101人が本棚に入れています
本棚に追加
01.5月、体育祭前
「よっちゃん、俺やる、やるわ、アンカー。」
「金子、お前はいいから勉強してくれ、頼むから。」
「じゃあさ、俺のほかにブルーも。いいじゃん、そうしたら練習の合間に勉強教えてもらえるしよー。」
「教えないって。それに私、ハードルに出るんだもん。」
「良いじゃん、減るもんじゃないし。出よーぜ、俺と一緒にリレー。高校生活最後のフィナーレを共に飾ろう。」
「あんたと飾りたくなんかないし。」
必死の抵抗を試みる。でもいつものごとく、ゴールドはこっちの言う事なんか聞いちゃいない。
「ってことで、俺とブルーでリレーやりまーす。」
「じゃあ、まあ紺野、悪いが金子を頼むわ。」
「ちょ、待って下さい、先生。」
「はい、じゃあみんな俺とブルーに拍手。」
「待ってってばー。」
でももうみんなに拍手され、私の抗議の声はかき消されてしまった。
「お姉ちゃん、リレーやるんだって?」
家に帰ると、まりがバナナケーキを頬張りながら聞いてくる。
「早っ、何なのその情報網。」
「えー、だってゴールドさんがうちのクラス来て、リレーのメンバーに気合入れてったからさ。何か、俺とブルーに恥かかすんじゃねえぞ、とか言ってた。」
「あいつ…1年相手に凄んでどうするよ、情けない。」
「でも、私ら青組だから、アンカーはナイトさんなんだよ。ゴールドさん、結局謝りながら帰って行ったけど、憎めないよねえ。あれはあれで可愛いっていうか。知ってる、お姉ちゃん、ゴールドさんって1年にも人気あるんだよ。まあ、ナイトさんとは比べようもないけどさ。でもあー青組ラッキー、ナイトさん最高にカッコ良いだろうなあ。たすきかけてるところなんて、よだれ出ちゃう。」
「ナイト、って、水木君?」
「他にいないじゃん。そうだよ、お姉ちゃんとゴールドさんのライバル。」
「ライバルって。でもそうか、青組はナイトなのか。」
「凄いだろうねえ。きっと何組関係なく女子みんな、かぶりつきでナイトさんを応援するだろうから。」
そこへ、母がバナナケーキのおかわりをよそったお皿を持ってきた。
「おかえり、麻。あんたの大好物のバナナケーキ作っといたわよ。手洗ってきて、お上がりなさい。」
「うん。」
私は急いで部屋に行き、カバン一式を置き、お弁当箱と水筒を持ってキッチンに行く。手を洗い、お弁当箱類を洗い、やっとケーキにありつく。
「美味しい」
つい満面の笑顔になってしまう。母のバナナケーキは最高だ。レモンもきいてるし、何よりバナナの量が半端なく、ずっしりと重い。
「で、麻、あんたリレーやるの?」
ダージリンを淹れながら母が訊いてきた。
「うん、成り行きでさあ、ゴールドが押し切った。」
「あはは、またゴールド君?あんたたち、本当に仲が良いわねえ。」
「うえー、やめてー。あいつは単なるケンカ相手。まったく3年間同じクラスだなんて、腐れ縁も良いとこ。」
私は、フォークで大きくケーキをひとかけ切り取って口に放り込む。本当に美味しい。
「で、何、まり、あんたのチームは誰がアンカーだって?」
母がまりにおかわりを切り分けながら、聞く。
「ナイトさん!」
ハートが飛び散りそうな勢いで、まりが答える。
「ナイト君って、あの伝説の水木君だったかしら?」
私はびっくりした。
「お母さん、よく知ってるね。」
「だって、まりが毎日、やれナイトさんに会えた、ナイトさんの笑顔を見た、ナイトさんが云々って、入学以来名前を聞かない日はないからねえ。なのに、そう言えば、同じ学年の麻からは殆ど聞かないわね。仲良くないの?」
バナナケーキがいきなりつまる。
「ママ、ナイトさんと仲が良いってことは付き合ってるってことなんだよ!なんだっけ、門前市をなす?ともかく東京中の女子たちが集まってくるんだから。」
「あらあらまあ、さすが伝説ねえ。そんなに素敵なの?」
「うん、もうママだってうっとりしちゃうよ。こんな人本当にいるんだって、私初めて見た時びっくりしちゃったもん。」
「あらまあ、そんなに?」
「うん、もうその辺のアイドルとか目じゃない感じ。」
「パパより素敵なのかしら。」
お母さんはぶつぶつ言い始める。まったくお母さんにとってはいまだにパパが一番に見えるらしい。少々くたびれている商社マンのパパが。
