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置いてけトンネル
「人の力というものは、いつの時代も感服させられるな。」
オレンジの光に照らされたトンネルは、話声でさえ反響しどこまでも飛んで行った。
旅行帰りの深夜帯、車通りも少なく、跳ね返る砂塵や排気ガスに脅かされることも無い。
「山に穴を通してるんですもんね、これって。」
「昔なんかは人力で開けてたけど、今は凄いな、わざわざ機械作ってまで穴あけて。」
とはいえ関東のとある山に居を構えている身としては、このトンネルというのはなかなか厄介な代物ではないかと思うところがある。
電飾と人口に浸食されつつある怪異側の世界、このままだと居る場所がなくなるのでは?
「昨今の人間による領地の浸食に、山の神々はどう思うのでしょうね。」
「その土地神の性質にも寄るんじゃないか?人が多く来るのがうれしいって神もいるかもしれないし、自分の腹を荒らす輩に罰を与えてやる、と思う神もいるかもしれない。」
なるほど、と呟く。
元川の神が言うと説得力がある。緩やかなカーブを進みながら続ける。
「関係あるのかはわかりませんけど、トンネルというと怪談話がつきものですよね。」
「特級怪異の口から怪談話って出てくるのもなかなか説得力があるな。何、陰陽道の者でもしばいて聞き出したのか?」
「茶化さないで下さいよ青龍様。そもそも特級怪異なんて呼ばれたの何百年前だと思ってるんですか。」
ただのまた聞きです。と一言置いて、例えば誰かが追いかけて来るだとか、車の窓に手形が付くだとか。ポピュラーなのはそう言ったものですかね。と続ける。
「人間は暗所を恐れる性質があるから、それも関係してるのかもな。」
「そこに崩落事故で何人か亡くなってる、なんて前情報があれば、あとは勝手に想像するんでしょうからね。」
「人間は想像力猛々しいものなあ……ところで龍龍。」
「はい。」
「いつまでたっても出れないなあ。」
「出れませんねえ。」
入り口からだいぶ歩いたが、いつまでたっても堂々巡り。
「カーブを曲がったら出口が見えるって話だったんだけどな。」
「そうですねえ。」
振り返ってみてもどこまでも続くオレンジの道が見えるばかり、今さっきカーブを曲がったんだからカーブがみえなきゃおかしいだろう。
さてどうしたものかと主人と顔を合わせる。
ふと目の端に今まで見えなかった赤色が見えた。
排気ガスで汚れた壁に、見やれば赤い文字で『おいてけ』と書かれている。
「おいてけ、ですってよ。」
そうつぶやくと追い打ちでもかけるように、壁から天井、床に至るまで『おいてけ』の文字が数え切れないほど這いまわる。まるで音でも立っていそうなほどに蠢き、あちらこちらに広がりゆく。
「おいてけ、おいてけ、おいてけ、おいてけ……。すごいですよ青龍様、まだ増えます。」
「頑張ってるな。」
大きく書きすぎて書く場所がなくなったのか、小さな文字が大きな文字の間に走り始める。控えめおいてけ。
「ふむ。」
青龍様、今は着物を着ていないのに袖を抜こうとしている。すぐ気づいたのか腕を組む形に移行した、出来た従者は何も言いません。
「青龍様、置いて行けとの事ですがこれは。」
「ふむ、これは、いやはや、そうだね。果たして一体何を置いて行けと言われているのか、皆目見当もつきませんなあ。」
思わず顔を見上げれば、ニヒリと青龍様の目が笑っている。
その眼が雄弁に『合わせろ』と命じていた。
「全くですねー、何でしょうね置いて行けって、命でしょうか。」
「我らの体はほぼ灰だからなあ、命と呼んで足りるのかどうか。」
ざわざわと文字が蠢き出す、まるで焦って走り回るようにうごうご、うごうご。
「一回封印された時に青龍様灰にされちゃいましたもんねえ、別に荒ぶる神でもなんでもなかったのに酷いですよねえ。」
「全くよ、あの経験だけで荒ぶる神になりかねんわ、冤罪はなはだしい。我善神だったでしょうよ。」
「ですねー。というか青龍様はもともと川の神で天候すら操っていた時だってあるのでしょう?小さな集落とはいえ長らく主神扱いだったではありませんか。魂だけで事足りるのでは?位高いんじゃないですか?」
「お前こそ陰陽道の者から特級怪異とお墨付きを賜ったじゃないか、魂のみで足りるんじゃないか?えぇ今や唯一の信奉者よ。」
「いえいえ青龍様のほうが。」
「いやいや龍龍のほうが。」
芝居がかった声音がトンネル内に跳ねる。
いよいよもって文字たちは慌てている、てんでんこもごもに壁を走り、時折『ちがうちがう』『そこまでいってない』『かんにんして』『いらない』などの文字が一瞬見えては消えていく。
ほーん、と気の抜けた返事を返しながら、「青龍様、たいそうなものではなくていいそうですよ。」
そう口に出せば、スッと文字どもは消える。
「食べ物とか?」
「お土産に焼き菓子余分に買いましたけど、置いて行きます?」
「何人いるんだ、お前たち。」
暗がりに青龍様が投げかければ、チャッチャッという地面を爪ではじくような音がたじろいだように小さく響いてきた。
おそるおそるというように、足元に『十二』と浮かび上がる。
「じゃあ一箱置いていくか。」
「そうしますか、ではこちらに。」
箱を地面に置く、個別包装がされているがそこら辺はうまくやるだろう。
置いたとたん、スッと夜風が頬を撫でる。
顔を見上げればすぐに出口が見えた。
遠くからフクロウの鳴き声が聞こえ、月明かりが柔く照らす。
「ではこれにて失礼、だな。」
「食い物持ってない人間もいるでしょうから、そこら辺の改善頑張ってくださいね。」
好き好きに口にしてトンネルを出る、キィという複数の鳴き声が背後から聞こえた。
コンクリート製の道路を道なりに行きながら、おもむろに青龍様が口を開く。
「狸だったな。」
「狸でしたね。」
化けの技術はなかなか、しかし相手がわるかった。
「まあ、狸たちも暮らしが大変なんだろうさ。」
「世知辛い世の中ですね。」
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