三日月の宝石と虹の橋

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三日月の宝石と虹の橋

 西の空からはゆっくりと雲が流れてきて、ときどき太陽の光を遮る。それでも今日は、まとわりつくような7月の暑さだった。私は街の高台に向かって、必死に走った。朔が眠っているところへ、あなたに会って、謝りたいことがあるから。  右手に握った手紙から、朔の声が聞こえてくるようだった。 ―朱里へ  この手紙は、僕が死んで、しばらくしたら朱里に渡してもらうように、お願いしていたものです。だから、今これを読んでる時は夏ぐらいかな。  直ぐに渡さないようにしたのは、こんな僕でも、いなくなった時は、朱里が悲しむだろうし、ひょっとしたらすごいショックで、落ち込んでて、そんなときにこんな手紙を受け取っても、困るかもしれないかなと思ったからです。  僕の病気が分かったのは、高校2年の時で、その時に「完治しなければ、余命2年」って言われてた。そのうち1年は、朱里と亮二と一緒に使いたかったから、病気のことは、言わないでおいたんだ。変な気を使ってほしくなかった。普通に接して、生活していたかったんだ。  朱里とは子供のころから一緒だったから、恥ずかしい所も、弱い所も見せあえて、僕は朱里と出会えて、幸せだったんじゃないかと思ってる。  でも亮二が転校してきて、ずっと僕の姉のようだった朱里が、亮二を頼ったりして居るのを見ていたら、なんだかちょっとだけ、朱里が離れていった気がしていたんだよ。  そしてそれは、気のせいじゃないって、僕は気づいた。  僕は朱里が好きだった。でもそれに気づいた時には、朱里は亮二を見ていた。亮二も朱里を好きで、2人は僕がいるから、踏ん切りがつかないんだろうって思った。  だから、亮二に勝負を挑んだ。亮二が本気になれば、病気の僕が勝てるはずないと思ったから。    愛する君よ、これからは自由に、僕の分まで生きてください。僕の事は、忘れてもいいし、たまに思い出してくれてもいい。  僕は朱里と過ごせて、幸せだった。ありがとう。  君はこれから自由に、生きてください。                                     朔 ― 「さく、朔・・・・・」  私は懸命に走った。私は朔に、言わないといけないことがあるから。  高台の墓地に着いた。朔が眠るお墓が、目の前にある。  私は肩で大きく息を吐きながら、一歩、一歩、ゆっくりと歩を進めた。 「朔・・・・・ごめんね・・・・・わたし・・・・・」  朔がそこにいるような気がして、足の力が抜けて、地面に座り込んだ。 「あなたに、謝りたいことがあるの。子供のころから、ずっと一緒だったあなたを・・・」  チクチクと針で刺されるように、心が痛んだ。  何を言っても、過去は変わらないんだから、そのままでもいい。そんな風に考えたこともあった。でも、あなたに届かなくても、わたしは自分を偽りたくなかった。 「わたしは・・・・・亮くんが私の中で大きくなるにつれて、あなたが居なくなればいいのにって、思ってしまったの」  堰を切ったように、涙があふれてくる。 「朔は、私の大事な幼馴染で、姉弟で・・・なのに、邪魔だなんて思って・・・朔もそれに気づいたから、病気が治らないのかなって・・・」  湿った地面についた両手の間に、とめどなく涙がこぼれ落ちて、土の中へ吸い込まれていく。 「ごめんね、朔。わたしは・・・わたしは、あなたと最後まで、大切な存在で、いてあげられなかった。ごめんね・・・・・ごめん・・・・・」  嗚咽と涙で言葉が続かなかった。  私はただただ、街を見渡せる丘隆で、わたしを支配していた後悔を、吐き出していた。  絹糸のような、細い雨が降り注ぎだした。幾筋の雨粒が髪の毛を伝い、重なりながら大きくなって、毛先から地面へと落ちていく。  煙る雨は、不思議と心地よく、私を包んだ。柔らかくて、暖かい。両肩に、優しい体温を感じて、その手を握り返す。一つ声を聴いた気がした。 「― 大丈夫だよ ―」  懐かしい、優しい声だった。 「ありがとう、朔・・・・・」  握り返した手の感触が、指先に絡まって、やがて消えていった。  水の中に居るように、視界はぼんやりとしていた。まどろむ意識が徐々に戻ってくるに連れて、滲んだ景色は輪郭を取り戻していく。  小さく広がる街並み。その上に広がる青空と入道雲。屋根を伝い落ちる滴。吹き抜けのベンチに、私は身体を預けて座っていた。 「気がついたか?」  優しい声がした。ずっと私を見守っていたような、優しい声。声の主に預けていた身体を起こした。 「・・・亮くん」  上目で見上げた亮くんは、今まで見たこともないくらい、穏やかな表情をしていた。見覚えのある、街の景色。高台の展望台に、私と亮くんは居た。 「朔から、手紙が届いた」  亮くんは、私に届いたものとおんなじ、白い封筒を見せて、私に手渡して立ち上がった。亮くんの背中を見ながら、便せんを取り出す。  朔は、亮くんに謝っていた。自分が居るから、私との仲を踏みきれないこと。これからは、自分の事は忘れて幸せになってほしいこと ― 「あいつは、良いやつだった」  亮くんの背中越しに、小さい声が飛んできた。 「あいつは、親友だった」  小さいけれど、力強い声だった。 「なのに俺はあいつを・・・あいつさえいなければって、そんな風に思ってしまうんだ」  亮くんは、自分の心に沸き起こった黒い雲を、私に打ち明ける。 「あいつは親友なのに、大好きな親友を、一瞬でもそんな風に思ってしまう、自分が嫌で、たまらなかった」  展望台の柵に手をついて、小さく浮かぶ街並みを見つめている。 「俺の気持ちに気づいたあいつは、自分の命を削ってまで、俺に勝負を挑んできたんだ。もう、俺に勝てないって、分かってて。俺の背中を押すために」 「・・・亮くん」  私は亮くんのそばに寄り添った。私と同じ苦しみを、亮くんも抱えていたんだね。 「俺の親友は、立派な奴だよ。俺は、あいつみたいになれるのかな」  そういう亮くんの声は、少し震えていた。 「私も亮くんと同じよ。朔が居なくなればって、少しでも思ったことが、苦しかった。朔は、私の大事な幼馴染で、姉弟で・・・・・」  瞳に浮かんだ涙が、瞬きと一緒にこぼれた。 「でも朔は、亮くんも、私も許してくれる。どこまでも優しくて、強くて・・・」  ボロボロと、とめどなく涙があふれる。 「だから、朔の分も、頑張って生きよう。それが、私たちに出来ることだよ」  亮くんが顔を上げて、私を見つめる。私は泣きながら、精一杯笑った。私をそっと抱き寄せると、大きな手で、私の泥だらけの手を包むように握った。  手のひらに落ちた涙の滴が、キラキラと、三日月の宝石のように輝いている。    青空には、深く、大きく、色鮮やかな虹の橋が、私たちを見守るように架かっていた。
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