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prologue
どこまでも青々と広がる空を、空汰はただただ見上げていた。空は遠く、美しく、そして虚しい。遊具もなにもない、公園とも呼べないようなこの広場は、更に虚しさを加速させる。
自然に満ち満ちた、いわゆる『田舎』と言われるようなこの村に生まれ育った空汰は、今目の前に遮るものもなく広がっているこの青空が、大嫌いだった。あの人が好きだと言い、そしてこの村の唯一の長所だと笑ったこれが、大嫌いだった。
「空汰」
と、ふと、背後から聞き慣れた声が空汰を呼んだ。
けれど、振り返ることはできなかった。空汰の瞳にはまだ涙の名残が残っていて、彼にそれを見られたくはなかったのだ。そしてまた、彼もそれをわかっているのだろう、黙って空汰の隣に並ぶ。
「まあた、落ち込んでんの」
そう言って、彼は「はは」と笑った。空汰は思わず、そんな彼を横目でむすりと睨む。と、彼もまた空汰を見ていて、目と目が合い、彼はまた笑った。
それから彼は、身にまとっているのは制服だというのに、少し湿った土の上になんの躊躇もなくどかりと腰を下ろした。傷んだ金髪が風に攫われ、太陽に照り出されながらきらきらと光る。
「空汰が落ち込んだときは、ここに来るって、俺、知ってるから」
と、彼、レンはそう言いながら、のんびりとした仕草で空汰にも隣に座るように促してきた。けれど空汰はそれを躊躇する。そんな空汰の心をわかっているのか、レンは遠い空を見やりながら、すぐには従わない空汰にもう一度言った。
「知ってるよ」
それは思いのほか優しい口調だった。空汰は下唇を噛み、目を伏せる。すると自分の汚れたスニーカーが視界に入り、なんだか自身がものすごくちっぽけで、汚くて、子どもで、情けない存在に思えてきた。
「なにを、知ってるの」
絞り出すように空汰が言葉を落とす。レンはまた、小さく笑った。
「全部」
レンは空汰を見上げる。そしてまた、隣に座るように手で促した。空汰はしばらく無言でその手の動きを目で追う。が、やがて小さく息をつくと、今度は促されるままに、よろよろとそこに腰を下ろした。
そんな空汰を横目に、レンは少しだけ腰を浮かせてスラックスのポケットからよれたタバコの箱を取り出すと、安物のライターでその一本に火を点けた。
チチチ、というライターの音。
ふわりとくゆる、タバコの煙。
体育座りをした空汰の視界に入る自分のスニーカーは、やっぱり汚い。
「花田の野郎、東京に戻るんだろ」
なにを考えているのかわからない顔で、レンは青い空に煙を吐き出した。
「花田、先生」
嗜めるように空汰が言えば、レンは「そんなキャラじゃねえだろ」と意地悪そうに笑う。
「しかもあいつ、教師としては最低だろ。まあ、俺は好きだけど」
レンにそう言われ、空汰は、確かになと思う。確かに、それはどうしたって否定はできない。
「この村にはなにもないって、先生は言った」
「つまんねえとこに来ちまったって、初日でぼやきやがったな。みんなの前で」
「美人の若い女の子、いないって」
「そうそう。遊べねえって、大騒ぎしてた。あれは最高だった。姉貴、最悪母親でもいいから紹介しろって言ってたな。馬鹿だろ、あいつ」
「電波も悪いって」
「それは、あいつのボロ屋が悪いんじゃないの」
「カラオケもない」
「必要か、それ?」
「ホテルも、ない」
「はは、それはまあ、重要かもな。相手がいればの話だけど」
「……早く東京に帰りたいって、ずっと言ってた」
空汰がそう言えば、レンはふいに黙り込み、口端をきゅっと締める。が、それも一瞬で、すぐにいつもの軽い笑みがそれを掻き消した。
「望みが叶ってよかったんじゃないの」
レンはタバコを一吸いすると、そう言ってそれをぐしゃりと地面で揉み消した。
「でも、」
空汰は青い空を見やる。大嫌いな、虚しさを覚えるほどに広い空を。
「でも、この空を見られなくなるのは少し寂しいって、先生は言った」
「ふうん」
レンも、空を見上げた。
「この空が、なあ。東京にはないのかね、空が」
「さあ」
空汰は首を振る。
「……花田先生、教師、辞めるんだって」
空汰が言うと、レンは少し驚いたようにびくりと肩を震わせた。それから眉を寄せ、空汰の顔を覗き込む。
「まじかよ」
「うん」
頷けば、レンは仰け反るように空を煽り見て、はーっと大きな、感嘆ともため息とも言えないような息を吐き出した。
「転勤にしては早過ぎると思ったんだよな」
そして、納得したようにそう言う。
「理由は? 聞いた?」
「……教えて、くれなかった」
「そうか」
レンはそのまま、ずるずると土の上に寝そべる。
「そうかよ……」
それから、なにを考えているのか、レンはひとり、うんうんと唸る。空汰はそんな彼を見下ろし、そしてまた、空を見上げた。ゆったりと流れる雲を見送りながら、少しだけ唇を噛み、それからぐっと唾を呑み込んだ。
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