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それなのに、だ。
「せ、せんせ」
今、空汰の目の前には、花田がいる。レンと別れ、玄関の引き戸をがらりと開けた空汰の目の前に、玄関に腰を下ろした花田が、真正面から空汰を待ち構えていたのだ。
夢でも見ているのかと思った。
やる気のない目はあの頃のままだ。いつかの記憶の中のような着古したジャージはさすがに着ていないが、だぼついたパーカーをまとうその雰囲気は、あの頃とそう変わらない。顔周りの肉が多少削げ落ちたような気がして、そこに過ぎ去った年月を感じるのみだ。
「鹿谷」
と、あの頃と変わらぬ声で花田が口を開き、空汰ははっとして花田の目を見る。花田は、にやりといたずらっぽく笑う。
「おまえ、何度同じ失敗を繰り返すつもりだ?」
そして、そう言う。
「あいつは気を利かせたつもりだぞ」
そう言われて、空汰は、はたと思い至る。すべて、レンの仕業なのだ、と。
「いいのか?」
「え?」
花田に問われ、空汰は思わず聞き返す。
しかし、このままでいいわけがない。空汰に必要なのは、レンなのだ。そんな空汰に、花田は手に握っていたスマートホンを顔の横で振った。
「あと十分」
それから、短くそう言う。
「あいつが乗る電車、あと十分」
そして、花田は立ち上がる。
「いなくなっちまうぞ、あいつ。なんせ、気を利かせてこうして、俺を鹿谷の前に呼び出したんだからな」
そう言った花田の顔に先ほどまでのいたずらめいた笑みはない。真剣な、まっすぐな目で、空汰を見つめてくる。
ひゅっと、空汰の喉が鳴る。
(レンが、いなくなる)
隣を離れないと決めたレンが、いなくなると言う。
「行けよ」
花田が顎で外を示した。ざり、と空汰の足が玄関の砂を蹴る。その音を合図に、空汰は花田に背を向け、家を飛び出した。
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