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7. 嘘
(懐かしい、な)
レンは目の前の家を見上げる。幼い頃から何度も訪れた家だ。空汰が東京へ行ってしまってからも、レンは誰もいないのをわかっていながら、ここをよく訪れていた。そんなレンを見かねてか、いつしか空汰の叔母が「定期的に掃除をしなきゃだから、手伝って」と理由をつけて鍵を渡してくれるようになり、中にも何度か上がり込んでいる。
そんな目の前の空汰の家は、叔母夫婦が掃除を続けてくれているのだろう、誰も住んでいないにしては、外観も綺麗なままだ。
ここに帰ってくるのには、距離の問題もあってさすがに日帰りは難しかった。着いたその日の夜行バスで再び東京へ帰るのが最短だ。どうしても仕事に穴を開けてしまうから、今晩は百瀬に店に入ってくれるように頼んだ。百瀬は「頼みってそんなこと?」と、どこか納得がいかないような顔をしながらも頷いてくれ、レンは今ここにいる。
レンはこくりとひとつ唾を飲み下した。それから戸を叩く。レンの拳に合わせて、ガラス戸ががしゃがしゃと大きな音を響かせた。けれどしばらく待ってみても、応答はない。
(でも、空汰はここにいるはずだ)
空汰は、もう故郷に帰ることなどないと思っていた。だから空汰がいなくなったときにも、まず初めに候補から消したのだ。だってレンの知る空汰は、この村に未練はおろか、もはや自分の居場所があるとすら思っていないような人間だ。
(なのに、空汰はこの家がずっとあのときのまま残っているのを知っていた)
――彼の家、まだ田舎に残っているらしいね
水落が言った言葉を聞いて、レンは驚いたのだ。水落がそのことを知っているということは、つまり、空汰がそのことを話したということだ。空汰が、あの家が残っていることを知っているとは思わなかった。
水落は「知らない」と言っていたが、空汰がこの家の状態を知っていたこと、そして水落のあの物言いからすれば、空汰がここにいることは確実だと思えた。
そうしてレンが村に帰り着いて、それは明らかな事実であることはすぐにわかった。久々に村に帰ってきて、そのまま早々に空汰の家に向かっていた道中、たまたま同級生に出くわしたのだ。そして、まるで幽霊でも見たような顔をされた。
――おまえもかよ
彼はそう言って、訝しげな目でレンを見る。
――おまえも?
そうレンが聞き返せば、彼は「ああ、」と頷いた。
――鹿谷も、この前突然帰ってきたんだよ。俺、もう、久々すぎて幽霊でも見えちゃったのかと思ってびっくりしたわ。まあ、それはおまえもだけどな
その言葉を聞いて、レンはほっとした。やはり、空汰はここにいたのだ、と。そうして、レンは急いで空汰の家にやって来た。
しかし、ノックにも反応はない。レンは少し考えてから、そっと引き戸に手をかける。すると、それはなんの抵抗もなくがらりと横に滑った。
「……空汰?」
抵抗もなく開いた戸に少し驚きながらも、レンは中に向かって声をかける。しかし、家の中はしんと静まり返って人の気配はなかった。レンは眉を寄せながらも、家の中に入る。
馴染んだ家だ。けれど、あまりにも久しぶりだからか、それともあまりにも静かだからか、知らない家に上がり込んでしまったかのような気持ちになる。少しだけ、怖くなる。その感情は、いつか空汰の父親が入院した際に、自分の母親と空汰の三人でこの家を訪れたときのあの緊張感と少し似ている気がした。
きしきしと軋む廊下を進む。人の気配はない。ぞわり、とうなじの毛が逆立った。
鍵は開いていた。同級生も、空汰を目撃している。空汰は確かにここにいるはずだ。
いるはずなのに。
それから台所を覗き込み、レンは思わず詰めていた息をほっと吐き出した。水切り台には、洗われたばかりなのだろう濡れたカップと皿が置かれていた。
(空汰は、ここにいる)
空汰が故郷を出て行ってしまってからの数年間よりも、東京で再会し、そしていなくなってしまったここ最近の方が、なぜだか長く感じたし、そして辛かった。だからこそ、空汰が確かにここにいるのだという目に見える実感は、レンを深く安心させた。
と、ズボンのポケットに入れていたスマートホンが震えて着信を伝えてくる。確認してみれば、「もうすぐ着く」という簡潔極まりない連絡だった。レンはため息混じりにひとつ笑いを零すと、それに返信を打って足早に空汰の家を出た。
公園へ向かう。いつもの公園だ。遊具などなにもない、公園とも呼べない広場。けれどそこは、この田舎でも特に、空が綺麗に見える場所だった。
(空汰は、絶対そこにいる)
レンはそう確信していた。
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