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それから、ふたりはただただ並んで座っているだけで、なにも喋らなかった。空汰がなにを考えて隣にいてくれるのか、レンにはわからない。けれどレンからしてみれば、もうすぐ空汰の隣に立つのが自分ではなくなることをわかっていたから、少しでも、この時間が長く続けばいいと思っていた。
が、あまりあの男を待たせるのもよくないだろう。またふらりといなくなってしまっては堪らない。
「帰るぞ」
レンはまだ少し赤い目をこすりながら立ち上がった。そんなレンを、空汰は感情の読めぬ表情で見上げてくる。寂しさ。切なさ。涙をこらえているようにも見えた。レンが空汰の前からいなくなろうとしていることを、もしかしたら、察しているのかもしれない。
「レン」
空汰は体育座りをした膝に顔を埋めてしまった。
「レン、」
そして、くぐもった声で、レンを呼ぶ。
「なんだよ」
レンが応えれば、少し間が空いた後、空汰は顔を隠したまま言う。
「……ずっと、一緒に、いてくれる?」
ずきり、と胸が痛んだ。
(こっちが訊きたい)
だけど。
(だけど、俺とは、意味が違う)
(重さが、違う)
レンは小さく笑いを零した。
レンは、嘘をつく。
「当たり前のこと言ってんじゃねえよ。俺とおまえの仲、だろ?」
レンがそう言えば、空汰はのろのろと膝から顔を上げ、レンを見上げる。
「……本当に?」
念を押すように尋ねてくる空汰に、レンは笑った。
「嘘なんかつかねえよ」
その言葉に、空汰はどこか安心したように笑った。そして、どこか照れくさそうに髪をいじると、立ち上がる。「よかった」と言葉を零す。
「帰ろっか」
それから、そう言って微笑んだ。レンも微笑み返して、空汰に背を向け歩き出す。空汰も追うようにレンの隣に並んだ。
空汰の家に着くまで、始終無言だった。けれど、空汰はどこか嬉しそうに、そしてやはり照れくさそうにそわそわとしている。滲み出る笑顔を隠せずにいるようで、たまに両の手で頬をいじったりもしている。一方でレンはそんな空汰の様子を横目に見ながらも、なにがそんなにも空汰を浮き立たせているのかもわからず、けれど、これから来る空汰との別れに心が満ちていて考える余裕もない。
少しでも長く空汰といたい。けれど、そんなレンの思いとは対照的に、体は足早に空汰の家へと動いていた。
そうして空汰の家にたどり着くと、レンは時間を確認する振りをしてスマートホンを確認する。先ほどメールでやりとりをしていた男から、「まだ待たせんの?」という連絡が来ていたものの、「帰る」などという連絡は来ていないことに安心する。
「じゃあ、俺は実家に顔出してくるわ」
レンが空汰にそう言えば、それまでどこか嬉しそうにしていた空汰の表情がさっと曇った。
「……上がっていかないの?」
そして、遠慮がちにそう尋ねてくる。
「……お邪魔したいのは山々なんだけどな、こっちに帰ってきてまだ家に顔を出してないんだよ。顔見せねえと、あとでうるせえから」
レンがそう言えば、空汰は渋々といったように頷いた。
「そ、そうだよね……」
それから、思い立ったようにレンの袖を握る。
「できれば、夕飯、俺んちで食べない? そろそろひとりで食べるのも、なんだか寂しくて」
そんなことを言う空汰に、レンは思わず笑ってしまう。
「ひとり暮らし歴が俺より長いくせに、なに言ってんだよ」
それに、とレンは思う。空汰はもう、ひとりではない。
「ええと、でも、ほら。レンに会ったの久しぶりだし、探しに来てくれたの、嬉しかったし。お礼! そう、お礼に、ね」
そう言う空汰を、レンは切ない気持ちで見下ろす。溢れそうな、そして決して溢れさせてはいけない感情を、ぐっと腹の奥に押し込む。押し込んで、笑う。
「わあかったよ、わかったって。とりあえずまあ、実家を抜け出せそうなら連絡するわ。もしかしたらかあちゃんに捕まっちまうかもしれないし」
「う、うん、わかった! 連絡、待ってるから」
と、途端に空汰は花が咲いたように笑う。その笑顔に、レンは泣きたくなる。
「おう」
手短にそう応えながら目をそらし、そっと、自分の袖をつまんでいる空汰の手を解く。
「じゃあな」
レンがそう言えば、空汰はどこか寂しそうに「うん」と頷く。それから、「またあとで」と、絶対に来ない未来を言葉にする。レンはそれに、また短く「おう」とだけ応えて、空汰に背を向けた。そして、歩き出す。空汰が自分の背中を見送っているのがわかったが、レンは振り返らなかった。
空汰の家の玄関には、あの人がいる。あの人と再会する空汰を、あの人の隣にいる空汰を、レンはもう、見たくなかった。
レンは歩きながらスマートホンを確認する。そして、「もう着く」と短いメールを打つ。宛先は、花田だ。花田は、空汰の家の玄関にいる。
(幸せに)
レンはスマートホンを握る手に力をこめる。どうか、どうか、と空汰の幸せを祈りながら。
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