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11.3月と卒業の日
卒業式に謝ることを目標に、バリバリ勉強した。
勉強するのは得意だから。しんとした冬の夜、明かりの灯っている窓を見ては、みんなも今頃頑張っているはずと思えるのは嬉しかった。登校日が減っても、みんなの顔が見えなくても。そうやって準備をし、幾つか試験をこなし、志望校に合格して、大学近くの公衆電話から父の会社に電話をした。受かるとは思っていたけど、やはり報告すると「きちんと合格した」感じが胸に落ちた。
「そうか、良かったな。学校に報告に行くのか?」
「うん、今から行ってくる。」
「気を付けて行ってこいよ。今日はお祝いだな。」
徐々に嬉しくなる。そうだ学校、行かなくちゃ。
久しぶりに校門をくぐる。3月の白くけぶるようなグレーの校舎に向かう。まだ在校生だというのに、もう学校はよそよそしく、部活で忙しい2年生たちの声が響き渡る。あっという間の代替わり。つい習慣で校庭にサッカー部を探す。勿論ナイトたちの姿はない。ないけれど、今の二年生部員を想う私のような子がどこからかこの校庭を見つめているかもしれない、と思うだけでエールを送りたくなる。頑張って。私みたいに卒業式になるまで辛くなるんじゃないよ。
暖房の効いている職員室に入り、笑顔の先生たちに挨拶と報告をする。担任のよっちゃんは
「そりゃー合格するだろーよ。良かったな」
と言い、英語のミス鮫島は、
「あら合格?良かったわね。でもあなたやっぱり一浪してT大行かない?私ずっと勧めてたじゃない。」
と笑顔でプッシュ。
「先生、やめて下さいよ。浪人数増やすの。それでなくてもこいつらの代、浪人予想多いんですから。」とよっちゃんが嘆く。
「吉田先生、ゴールド、いや金子君から連絡ありましたか?」
「おう、あったあった。全滅だってよ。」
「あらー、金子君も?まあそんな気はしてたけど。あの子T大目指すかしら」
「ミス鮫島、勘弁してくださいよ、二浪させる気ですか?」
あっはっは。先生たちのこの感じ、別れがたいなあ。本当に良い先生たちに学ばせてもらった高校生活だった。青山南高校、大好きだった。
帰りに待ち合わせて久しぶりに3人組とお茶をする。まゆみと友香は早々と推薦を決めてたし、梨奈は私とほぼ同日程の入試をこなし、昨日合格発表だった。
「おつかれー。」
とスプライトで乾杯。
「ここでグイーッと行きたいけどねえ。」
「あんた、そりゃーさすがにまずいって」
「やっぱまずい?」
「まずいまずい、明るいうちからってのは」
「そこー?」
ああ、楽しい、やっぱりみんなに会えるのは。こうして笑顔で話せるのは。
「でもほんとにほんとにお疲れだったね。改めて全員合格おめでとー。」
「おめでとー。」
またもや乾杯。
梨奈が、
「ねえ、私らいつからナイトに会ってない?」
と口火を切った。心臓が跳ねる。
「だよねー、もう禁断症状」
「私もー。なんかこうでっかいポスターとか作っとけば良かったー。」
「今からでも遅くないんじゃない?卒業式には確実に会えるだろうし。そん時にツーショットとか狙っちゃおうかな。」
「あんた、んなの無理に決まってんじゃん。」
「なんでよ。失礼じゃない?」
「じゃなくて。卒業式、どんだけ女子が集まると思う?東京中からだよ?」
「ああそうか、そうだよね。」
さすがに黙っていられなくて口を挟む。
「いやーさすがにそれは大げさなんじゃ。」
そしてあっという間に真顔の3人組に否定される。皆顔の前でぶんぶん手を振っている。
「麻、甘い。来るよ、来る。確実に。」
「だね、私らもぬかりないようにしなくちゃ。うわー壮絶になりそう。また新たなナイト伝説だね。」
「先生たちにも教えとこうか、人員整理人手いるだろうし。」
「何なら私らバイトで雇ってもらっても」
「あーそれいい!」
弾む3人組を見て笑いながらも考える。そうなのかな。せいぜい青南女子くらいかと思ってたんだけど。でもナイトは男子とも消えそうだしな。私本当に話せるかな。
卒業式の当日、なんで遅刻なんだろう、と焦りながら外苑前からの1本道を駆け抜ける。あー、せっかく髪の毛セットしたのに。最後なのに。ダッシュで下駄箱にたどり着く。中腰でゼイゼイハアハア言っていると、
「おはよう。走ってきたの?」
と笑いを含む声が降ってきた。ここで、この状態で?まだ整わない息のまま見上げる。
「お、げほっ、おはよう。」
「大丈夫?」
「大丈夫。」
