ネクタイ

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ネクタイ

          1 / 11  ーーおかしな話なのだ。  ()()()()はいう。 「今日のぼくのジャケットはねぇ、フランス製で三百ユーロもしたものなんだ。ユーロってわかるかな? でもぼくはいまいちだと思うんだよね。ふふん。色がね、もう少し濃いブルーでもよかったのかなぁって、そうは思わない?」  花ノ井小学校、六年二組の教室。   ネクタイというのは彼のあだ名である。  彼は月にニ、三度、ネクタイをして登校するので、みんなこう呼ぶようになった。ネクタイをしてくるときは、大人みたくスラックスのズボンに、キッチリとしたジャケットをまとっている。こうした日は、学校の帰りに家族と街にいって買い物をしたり、外でご飯を食べるのだそうだ。  ネクタイというあだ名は、良い意味でも悪い意味でも、満場一致だと思う。というのは、普通にもしくは尊敬の意でネクタイという子の他に、『ネクタイ!』とわざと大仰に、嫌味っぽくいう子がいるからだ。  ただし、本人はそんなこと全く気にしていない。嫌味とわかっていても、堂々として全くひるまない。どんな意味でいわれようと、ネクタイと呼ばれることは、自分がみんなよりも大人であることの証であり、敬称である、だからそう呼ばれるのは至極(しごく)当然なのだ、というふうに。  本名は伊集院 大河(いじゅういん たいが)。  名前からして、いかにも偉そうだとぼくは思う。  ネクタイの周りには男女、五、六人の友達が集まって、みんな、羨望(せんぼう)と尊敬の眼差しで、ネクタイを見ている。みんなは、似合ってるわよ、かっこいい、これでも満足できないなんて信じられない、と賛称する。  また、ネクタイはこんなこともいう。 「きのうは百グラム三千円ほどのステーキを食べたんだけど、とてもおいしかったよ。マミィーの作る料理は素材自体の味を大切にしてるからね。風味が違うんだ。」  ネクタイは自分のお母さんのことを、「マミィー」と呼んでいる。お父さんは「パピィー」。カタカナ英語ではなく、ちゃんとした英語で発音する。まるで自分が外国で育ったような口ぶりだ。  周りの友達は、この話にも大いに感心したようで、うらやましい、すごくおいしいのでしょうね、一度でいいから食べてみたい、等々しゃべっている。    ぼくは、冷ややかな目でそのグループを見る。  ぼくは、表にこそ出さないが、心の内ではネクタイをいやなやつだと思っている。  だって、いつも鼻をぷっくりふくらませて、今みたいに、今日着てきた服がいかに高価で貴重なものか、きのう食べたご飯がいかに僕らと違って高級なものか、自分がどんなにお金持ちで偉いかという話ばかりしている。  トンチンカンなことをいうんじゃない!  確かにネクタイの服は、上品でかっこいいし、食べ物だっておいしそうで、とてもうらやましい。  でもだからといって偉いってことはない、尊敬に値するっていう法はない。物やお金が人を偉くするなんて本当にばかげていると思う。  だってそれだったら、持っている物やお金の量とその人の偉さは比例してしまう。たとえニュートンが認めたって、ぼくはこんな方程式、断固認めない。  大事なのはいつだって気持ちとか心がけとかだと、ぼくは思う。  ーーああ、でも、本当におかしな話しなのだ。  おかしなことの上に、またおかしなことがあるのだ。  ほくの大好きなべにちゃんは、こんなネクタイのことが好きなのだ・・・。 「伊集院くんてすてきよね。・・・なんというか大人っぽくて落ち着いていて、貫禄(かんろく)があるわ。そうしたものってやっぱり家柄や育ちの良さが大切なのかも。」  大人っぽくて落ち着いていて、貫禄がある?違うよ、あれはふてぶてしいっていうんだよ!  なんだいべにちゃん、家柄や育ちの良さ?それならクリーニング店を開いている、お父さんとお母さんから産まれたぼくは、生まれながらにして、すてきにはなれないっていうの!? ぼくんちに家柄なんて大そうなものはない。育ちも時折クリーニング店のカウンターに立つこと以外、普通の子の変わらないと思う。  べにちゃんは、いつもこんな風にぼくにネクタイのことを話す。あこがれと尊敬の話し。  ぼくの耳は、千万本の矢をぶつけられたようにイタい。そのたび、心の中でべにちゃん反発するのだ。  ーーべにちゃんのわからずや、おたんこなす!ネクタイなんてだめだめだよ!いいとこなんて本当はこれっぽっちもないのだから!早く気づいて!  でもけして口には出さない。出せない。なぜならそんなことをいったら、べにちゃんは、きっとひどく悲しむと思うから。それにぼくを嫌いになるかもしれない、それだけは絶対の絶対にいやだ。 「うん、ネクタイは男から見たって、魅力的だよね。べにちゃん見る目あるね!」  ぼくの舌は、けして天国へは行けないだろう。うそ千万回の罪で、閻魔(えんま)さまに千万回、舌を抜かれるだろう。  でもいいんだ・・・。  こうしていれば、べにちゃんは五月の木漏れ日を浴びているみたいに、ほがらかな笑顔を見せてくれるのだから。  これくらいの嘘は、なんでもないと思った。 「さっすが、たけちゃん!わかってるねー!!」  たけちゃんというのは、ぼくのことだ。  ところでぼくのべにちゃんは、ぼくんちの狩野(かりの)クリーニングの隣にある、小竹《こたけ)書店の一人娘である。  狩野 竹春(かりの たけはる)。  小竹 紅緒(こたけ べにお)。  ぼくらは幼なじみってわけさ。  
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