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「空汰」
レンの呼びかけに、空汰ははっとした。聞こえるはずのないその声に、驚き、けれど、泣き叫びたくなるほど嬉しくなった。夢かもしれない、とも思った。だから、振り返ってそこに確かにレンの姿を認めたとき、空汰は目を丸くし、それから、どんな表情を浮かべるべきか、そこにどんな感情を抱くべきなのかわからずに、ただただ眉尻を下げることしかできなかった。
レンはここまで、空汰を追いかけてきたのだ。東京まで来た上に、今度は故郷にまで、だ。
「レンはいい奴だよ。俺なんかより、よっぽど」
それは本音から出た言葉だった。そんな空汰の本音はレンの「そんなわけねえだろ」という短い言葉で一蹴されてしまい、空汰は「そんなことあるよ」とすぐさま首を横に振った。
レンがここまで空汰を探しに来たのは、優しさだ。レンは、あまりにも優しい。幼い頃から、ずっとそうだった。空汰はそれを身をもって知っている。
けれど今は、その優しさが苦しいのだ。ただの優しさでは、欲にまみれた空汰の心はもう、満足しない。むしろ、その優しさに、いいように誤解しそうになる。変に、期待をしてしまう。
そんなことを思っていたときだった。
レンが、泣いたのだ。
(ああ、)
その涙を見て、空汰は自分の内側からなにかに胸を鷲掴みにされるような苦しみを覚える。
レンの涙は、数えるほどしか見たことがない。けれど思えば、その数度の涙はすべて、空汰のために流された涙だった。
「おまえ、すぐ、笑わなくなる、じゃん」
レンが言う。
「あの日、俺は、言ったはずだ」
レンの手が頬に添えられる。息が苦しくなる。レンの涙から、目が離せなくなる。
(誤解しても、いいんだろうか)
泣きじゃくるレンが、空汰の頬を柔くつねる。
「おまえは、笑ってろって」
「レン……」
レンの名前を呼べば、レンの瞳からは、また新しい涙が落ちる。
――答えは、ひとつだ
水落が囁いた。
(俺は、レンから離れることは、できない)
(答えは、ひとつだ)
「レン、」
空汰は、自分の頬に添えられたレンの手に自分の手を重ねる。
(俺は、)
レンが空汰の頬からゆるゆると手を離す。ふたりで手を取り合い、向き合う。
(俺は、なにがなんでも、)
目頭が熱くなる。レンの瞳からも、また新しい涙が溢れ出したのがわかった。
――鹿谷くんは、鹿谷くんの幸せを、考えて
水落の言葉に、空汰はひとり、頷く。
(俺はレンを、手に入れる。隣を離れない)
それが、空汰の出した答えだった。
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