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異世界で僕は女になっていた。
古めかしくてボロい変な服を着ている。
転移前のことは良く分からない。男だったことは確かだと思う。
後は、もやっとしていて覚えていない。
それで僕は今、何だか暗くて狭いところにいる。
道具入れの中みたいだ。
すると——、遠くから男たちの声がした。
「いたか?」
「こっちにはいない」
「後は向こうか」
駆ける足音。
それが近づいてくる。
かなりの人数だ。声もはっきりと聞こえてくる。
「あの女、見つけ次第ぶっ殺す」
「バカ、生きたまま捉えるんだ。魔女は火炙りにしないと生き返る」
「まずこれで刺す。それで魔法を使えなくして刑場まで引きずる」
すごく嫌な予感がした。
僕は魔女なのか?
あの男たちの「狩り」の対象なのか?
でももし本当に魔女ならば、魔法が使えるのなら、隠れていることはない。
飛翔して、男たちに火炎を浴びせればいい。
本当に?
本当に使えるのか? もし使えなかったら殺される。
足音がどんどん近づく。
僕は思わず息を止める。
見つかりませんように!
いくつもの足音が地響きをたてながら着実に近づいて来て、道具入れの少し手前で止まった。
近くの家の扉を激しく叩く音。
怒鳴り声。
押し入る気配。
すぐに男たちは出てくる。
「いねえな」
「どこへ行きやがった」
そしてついに、一人の足音が道具入れの前まで来る——!
「ここ、怪しくねえか?」
沈黙。
僕の体は凍り付いて動かない。
「開けて見ろ」
見つかる——!
僕はきつく目をつぶった。
その時だった。
「いたぞ!」
数軒先で雄叫びが上がった。
それから女の悲鳴も。
「おお!」
男たちは歓声をあげて走って行く。
——助かった、のか。
でも、僕はまだ体中が強張って痺れて動けない。
男たちは遠ざかっていき周りは静かになった。
ずっとここに隠れているわけにはいかない。
逃げなくては。
でも、どこへ?
僕は、恐る恐る道具入れの蓋を持ち上げ外を見た。
月明りで、粗雑な石造りの家々が見えた。
おそらくは中世、魔女狩りが横行したヨーロッパ。
僕はそのど真ん中に「魔女」として転移したっていうのか?
冗談じゃないよ。
僕は道具入れから転がり出た。
幸い、通りには誰もいない。
皆、恐れているのだ。
魔女を?
それとも魔女狩りを?
遠く、小高い丘に人が集まりつつあるのが見えた。
丘では火が焚かれている。
大きな十字架が立てられて、人が括りつけられようとしている。
さっき捕まった女だ。
あの女、生きたまま焼かれてしまう。
助けなくては。
僕は、魔法で彼女を救えるのではないか?
「お、おまえは誰だ?」
後ろで声がして、僕はびっくりして振り返った。
十歳くらいの男の子が、僕を睨みつけていた。
やばい、見つかった。
「怪しいものじゃ」
言いかけた僕を、
「おまえも魔女か」
男の子が遮った。
「いや違う、そんな悪いものじゃなくて」
「じゃ、手に持っているそれは何だ!」
言われて初めて、僕はスマホを握りしめていたことに気づいた。
電源が入ってしまい、画面が発光していた。
「お前、手に太陽を持っている。魔女だ、ここにも魔女がいる! 誰か! 魔女だあ!」
男の子が叫び始める。
まずい。
僕は丘とは反対の方へと走り出した。
魔法で飛ぼうとする、——飛べない。
火炎も——、出ない。
なんだよ、魔法なんか使えないじゃないか。
どうしたらいいのか全然分からないよ。
後ろの方で村人たちが家から出てくる気配がする。
口々に、魔女だ、魔女がいたぞと言いながら。
そこで唐突に転移前の記憶が蘇った。
僕はそこでも「逃げて」いた。
僕は大学1年で一人暮らしを始め、でも新型コロナウイルス感染拡大のためにずっとステイホームで、講義もネット。それで友達も全然出来なくて、そうしたら同じ語学クラスの何人かで顔合わせを兼ねて遊びに行こうという話になった。
きちんと感染防止ルールは守ったんだ。——でも、クラスター感染が発生してしまった。
初めはネットだった。あることないこと書かれ個人名も特定され、炎上した。そこに油を注いだのがメディアだ。ネットのデマを検証もせずに紹介した。
僕は陰性だったけど、怖くて外に出られなくなった。テレビも見られなくなった。SNSも全部アカウントを消した。世間から逃げ引き籠った。それで願ったのだ。どうか僕を異世界に転移してくださいと。
それがここか!
ここだっていうのか!
僕はまた「魔女」になって「狩られて」逃げ惑うのか。
人は自分の正義を盲信すると悪魔にもなる。
神さま、酷過ぎます。
別の異世界に転移させてください。
それとも、どこの世界もこんなだと言うんですか?
地獄廻りをさせられるのですか?
そんなこと、ないよね?
「ああー!!」
僕は走りながら言葉にならない叫び声を上げた。
ただただ、上げ続けた。
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