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09.10月ー11月
最後の青南祭が始まった。
今年はお決まりのカフェだった。でもビー部とサッカー部が都大会を勝ち続けていたので、両部員たちは青南祭の準備はおろか、当日も練習だった。学校のグラウンドは青南祭の期間中は使用出来ないので、外部に出かけなければならない。だからナイトの顔は勿論、ゴールドたちの顔も見えなかった。うちのクラスのカフェで売るドーナツを箱から出しながら、友香が、
「何かゴールドがクラスにいないと気が抜けちゃうね。」
と言う。
「落ち着いてて良いんじゃない?」
と返してはみるが、確かにお祭りにゴールドがいないと物足りないなんてもんじゃない。あの騒がしい声と、いつだって笑っている大きな焦げ茶の瞳が欠けたクラスなんて初めてだ。
「私、コーヒー淹れてくるね。」
ゴールドのことをこんな風に思ったことにビックリして、慌ててその場を離れた。
その日は薄曇りだったせいもあって、コーヒーとドーナツのセットがとてもよく売れた。午後2時にはマズいことに売り切れになってしまった。
「どうする?これからがお茶の時間だよね?お客さん、いっぱい来るよね。」
どうしようかと思ってると、
「お姉ちゃん、ママがみんなに差し入れってバナナケーキ4本焼いてくれたよ。」
と、まりが大きな包みをかざしながら入ってきた。
「やった、まり、サンキュ。グッドタイミング。」
私はまりをギュッと抱きしめた。
「これ、絶対美味しいから出そう。コーヒーはまだ出来るし。」
「良いかな。」
「うん、大丈夫だよ。」
「まり、フォイル開けてくれる?」
「う、うん。何お姉ちゃんこれ売るの?」
「うん、もうドーナツないのよ。まだ終わるまで3時間もあるのに。」
母は、一切れずつ綺麗にラップをかけていてくれていた。
「まり、悪いけどラップとって。」
「OK。」
ラップをはずしたものを、3人組がお皿に盛りつけていく。
「あー、外雨降ってる。」
廊下を通る誰かの声がする。
「客足鈍るかな?」
梨奈が心配そうに言う。
「どうだろうね。でも今校内にいる人たちだけでも結構いるし。雨宿りするかも。」
といったまゆみの読みはドンピシャだった。私たちは他のクラスメートたちと一緒に、息もつかずに働いた。まりは自分のクラスの劇があるので帰って行った。バナナケーキはやっぱり大好評で、私は今度こそ、母からレシピを聞いて自分でも作ろうと思った。
5時、いよいよ外が暗くなってきた時、
「おー何々、繁盛したっぽいじゃん。」
と大声がして、髪から雫をたらしたままのゴールドが入ってきた。
「ゴールドッ」
3人組が駆け寄る。
「おお、何お前ら、この突然のお出迎えは。」
ゴールドがのけ反っている。
「だって最近ろくすっぽ喋ってなかったしさあ。」
「やっぱゴールドいないと静か過ぎてつまんないんだもん。」
「今日もう練習終わったの?」
「いや、そりゃどうも。おう、練習は終わったよ。もうちょいやりたかったんだけど、雨降ってきたからな。」
3人の矢継ぎ早の質問に答えながら、ゴールドはその辺にどっかりと座る。私はカフェで使っていたタオルと、残っていたバナナケーキを持ってゴールドの所に行く。
「はい。」
「おお、サンキュ。やっぱたまにはいないもんだな。ブルーでさえ、この歓待ぶり。ってこのタオルなんかコーヒー臭えんだけど。」
「ああ、それ台拭きにしてたから。でも何も無いよりマシでしょ。髪拭きなよ、風邪ひくよ。」
「お前なあ、俺を何だと思ってんだ。」
とぶつぶつ言うゴールドを私は嬉しく見る。やっぱりこうでなくっちゃ。
「あんたさ、ビー部の試合どうなってんの?」
「へー珍しいじゃん、お前が訊くなんて。」
髪の毛を拭くゴールドを見下ろしながら、
「うん、なんかさあ、私3年間もあんたと同じクラスで、毎日バカらしく喋ってたのに、」
「バカらしくって何だ?」
「いや、そこは良いんだって。でさあ、それなのにあんたが真剣になってるビー部のこと、何も聞いてこなかったと思ってさ。反省したとこ。」
と一気に言った。ちょっと照れ臭かったけど。でも今言っとかないと、きっと言わないで終わると思った。なのに。
「へえ。」
「へえって、あんた何かもっとないの、リアクション。」
「そう言われてもなあ。あ、うん、俺たちあと1回勝ったら地区の準決勝に出られんだ。」
「うわーすごいじゃん、ゴールド。」
「いつの間に?」
「でもその1回が大変とか?」
後片付けをしていた3人組が飛んできた。やっぱりみんなも気にしてたんだ。
