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(……なんでだろう)
きしきしと乾いた音で鳴くソファの上で、素足を抱えるように、小さく丸くなる。バスローブに包まれた膝に顔を埋める。
(なんで、先生じゃないんだろう)
傷んだ金髪。
苦い香り。
チャイナブルー。
空汰の中にずっと長いこと渦巻いていた名を持たない感情の正体に気がついたのはつい先ほどのことだ。それは子どもの頃から知れず空汰の中に染みついていた、「普通でなければならない」、「優等生でなければならない」という固定観念だった。そしてそんな自分が、人生で初めて『恋』と呼べる感情を抱いたのが、花田だった。教師であり、そしてなにより、男だった。それは到底、『普通』のことでも、『優等生』のすることでもなかった。
けれど逆に、それが空汰の中に染みついた固定観念を自身で揺るがすきっかけとなったと言ってもいい。物心がついて以降、空汰が自分に初めて許した、『自由』だった。
花田を追いかけるために、空汰は田舎を飛び出した。
なのに、だ。
田舎を離れ、レンから離れ、人があまりにも多くて広大な東京という世界にぽつりと自分の身を置いたとき、空汰の胸にも、ぽっかりと大きな穴が空いてしまった。寂しかった。悲しかった。なにかが違う、とすら思った。
見つけられるはずがない、とレンは言った。見つかるわけがなかったのだ。空汰が探していたのは、縋っていたのは、花田というひとりの存在ではない。『普通』だとか『優等生』だとか、そういうものから空汰を解き放ってくれる、『自由』だった。『鹿谷空汰』というひとりの人間を、そのほかのどんな情報にも惑われることなく受け入れてくれる存在だった。
レンがそこまでを見透かして空汰を止めたのかはわからない。けれど、レンの言う「見つかりっこない」という言葉は、確かに的を射ていたのだ。
けれど当時の空汰にはそんなふうに自分を理解することはできなかった。わかるのは、胸にぽっかりと空いてしまった穴と燻ぶる違和感だけだった。そうして、それらを持て余した空汰は、動けなくなってしまった。花田を探そうとも思わなかった。そう心を決めて田舎を出てきたはずなのに、だ。
一方で、田舎に帰ろうとも思わなかった。あの村にいる空汰は、『優等生』なのだ。なにも成し遂げずに帰れば、また、いつかのあの刺すような視線を浴びてしまうかもしれない、と思った。『普通』ではない空汰を見つめる、あの気持ちの悪い、居心地の悪い視線に。
そしてそんな視線を、もしもレンからも向けられてしまったら、と空汰は怯えていたのだ。レンを振り切るようにして出てきたのだ。それなのに、なにもできないままでなにかが違ったからと帰れば、レンはどんな目で空汰を見るのだろう、と。
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