあね。」 はー、ビックリした。こんな偶然があるなんて、ありえない。 「紺野さん、」 後ろから声が追いかけてきて、驚いて振り向く。 「ずっとここら辺走るつもり?」 「どうかな、今日は試しだったから。」 「そうか。じゃあ気をつけて。」 「うん、水木君も。」 私は薄闇の中、手を振った。薄闇だからナイトの綺麗な瞳も見つめられた。とても久しぶりに。漆黒の黒が深くなっていた。思ったよりも遅くなってしまったので、きつかったけれどスピードを上げて帰った。 「遅かったじゃない。もう少し早く帰ってこないと。」 マンションの玄関のところで心配そうに待っていた母に怒られた。 「ごめんね。友だちに会ったもんだから、ちょっと喋ってて遅くなっちゃった。次からはもっと早く出て、早く帰ってくるね。」 「うん、そうして。お母さん、心臓がずっとドキドキしてたのよ。あら、麻、そんなに走ってきたの、顔が赤いじゃない。」 「えっ、そう?何でだろ。」 私は慌ててエレベータのボタンを押した。ナイトの瞳を思い出しながら。
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