「で、いつなの?」
「あと丁度2週間。」
「うわあ、じゃ神ちゃん凄くなってない?」
「すげえなんてもんじゃねえよ。俺なんか身の危険感じるくれえだぜ、全く。チームのミスはキャプテンがたるんでるから、とくんの。でパスミス1つにつきグラウンド5周。」
「あんた、たるんでんの?」
「ブルー、そこいっちゃう?」
「たるんでねえよ、ここまできたらさ。けど、もう体ボロボロ。」
そう言えば、ちょっと痩せたようにも見えるし、いつもどこかに絆創膏やテーピングが増えてる。
「頑張ってね、試合観に行けないけど、応援してるから。」
私は、ゴールドの膝の真新しいテーピングを見ながら言った。
丁度その時、
「もう閉店?」
6月以来聞けなかった声が降ってきた。温かくて明るい声。ゴールドが、久しぶりに聞くと殊更うるさい大声で、
「よお、お前ご無沙汰じゃん。」
とがなる。
「いやーん、ナイト。」
「きゃー久しぶり。」
「やってるやってる、まだ全然。」
3人組が目をハートにして同時に叫んでいる。どうしてこうみんな大声でしゃべるようになってしまったのか。私は慌てて、コーヒーメーカーの方へ引っ込む。コーヒー、ともかくコーヒーを淹れよう。雨で体が冷えてるはずだから。
「はい、二人ともコーヒー。ミルクとお砂糖どうする?」
私はナイトにはバナナケーキも出しながら、聞いた。
「ありがとう、俺はブラックで。」
ナイトがこちらを見上げながら(珍しい)、ニッコリした。
「俺は、ミルクも砂糖も大盛ねん。」
「はい、自分で入れな。」
私はそれぞれの容器を目の前に置く。
「お前、一応俺客なんだけど。」
「あんたはスタッフでしょ。サボりまくりだったけど。」
目がハートのままナイトの前に座り込む3人組を放っておき、私は急ごしらえのキッチンに引っ込み、後片付けを始めた。まだ残ってるクラスメートたちと一緒に。みんなナイトの方をチラチラ見ているけれど、3人組が貼りついているので遠巻きにするしかないみたいだ。私だって、本当はそうなのに、ゴールドのお陰で何だか輪に入ることが出来ていただけ。
しばらく経って、
「そろそろ、後夜祭始まるんじゃない?」
「あ、だねー、もう行っとこうか。」
「行こ行こ、ナイトもゴールドも一緒に。」
3人組が立ち上がった。
「あ、私最後に点検してから行くから、先行ってて。」
と言った時、
「いや、ブルーお前はナイトと行け、後夜祭。」
とゴールドがきっぱりと言った。
「はっ?」
「良いか、今度は置き去りにすんじゃねえぞ。」
「だって最後だよ、みんなで行こうよ。」
「最後だから、だからお前はナイトと行くんだよ。ナイト、お前ブルーが終わるの待っててやってな。」
と言うとゴールドはなぜかピシッと決めポーズをとった。
「うん、わかった。」
ナイトはいつもと変わらない温かな声で答えている。思わず顔を見上げた。この人が喜怒哀楽を露わにすることってあるんだろうか。だとしたら見てみたいな、と思いながら。
「じゃ、俺らは先行ってるわ。」
「おう。」
3人組はニッコリしながら手を振って、ゴールドにぶら下がりながら歩いて行った。
二人だけで残されて、私は自分の心臓の音がナイトに聞こえやしないかと心配しながら、最後の点検を済ませた。
「お待たせ。」
「終わった?」
「うん、待っててくれてありがとう。」
「じゃあ行こうか。」
軽く背中を押され、押されたところからあっという間に熱が身体中に伝わる。後夜祭会場の体育館への廊下では、みんなが振り返りこちらを見つめてヒソヒソ言い、私はその度に顔から火が出そうだった。この人はよくこんな視線に耐えられるものだ。平然としているその横顔をちょっと見上げる。その途中で、耳慣れた声がした。
「あー、お姉ええええええーっ?」
まりの大声が響く。ナイトが不思議そうにこちらを見たので。
「あれ、妹。」
と言う。
「ああ、そう。」
とナイトは微笑む。その後ろに口を押さえて目を丸くしているまりが見えた。そして体育館への渡り廊下に来た時、
「あの、ナイト、話があるんだけど。」
鈴の鳴るような可愛い声がして佐々木さんが駆け寄ってきた。佐々木さん。そうだった。急に心が冷え冷えとしてくる。
「あ、じゃあ私ここで。ゴールドたちのとこに行くね。お先に。」
ナイトが一言でも何か佐々木さんと比べる様なことを言ったら泣きそうだから、弱虫で逃げたがりの私は退散する。一目散に。
「あれナイト、お前ブルーは?一緒じゃなかったの?」
「いや、ゴールドたちと一緒にいるって先に行ったけど、一緒じゃないの?」
