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「わかった。気を引き締めて帰ります」
「あぁ、そうしてくれ」
はにかんだように笑いながら敬礼をしてくる。同じように敬礼で返しながらそう口にすれば、安堵したのかふっと心が軽くなった。
「なぁ、月冴」
「ん?」
「俺さ……自分だけが幸せでいいのかって、それは赦されることなのかって、ずっと考えてたんだ。もし俺を生まなかったら──母さんはもっと長生きできて、幸せになってたかもしれないのにって。でも、俺が生まれてなかったら、月冴には会えなかったし、こうして二人でいることが幸せだなんて、思えなかった」
月冴の指先を手に取る──秋風にさらされて少しだけ冷えた指先が、くすぐったそうに揺れる。
「幸せだって思ってて、いいのかな……」
「……良いと思うよ? だって、尚斗のお母さんでしょ? 息子自身が〝幸せな生き方ができてるんだ〟って思えてる方が、嬉しいんじゃないかな? 会ったことはないけど、なんかそんな気がするよ」
「子供の幸せを願わない親はいないよ」──きゅっと指先が包まれてじんわりと体温が伝わってくる。
「俺も尚斗と出会えて、一緒にいることができて、幸せだよ? 尚斗のお母さんに感謝しないとね。俺たちを出会わせてくれてありがとうって」
「あ……」
真っ直ぐに俺を見る、揺蕩う海のように深い色の瞳が、街路灯の光を受けてキラキラと反射する。
『尚ちゃんが嬉しいと──ママも嬉しいから』
そう言って笑ったあの人を──思い出す。
明日は、貴女の好きな秋桜の花を贈ろう。
そして話そう。
日常のこと。
友達のこと。
好きな人のことを。
そして。
今がどれだけ幸せなのかを──。
「……あぁ、そうだな」
月冴の言葉に頷いて、握られた指先に力を込める。
金木犀の香りを纏った秋風が──俺たちの頬をそっと撫でた。
【10月の幸福論_完】
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