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ブラックホール
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春はときおり、日中にしか顔を見せないことがある。
朝晩はまだ寒い日があり、暖房が必要なときもあった。
今朝がそれで部屋の中でも、息がほぅっと白くはき出されて、空中で霧散している。
ぼくは学校にいく準備を始めていた。
準備を始めるとすぐにべにちゃんが、迎えにきた。いつもより十五分も早い。
「たけちゃん!迎えにきたよー!」
ぼくらは幼稚園の頃から、毎日一緒に通園・通学している。
べにちゃんの声は、いつもより大きくはずんでいる。上機嫌のときの声だ。
「はーい!今行くねー!」
窓から顔を出してべにちゃんにいう。
急いで教科書や筆箱を鞄に入れ、階段を下りる。
「今日は早いんだねー。」
玄関で靴を履きながらいいドアを開けると、べにちゃんが、いつも通りに笑って立っているはずだった。
あれ?
ひと目見た瞬間にそう感じた。
今日のべにちゃんはいつもと違う。
答えはすぐにわかった。
笑顔。
いつもの笑顔とずいぶん違う。
朝のヒカリに負けないくらいの、新鮮でまばゆい笑顔。瞳の奥深くに、はっきりとした輝きを宿し、口元はかすかに笑って、見るもの全てをとりこにしてしまいそうな笑顔。
その通り、ぼくは、見とれてしまった。
そして、べにちゃんはこういい放った。
「たけちゃん、わたし、きのうの夜、決心したの・・・。わたし今日、伊集院くんに告白するわ!いつまでこうして遠くから眺めていたって、なんにも変わらないもの。早くたけちゃんに話したくてこんな時間にきちゃった!」
べにちゃんは左の胸を両手でおさえていた。きっと、トクン、トクンと心臓が激しく脈打つのが苦しいからだ。
「・・・・・・」
ぼくはこんなべにちゃんを、素直にきれいだと思った。こんなきれいな表情を浮かべられるのは、べにちゃん以外にないと思った。
・・・でも、きれいだと思う分だけ、ぼくの胸はぺったんこにしぼみ、キューと悲鳴をあげる。
べにちゃんは、ぼくの気も知らず、次々と話しつづける。・・・ぼくの気も知らず。でもそれは自分勝手だ。そうさせているのは、ぼく自身の嘘に始まりがあるのだから。
きのうの夜に、告白を決心するまでの経緯。ラブレターを書くのに十二時間もかかったこと。内容はいくらたけちゃんでもすぐには教えられない、恥ずかしいから。いつか必ず話すから、それまで待っていてほしい、等々いつまでも話しつづけた。
耳に千万本の矢が、次々に突き刺さる。ひっきりなしだ。千万本かける千万だ。ぼくは、たまらなく苦しい。涙が出そうなのを必死でこらえた。
「それで、たけちゃんにお願いがあるの。」
・・・いやな予感がする。
「・・・え?うん。なあに?・・・なんでもいってよ。ぼくできることならなんだってするからさ。」
ぼくは一生懸命に嘘をついた。
「わたし、伊集院くんに、手紙を書いたの。・・・わたしの初めてのラブレターよ。それで、この手紙をたけちゃんから伊集院くんに渡してもらいたいの。わたし、とてもじゃないけど、自分で渡すなんてできそうにないから。ほかの人に知られるのもいや。でもたけちゃんにだったら頼めると思って。だめ?」
ぼくは、まかせて、と短く返事をした。声が少し震えていたと思う。
ぼくはたくさんの嘘をついてしまっている。ぼくがべにちゃんに嘘をつくときは、決まってぼくの胸がぺしゃんこになるときだ。
べにちゃんは、鞄の中からうす桃色の封筒を取り出して、ぼくに差し出す。
ぼくは受け取るよりほかない。
今まで、べにちゃんの恋を応援するようなことばかりいっていたのだから。
受け取ると、うす桃色の手紙はブラックホールのように重たく感じた。
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