「一緒じゃねえよ。何でだよ、どうしてそうなるんだよ。何、はぐれてんだよ。」
俺はよくわからないうちに、ナイトに怒鳴っていた。ナイトが待つと言った時のあいつの顔が浮かんだ。ちょっと嬉しそうで心配そうで。俺の前じゃいつだって、鼻をツンと上にあげて勝気そうに目を光らせているあいつとは全然違う、あの横顔。
「佐々木さんが来て。」
「はあ?だってお前らとっくに別れてんだろ?」
「うん、そうなんだけど。話があるって。」
「それで?」
「それで紺野さんは先に行った。」
「お前、何で止めねえんだよ。」
「言おうと思ったよ、もちろん。でもその前にもう紺野さんは歩き出してて。」
「お前さあ、あいつがどんな思いでお前と一緒に行ったか、わかってねえの?」
「わかってねえって…あのなあ、彼女に置き去りにされるのはいつだって俺だよ?」
「それはお前が―」
「俺が、何だよ。」
「仕方ねえけど、お前のせいじゃねえけど。だけど、お前を見てるだけでしんどくなるヤツだっているんだよ。」
「は、どういう意味?」
「伝説だろ、お前。女が切れねえだろ?いつだって囲まれてるだろ。そんなやつのことを想い続けるのはキツいんだよ。」
あれ?俺いつの間にブルーの気持ち知ったんだろ?あんまりいつも一緒にいるからかな。でもこれ合ってるよな?もし間違ってたらぶっ殺されそう。
「紺野さんは俺のこと、何とも思ってないと思うよ。いつだって自分からいなくなるし。」
「だから…お前、ほんとにわかんねえの? あとお前、何で来たの、今日うちのクラスに。」
「いや、雨降ってきたから、お前も練習中止になっているかなあと思って。」
「そんだけ?」
「え?」
「お前、ブルーのことが気になってたんじゃねえの、ずっと前から。」
「…お前こそ、何でそんなにマジになってんだよ。」
「何が。」
「お前、紺野さんのこと好きなんじゃないのか?」
「はあ?お前までそんなたわごとを。んな訳ねーだろ。何度言えばいいんだよ。」
「自分をごまかしてるんじゃなく?」
「あのなあ、男と女の間に友情は成り立たないとかそんな難しいこと、俺はわからないけど、俺はあいつが好きだよ。でもそれは家族を好きなのと同じ感じなんだよ。家族が悲しそうだったら、何とかしたいって思うだろ?それと全く同じなの。で、俺は今ブルーを何とかしてやりたいと思う、思うから、だからもう帰る。」
言うなり走った。テーピングの膝が痛いけど、でもそれより一人でいるブルーのことを思う心の方が痛い。
あいつがあんなに本気で走るの、初めて見た。俺は確かに騒がれるけど、でも本当にカッコいいのはゴールドの方だよな。思った通りに一直線に行動する。俺はいつでも一歩引く。そしてその一歩の間に、いつでも彼女はいなくなる。
「よお。」
驚いた、心底驚いた。どうしてゴールドがうちの駅の改札にいるんだ。しかも膝を折ってゼイゼイ言いながら。
「どうしたの?走ったら足痛いでしょうに。」
「お前、大丈夫?」
「…」
下をむいた。涙が一粒落ちた。ありえない、泣くなんて。しかもそれがこの大馬鹿野郎の前だなんて。慌てて手の甲でごしごし拭いた。でも拭けば拭くほど、次から次へと涙が落ちてくる。ゴールドは黙ってただ立っていた。しばらくたってやっと涙が止まった。
「ごめん、心配かけたね。我ながら情けない。」
恥ずかしかったけど、ゴールドの目を見た。大きくて温かな焦げ茶の瞳を。
「あのなあ、」
「うん。」
「お前はいつでも偉そうで威張ってないと、」
「はあ?私がいつ。」
「いつってお前自覚ねえの?」
「あるわけないじゃん。もしそうだとしても、あんたがあんまりバカだからでしょ。」
クックッとゴールドが笑う。
「そうそう、そうこなくっちゃ。お前が元気ねえと、俺は心配すんだよ。俺に心配かけるな。心配事は次の試合だけで十分なんだから。」
ゴールドは私の頭をポンと叩くと、じゃあな、と改札を通って帰って行った。私はその広い肩が見えなくなるまで見送った。友情に感謝して。
結局、ゴールドがキャプテンだったラグビー部は歴代最高の成績で(地区準決勝で敗退)、ナイトがキャプテンだったサッカー部もこれまた歴代最高の成績で(2次TA準決勝で敗退)有終の美を飾った。3人組はナイトの最後の試合を観戦出来たらしく、いかに接戦だったか(ナイトがゴールしたんだよ、でも相手はさすがの修方で3点も入れられちゃった。私たちみんな泣いちゃったんだよ、でもナイトは最後まで走ってた。)を熱く語った。
そして全員が受験準備に突入した。
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