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(水落さんは、強い)
空汰は、目の前の制服にそっと手を伸ばす。丁寧に皺が伸ばされた制服を、指先でそっと撫でる。
水落は強い、と、繰り返すように、そう思う。そして同時に、思い知る。自分にそんな決断はできない、と。
(結局また、待つことしか、できない)
最後に見せた、花田の表情を思い出す。
(呆れていたんだろうな)
(呆れて、諦めたんだ。俺が、あまりにも、愚かだから)
そう思い至ると、あまりにも情けなくなる。空汰は目を伏せる。
(俺はまた、こうして、待ってる)
――ちゃんと考えて
水落が言う。
――鹿谷くんは、鹿谷くんの幸せを、考えて
(俺の幸せってなんだろう)
どうあがいても、苦しいのだ。そこに、たとえば水落のような幸せは、見つけられそうにない。
(俺はまた、どこかにいるレンを思うことしかできない)
――逃げてちゃ、本当に欲しいものは、手に入らないよ
(これは、逃げたことに、なるんだろうな)
指先が、制服の上を滑り落ちる。
(こうやって俺の中で作り上げたレンを、想って、焦がれて、来ることのない『いつか』を夢見ることしか、できそうにない)
(それが、今俺が思う一番の平穏)
(……幸せかどうかはわからないけれど)
口の端だけで、少しだけ笑う。
東京に出てきたときの空汰と、結局はなにも変わらない。また、あのタバコを手放せなくなるのだろう。
(振り出しに戻る、だ)
水落を思う。
手に入れるにせよ、手放すにせよ、その生き地獄に身を投げられる人は、本当に強い。空汰は、そう思った。
空汰は、暗くて静かなその部屋に、ただただ、立ち尽くした。
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