謝りたいことがあるから

1/1
前へ
/12ページ
次へ

謝りたいことがあるから

大学は夏休みに入り、2か月ぶりに実家のある街へ帰った。この間までは、月に1、2回は帰ってたのだけど、あの日から、帰ってくる理由は一つ減って、私の足は故郷のこの町から遠のいていた。  夏の眩しい日差しの中で、ぶらぶらと当てもなく歩く。  この通りを真っすぐ行くと、小さいころに通った駄菓子屋さんがある。おばあちゃんは、元気かな。  アイスクリームを買って食べようとして、袋を開けた瞬間に、朔が落としちゃったんだよね。しょうがないから、私のを2人で分けて食べたっけ。  ああそうだ、この先の家に、怖い犬が居るの。通りがかると、生垣の向こうからずっと吠えてきて、庭から生垣に鼻先を突っ込んで、低い声で威嚇してくるの。私たち2人は、いっつも怯えながら、学校に通ったんだよ。  でもある日、その家のおじいちゃんが亡くなって、それから唸り声が聞こえなくなったの。気になって、朔と一緒に生垣の隙間から、お庭を覗いたら、茶色の犬が地面に伏せて眠ってた。私たちの知ってる犬は、おっきくて強そうだったのに、すっごく痩せてて、元気なさそうだった。  それを見た朔は”かわいそうだ”って泣き出して、それを見た私も悲しくなって、2人で泣きながら家に帰ったの。そしたらね、朔のお母さんがホットケーキを焼いてくれて、私たちは泣きながら食べたんだよ。  公園の水飲み場で、水を飲んでる時だったかな。朔がまじまじと私を見てくるの。「何よ?」って睨んだら、自分と私の身長を比べて、「俺の方が背高くなったぞ!」って、自慢してきたの。  悔しくて、蛇口の先を半分塞いで、朔に水をかけてやったわ。でもあの時なんか、朔がちょっと遠くに行った気がした。  この海にも、家族で魚釣りに来たりしてたな。でも私はエサが触れなくて、朔に付けてもらってた。魚が釣れても針が外せなくて、朔が外したの。自分も釣りをしながらだから、朔は釣りに来ると、大忙しだったのよ。 「つまんないよね、こんな話」  私は亮くんと堤防を歩きながら、小さくため息をついた。  キラキラと光る海は、子供のころと変わらない景色なのに、なんだかその輝きが、押しつけがましくも思える。 「いや、そんなことないよ。俺は知らなくても、朔との大事な思い出だからな」  久しぶりに、2人で歩いてみよう。そう誘ってくれたのは亮くんだ。あの日以来亮くんは、じっと私を待って、寄り添ってくれている。こんな話を聞きたかったのかは、分からないけど。 「ありがとう」素直にそう言えた。 「朱里は強いな。涙一つ、俺たちに見せない」 「冷たい女だからかな」 「お前が冷たい女なら、俺は氷の彫刻ぐらい、冷たくなってるよ」  小さく笑って、亮くんは首を振った。 「亮くんは、優しいよ。私はなんだか、朔が死んだって、全然実感が無くて」 「それは俺もだよ。あいつがいないって、どういうことなのか、分からなくなってる」  海のキラキラに目を細めて、亮くんは苦しそうに、途切れ途切れになりながら言った。  私と亮くんは、立ち止まったまま、次の足をどちらに踏み出したらいいか、どちらの足から踏み出せばいいか、それさえも分からなくなっているんじゃないだろうか。 「朔に、誕生日おめでとうって、言ってあげたかったな」 「カゼだったから仕方ないじゃねえか。あいつ、合併症の事、隠していやがったし」 「うん」 「前の日俺のジャンバー着ないで、薄着のまま我慢するから、カゼひいたんだぞ」 「あ、そうだったね。ごめん」  亮くんは人差し指で、私のほっぺたをグリグリと突いてきた。無理やり明るく振舞っているんだと思う。  でもね、亮くん。あの時ジャンバーを着なかったのは、ちょっとでもカワイイところを、亮くんに見てもらいたかったからなのよ。  そんなこと、言葉に出来ない。言葉にすると、何かが壊れてしまいそうだから。  実家の部屋に戻って、ベットに腰を下ろした。白い壁紙をぐるっと見回しながら、もしかしたら朔との思い出が詰まっていないのは、この部屋かもしれない。  テーブルの写真立てで、目線が止まった。  あの雪だるまの写真。やっぱり、朔の想いでは、私から消えることはないのだと思い、立ち上がって写真立てを取ろうとして、テーブルに白い封筒が置かれていることに気づいた。  なんだろう? 私は手紙サイズの封筒を手に取り裏返してみる。  右下に『朱里へ』とだけ書いてある。でもこの文字には、見覚えがあった。朔の字だ!  心臓が高鳴り、ドクドクと、血液を送り出す音がはっきりと聞こえる。ハサミで封筒の上部を切り、便せんを取り出す。  朔の字を目で追って行く。視界が霞んで字が見えなくなるたびに、まぶたを手で拭った。全て読み終える頃には、私は立っていられなくなって、机に寄りかかるように膝をついた。  ああ、でも、謝らなきゃ・・・・・  私はよろよろと立ち上がり、便せんを封筒に戻すと、部屋を飛び出した。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加