「ほら、まり落ち着きなよ、ケーキが飛び散ってるじゃん。」
私はむすりと言う。
「でも何でかお姉ちゃんは少しも興味ないんだよね、ナイトさんに。不思議ー。あ、でもお姉ちゃんにはゴールドさんがいるもんね。」
「いないし。まり、あんた、変なこと流したら許さないかんね。」
「わかったわかったって。さあ、お姉さま、もう一切れいかが?」
全くまりったら。本気でゴールドを彼だと思っていかねない。
「という訳で、今日から夕食後走ってくるわ。」
「あら、そうなの?遅くならないように、気を付けてね。」
夕食後、私は卓球部のジャージに着替えた。7時半までには帰ってこよう。あんまり暗くなるのは嫌だから。代官山から恵比寿方面に、それから渋谷に抜けようかな。今日は様子見だからゆっくりと思ったのだけれど、卓球部も引退間近だから、練習量もぐっと減っていて身体がなまっている。思ったより動かない。はーきついなあ、ゴールドの馬鹿たれ。何だってあいつは、いつも私の足を引っ張るんだろう。腕に付けているウォークマンの音量を上げる。私の人生のテーマ曲、ロッキーだ。うーん、やっぱりこの曲は良いなあ、頑張れる。フィラデルフィアの美術館の階段を駆け上るロッキーをイメージしながら、歩道橋を駆け上がる。でもやっぱりきつい。
歩道橋の上で一休みし、暮れかかる太陽を見ていたら、「あれ、紺野さん?」とはるか上から声が降ってきた。私を紺野さんと呼ぶ数少ない男子の中で、こんなに私の心に響く声を持つ人は一人しかいない。見上げると、やっぱりナイトが微笑んで立っていた。サッカー部の練習着を着ている。修学旅行以来ずっと封印してきた人。驚きすぎて声が出ない。ナイトは微笑んだまま、
「走ってるの?卓球部の練習?」
と聞く。私は鳴り響くロッキーのテーマを慌ててオフにして、イヤフォンを外す。
「いや、リレーの練習。水木君は?」
声がかすれる。
「俺はいつもこの辺走ってるから。」
「そうなの?」
「うん、部活の後に。で、紺野さんはリレーの練習なの?」
「うん、ゴールドのバカのせいで(あ、ひどいこと言っちゃった)、リレー出ることになっちゃって。緑組の。ゴールドはアンカーで。」
「そうか。紺野さんとゴールドは仲良いからな。」
ナイトは何となく楽しそうに言う。
「水木君は青組のアンカーなんだって?」
「良く知ってるね。うん、そう。」
「みんな騒いでたから。うちの高1の妹ですら。」
「ああ、妹さんいるんだっけね。」
「そう、入ったばっかり。」
「俺の妹も高2にいるよ。」
「あ、そうなんだ。」
沈黙が落ちる。薄青の空に半月が上り始める。
「今日は半月か。」
ポツリと横の人が言ったので、ビックリして横顔を見上げた。
「どうかした?」
「いや、何だか男子から月の話が出るなんて不思議で。」
「そうかな。俺、小さい時から月がずっと好きで、今も毎晩見るんだ。」
「そうなんだ。私も満月大好き。バターボールみたいに金色の塊が上がっていくところが。」
「バターボール?」
クスリとナイトが笑う。笑われる度にどんどん顔が赤くなっている、気がする。封印していたはずなのに。
「そろそろ帰らないと、暗くなってきたから。」
「送ろうか?」
「ううん、大丈夫。じゃあね。」
はー、ビックリした。こんな偶然があるなんて、ありえない。
「紺野さん、」
後ろから声が追いかけてきて、驚いて振り向く。
「ずっとここら辺走るつもり?」
「どうかな、今日は試しだったから。」
「そうか。じゃあ気をつけて。」
「うん、水木君も。」
私は薄闇の中、手を振った。薄闇だからナイトの綺麗な瞳も見つめられた。とても久しぶりに。漆黒の黒が深くなっていた。思ったよりも遅くなってしまったので、きつかったけれどスピードを上げて帰った。
「遅かったじゃない。もう少し早く帰ってこないと。」
マンションの玄関のところで心配そうに待っていた母に怒られた。
「ごめんね。友だちに会ったもんだから、ちょっと喋ってて遅くなっちゃった。次からはもっと早く出て、早く帰ってくるね。」
「うん、そうして。お母さん、心臓がずっとドキドキしてたのよ。あら、麻、そんなに走ってきたの、顔が赤いじゃない。」
「えっ、そう?何でだろ。」
私は慌ててエレベータのボタンを押した。ナイトの瞳を思い出しながら。
最初のコメントを投稿しよう!