千万本の矢

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

千万本の矢

             2/11    ーーああ、でも、本当におかしな話しなのだ。  おかしなことの上に、またおかしなことがあるのだ。  ほくの大好きなべにちゃんは、こんなネクタイのことが好きなのだ・・・。 「伊集院くんてすてきよね。・・・なんというか大人っぽくて落ち着いていて、貫禄があるわ。そうしたものってやっぱり家柄や育ちの良さが大切なのかも。」  大人っぽくて落ち着いていて、貫禄がある?違うよ、あれはふてぶてしいっていうんだよ!  なんだいべにちゃん、家柄や育ちの良さ?それならクリーニング店を開いている、お父さんとお母さんから産まれたぼくは、生まれながらにして、すてきにはなれないっていうの!?ぼくんちに家柄なんて大そうなものはない。育ちも時折クリーニング店のカウンターに立つこと以外、普通の子の変わらないと思う。  べにちゃんは、いつもこんな風にぼくにネクタイのことを話す。憧れと羨望と尊敬の話し。  ぼくの耳は、千万本の矢をぶつけられたようにイタい。そのたび、心の中でべにちゃん反発するのだ。  ーーべにちゃんのわからずや、おたんこなす!ネクタイなんてだめだめだよ!いいとこなんて本当はこれっぽっちもないのだから!早く気づいて!  でもけして口には出さない。出せない。なぜならそんなことをいったら、べにちゃんは、きっとひどく悲しむと思うから。それにぼくを嫌いになるかもしれない、それだけは絶対の絶対にいやだ。 「うん、ネクタイは男から見たって、魅力的だよね。べにちゃん見る目あるね!」  僕の舌は、けして天国へは行けないだろう。うそ千万回の罪で、閻魔(えんま)さまに千万回、舌を抜かれるだろう。  でもいいんだ・・・。  こうしていれば、べにちゃんは五月の木漏れ日を浴びているみたいに、朗らかな笑顔を見せてくれるのだから。  これくらいの嘘は、なんでもないと思った。 「さっすが、たけちゃん!わかってるねー!!」  たけちゃんというのは、ぼくのことだ。  ところでぼくのべにちゃんは、ぼくんちの狩野(かりの)クリーニングの隣にある、小竹(こたけ)書店の一人娘である。  狩野 竹春(かりの たけはる)。  小竹 紅緒(こたけ べにお)。  ぼくらは幼なじみってわけさ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!