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千万本の矢
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ーーああ、でも、本当におかしな話しなのだ。
おかしなことの上に、またおかしなことがあるのだ。
ほくの大好きなべにちゃんは、こんなネクタイのことが好きなのだ・・・。
「伊集院くんてすてきよね。・・・なんというか大人っぽくて落ち着いていて、貫禄があるわ。そうしたものってやっぱり家柄や育ちの良さが大切なのかも。」
大人っぽくて落ち着いていて、貫禄がある?違うよ、あれはふてぶてしいっていうんだよ!
なんだいべにちゃん、家柄や育ちの良さ?それならクリーニング店を開いている、お父さんとお母さんから産まれたぼくは、生まれながらにして、すてきにはなれないっていうの!?ぼくんちに家柄なんて大そうなものはない。育ちも時折クリーニング店のカウンターに立つこと以外、普通の子の変わらないと思う。
べにちゃんは、いつもこんな風にぼくにネクタイのことを話す。憧れと羨望と尊敬の話し。
ぼくの耳は、千万本の矢をぶつけられたようにイタい。そのたび、心の中でべにちゃん反発するのだ。
ーーべにちゃんのわからずや、おたんこなす!ネクタイなんてだめだめだよ!いいとこなんて本当はこれっぽっちもないのだから!早く気づいて!
でもけして口には出さない。出せない。なぜならそんなことをいったら、べにちゃんは、きっとひどく悲しむと思うから。それにぼくを嫌いになるかもしれない、それだけは絶対の絶対にいやだ。
「うん、ネクタイは男から見たって、魅力的だよね。べにちゃん見る目あるね!」
僕の舌は、けして天国へは行けないだろう。うそ千万回の罪で、閻魔さまに千万回、舌を抜かれるだろう。
でもいいんだ・・・。
こうしていれば、べにちゃんは五月の木漏れ日を浴びているみたいに、朗らかな笑顔を見せてくれるのだから。
これくらいの嘘は、なんでもないと思った。
「さっすが、たけちゃん!わかってるねー!!」
たけちゃんというのは、ぼくのことだ。
ところでぼくのべにちゃんは、ぼくんちの狩野クリーニングの隣にある、小竹書店の一人娘である。
狩野 竹春。
小竹 紅緒。
ぼくらは幼なじみってわけさ。
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