今日で最後なんだな、この瞳を見るのも、この温かな声を聞くのも、この微かな良い香りとも。手が届きそうで届かなかった、大好きだったこの人。つい見つめていると、
「お前ら、遅いっ。遅刻だぞ、卒業式の日に!」
見慣れないスーツ姿の金ちゃんが仁王立ちで怒鳴っている。
「水木、お前キャプテンがちんたらしていいと思ってんのか?」
「すいませーん。」
「まったくへらへらしやがって。いいか、部活見にくんなよ。一浪で絶対受かってこい。それまで出禁!」
「え、先生。でももう後輩に約束しちゃったんですけど。キャプテンとしての責任が。」
「お前はまず自分の人生に責任を取れ。それからいくらでもコーチでもなんでもしに来い。そして今はともかく急げ。」
金ちゃんとナイトのやり取りがおかしくて楽しくて、私は笑って見ていた。最後にこんなプレゼントをもらえて良かった。心に焼き付けておこう。
ナイトは、こちらに向き直った。
「行こう、でも参ったな、浪人ってばれちゃったね。」
そう親しげに笑う笑顔をよせられても困る。
「うん、いや、訊こうと思ってたし。」
「訊いてくれようとしたの?」
漆黒の瞳で覗き込まれると困る。本当に困る。でも今言ったほうがいいかな、ちゃんとあの時のこと謝りたい。
「あの、私言いたいことがあって―」
「麻ー、やーん、ナイトもいるー。早く早く教室入んないと先生イライラして待ってるよ。」
廊下で待っててくれたらしい3人組の声に急かされ、慌てて教室に飛び込もうとした私に、
「紺野さん、卒業おめでとう。」
温かなナイトの声がかかる。慌てて振り向くと笑顔で手を振っているナイトがいた。私も言いたい、おめでとうって言いたい。口を開こうとしたら、よっちゃんの怒鳴り声が教室の中から聞こえてきた。
「紺野ー、お前いい加減にしろよ。」
ドアに手をかけ、
「すみません、遅刻しました」と謝り、振り向いたらもうナイトはいなかった。それが最後だった。
卒業式が終わり3人組と校舎内のあちこちで記念写真を撮っていると、ざわざわキャアーキャアー怒涛のような騒音がまるで雷雲のように押し寄せてくる。
「来たな。」
「おう、あそこ見てみな。」
友香と梨奈が校門を指さす。まゆみが
「んぱない…」
と放心状態でつぶやく。何事かと指さされた方向を見ると、川を渡るバッファローの大群のような女子たちで校門も中庭も、もしかしたら校門の外までも埋めつくしている。各制服、私服、入り混じって、それはそれでファッションショーのようでもあり。
「これみんなナイトに会いにきたの?」
恐る恐る聞いてみると
「当たり前でしょ、あんた他に俺だと勘違いするやつっていえばゴールドくらいしかいないから。」
「そういえばあいつと喋ってない、私。」
「麻、遅刻してきたかんねー。朝からもうあいつハイテンションで大変だったんだから。
みんな、今日は俺のショーにようこそ、とか言っちゃって。」
「もう暑苦しさマックス。」
「でもあの暑苦しさも最後かと思うと案外しんみりするよね。」
「言えるー。」
私もそう思う。ゴールドには意外に助けられた気がする。具体的に何が、といえば思い浮かばないけれど、でも高校生活全般に。多分やっぱり3人組より喋ってたかもしれない。口喧嘩ばかりだったけど。
「で、ゴールドどこいるんだろ?」
「あ、あそこじゃない?」
「うわー、やつ、やっぱり、すごいわ。」
みんなが騒ぐ方を見ると、なぜかビー部のユニフォームに着替えたゴールドが、女子たちを一列に並べている。ついでに何かを渡しながら(多分整理券だろう)。女子たちが並んだ先に、紺のダッフルを着たナイトが立っている。平然と。賞賛のまなざしも歓声も涙も受けながら。余裕で。
「もはやスターだよね。」
「うん、アイドルってこんな感じ?」
「いやー、ナイトはアイドルっていうよりモデルじゃない?」
私たちは教室のベランダからナイトを見ていた。今まで同じ高校の同級生で、生活の一部にいたナイトが離れていくのを。つながりが途切れていくのを。
「なんかさ、私今初めて卒業したんだって感じがしたよ。」
「私も。もう明日からここに居場所ないんだよね。」
「うん、もう一緒じゃないんだよね。」
しんみりと静けさが降りてくる。みんな黙っていた。わたしは心の中で何度も何度もこう繰り返していた。フラットでウォームなその立ち姿が滲むまで。
さよならだね、みんな。大好きだったナイト。大好きだった高校生活。
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