いつまでも夕暮れが続く国

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いつまでも夕暮れが続く国

 いつまでも夕暮れが続く国で、時の番人48721番はあくびを噛み殺した。  様々に変化する色を番人として夕暮れの国に赴任した当初は美しく思った。しかし、感覚というものは慣れに侵されるもので。番人48721番は、ようするに今現在、とてつもなく暇だった。  大人二人分くらいの高さがある赤煉瓦の塀の天端で、行儀よく足を組んで水平線に見え隠れする太陽を眺める。眼前の海も、自身が腰を下ろす塀も、塀と並行する海沿いの道も、先が見えない。  時の番人48721番の仕事は、夕暮れが夕暮れであることを見守るだけだった。海と塀と道しかない世界でただ夕暮れを見守る。番人がぶらつかせる足のすぐ下を、時折、人が通り過ぎていく。海沿いの道を、番人の右側からやってきて左側に消えてゆく。誰も塀の上の番人を見上げたりはしなかった。番人も呼び止めることはない。 ーー退屈だ。  と、何万回思っただろうか。ふと気づくと、塀の下から番人を見上げる者がいた。 「何か用か」  この国に来てから初めて、番人が出した声であった。  番人を見上げる男は、栗毛を肩くらいまで伸ばした青年だった。癖っ毛が跳ねている。 「あなたこそ、そこで何をしているのです?」  青年の態度は気安かった。不思議とそれを嫌だとは思わなかった。 「仕事だ」  番人は簡潔に事実を述べた。青年は立ち止まったまま番人を見上げている。 「退屈ではありませんか?」  見透かされたような言葉に、番人は少しばかり驚いた。 「何もしないことは、退屈ではありませんか?」  重ねて青年はそう言った。癖っ毛が揺れる。青年の目が細まった。 「もちろん退屈だ。だがこれは仕事だ」  番人は、やはり事実だけを述べた。 「あなたはいつまで、そこにいるつもりですか」 「いつまでも」  番人の変わらぬ態度に、青年は少しばかり苛立ったように見えた。 「朝から追い出し、昼から追い立てて。僕はようやくここまで来ました」  青年は番人の方に手を伸ばした。正確には、番人の足に。  今度こそしっかりと驚いた番人は、青年の手を逃れようと足を動かした。しかし足を組んで座っていたために、青年の手は容易く足首を掴んだ。 「愛しています」  青年がそう呟いた時だった。  様々な夕方を見せていた空が、暮れ始めた。  赤と青の狭間のグラデーションが空を彩る。  時の番人48721番は自分の足を掴む青年の手を蹴り上げ、彼を強く睨んだ。 「マジックアワーとは、醜悪なものを呼んでくれたものだ」  番人は塀の上に立った。夕焼け色のワンピースが夜風に翻る。 「僕はただ、あなたを愛しているんです」  番人は青年を静かに見下ろした。そして首を横に振る。番人の長く真っ赤な髪の毛が揺れた。 「ああ、思い出したよ。お前は闇の欠片だな。私はお前に追われてここまで来た」 「そう、僕は光の欠片であるあなたに一目惚れしたんです。もうすぐ闇が来ます。僕の国に一緒に行きませんか。退屈はさせません」 「私は退屈が望みだよ」  番人はそういうと、今まさに暮れんとする空の白い筋に、手のひらを向けた。白い筋の中から多数の鳥が生まれる。白文鳥たちが二人の方へ群れを成して飛来し、桜色のくちばしで青年をつつき破った。  そうすると青年は「残念」と言って、黒い靄になり、白文鳥の羽ばたきに霧散する。  暮れかけた空は夕暮れを取り戻し、白文鳥が赤い光に溶けた。  青年の立っていた場所には、灰色のスニーカーが残されていた。  時の番人48721番は塀からヒラリと飛び降り、スニーカーを拾い上げた。 「忘れものだぞ」  そう言ってスニーカーを海に向かって放り投げた。ポチャンと落ちた水面が不気味な波紋を作った。青年の悪意のない笑みが番人の脳裏によぎる。  これで終わりではない気がして、彼女は朝焼けの国に逃げることにした。
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