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謝りたいことがあるから
大学は夏休みに入り、2か月ぶりに実家のある街へ帰った。この間までは、月に1、2回は帰ってたのだけど、あの日から、帰ってくる理由は一つ減って、私の足は故郷のこの町から遠のいていた。
夏の眩しい日差しの中で、ぶらぶらと当てもなく歩く。
この通りを真っすぐ行くと、小さいころに通った駄菓子屋さんがある。おばあちゃんは、元気かな。
アイスクリームを買って食べようとして、袋を開けた瞬間に、朔が落としちゃったんだよね。しょうがないから、私のを2人で分けて食べたっけ。
ああそうだ、この先の家に、怖い犬が居るの。通りがかると、生垣の向こうからずっと吠えてきて、庭から生垣に鼻先を突っ込んで、低い声で威嚇してくるの。私たち2人は、いっつも怯えながら、学校に通ったんだよ。
でもある日、その家のおじいちゃんが亡くなって、それから唸り声が聞こえなくなったの。気になって、朔と一緒に生垣の隙間から、お庭を覗いたら、茶色の犬が地面に伏せて眠ってた。私たちの知ってる犬は、おっきくて強そうだったのに、すっごく痩せてて、元気なさそうだった。
それを見た朔は”かわいそうだ”って泣き出して、それを見た私も悲しくなって、2人で泣きながら家に帰ったの。そしたらね、朔のお母さんがホットケーキを焼いてくれて、私たちは泣きながら食べたんだよ。
公園の水飲み場で、水を飲んでる時だったかな。朔がまじまじと私を見てくるの。「何よ?」って睨んだら、自分と私の身長を比べて、「俺の方が背高くなったぞ!」って、自慢してきたの。
悔しくて、蛇口の先を半分塞いで、朔に水をかけてやったわ。でもあの時なんか、朔がちょっと遠くに行った気がした。
この海にも、家族で魚釣りに来たりしてたな。でも私はエサが触れなくて、朔に付けてもらってた。魚が釣れても針が外せなくて、朔が外したの。自分も釣りをしながらだから、朔は釣りに来ると、大忙しだったのよ。
「つまんないよね、こんな話」
私は亮くんと堤防を歩きながら、小さくため息をついた。
キラキラと光る海は、子供のころと変わらない景色なのに、なんだかその輝きが、押しつけがましくも思える。
「いや、そんなことないよ。俺は知らなくても、朔との大事な思い出だからな」
久しぶりに、2人で歩いてみよう。そう誘ってくれたのは亮くんだ。あの日以来亮くんは、じっと私を待って、寄り添ってくれている。こんな話を聞きたかったのかは、分からないけど。
「ありがとう」素直にそう言えた。
「朱里は強いな。涙一つ、俺たちに見せない」
「冷たい女だからかな」
「お前が冷たい女なら、俺は氷の彫刻ぐらい、冷たくなってるよ」
小さく笑って、亮くんは首を振った。
「亮くんは、優しいよ。私はなんだか、朔が死んだって、全然実感が無くて」
「それは俺もだよ。あいつがいないって、どういうことなのか、分からなくなってる」
海のキラキラに目を細めて、亮くんは苦しそうに、途切れ途切れになりながら言った。
私と亮くんは、立ち止まったまま、次の足をどちらに踏み出したらいいか、どちらの足から踏み出せばいいか、それさえも分からなくなっているんじゃないだろうか。
「朔に、誕生日おめでとうって、言ってあげたかったな」
「カゼだったから仕方ないじゃねえか。あいつ、合併症の事、隠していやがったし」
「うん」
「前の日俺のジャンバー着ないで、薄着のまま我慢するから、カゼひいたんだぞ」
「あ、そうだったね。ごめん」
亮くんは人差し指で、私のほっぺたをグリグリと突いてきた。無理やり明るく振舞っているんだと思う。
でもね、亮くん。あの時ジャンバーを着なかったのは、ちょっとでもカワイイところを、亮くんに見てもらいたかったからなのよ。
そんなこと、言葉に出来ない。言葉にすると、何かが壊れてしまいそうだから。
実家の部屋に戻って、ベットに腰を下ろした。白い壁紙をぐるっと見回しながら、もしかしたら朔との思い出が詰まっていないのは、この部屋かもしれない。
テーブルの写真立てで、目線が止まった。
あの雪だるまの写真。やっぱり、朔の想いでは、私から消えることはないのだと思い、立ち上がって写真立てを取ろうとして、テーブルに白い封筒が置かれていることに気づいた。
なんだろう? 私は手紙サイズの封筒を手に取り裏返してみる。
右下に『朱里へ』とだけ書いてある。でもこの文字には、見覚えがあった。朔の字だ!
心臓が高鳴り、ドクドクと、血液を送り出す音がはっきりと聞こえる。ハサミで封筒の上部を切り、便せんを取り出す。
朔の字を目で追って行く。視界が霞んで字が見えなくなるたびに、まぶたを手で拭った。全て読み終える頃には、私は立っていられなくなって、机に寄りかかるように膝をついた。
ああ、でも、謝らなきゃ・・・・・
私はよろよろと立ち上がり、便せんを封筒に戻すと、部屋を飛び出した。
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