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決着をつけようぜ!
朱里の実家は、俺の家の2件隣にある。両方の家の間にあるのは、朔の実家だ。朔にホームランボールを届けて来たことを、朱里に報告しとこうと思い、朱里の実家に寄った。
2階の部屋で、朱里は寝ていた。昨日から熱を出して、寝込んでいたのだ。試合の日に体を冷やしたからだろう。
今日は見舞いばかりだな。少しため息をつきながら、ドアをノックして部屋に入ると、朱里は俺の顔を見て、体を起こそうとした。
「無理しなくて、そのままでいいよ」
俺は朱里の動きを制して、朱里の目線に合わせるように、床にあぐらをかいて座った。
「どうだ、調子は?」
「うん、昨日より、だいぶ良くなってきたよ」
「よかった。今さっき、朔のところに行ってきた」
「うん、ごめんね、一緒に行けなくて。何か言ってた?」
朱里はベットの中で、体ごと横を向いて、俺と目を合わせていた。目が潤んで見えたのは、熱のせいなのか分からない。
「朱里はいつも、おんなじことを言う、ってさ」
「ちがうよ、亮くんのメッセージを見てよ」
朱里の真っすぐな目線をそらすように、俺は壁に背中を預けて、言葉を探すように、朱里の部屋を眺めた。
綺麗に片づけてある部屋は、ポスターもカレンダーもかかっていなくて、少し寂しげだ。3人で集まる時は大抵、朔の部屋だったから、朱里の部屋に入ったことは、実際数えるくらいしかなかった。
「そうだなあ・・・もっといたわれって」
「そう言うよね。大体なに? 勝ち逃げって」
朱里はいたずらに、笑みを浮かべていた。
「それはな、男同士の秘密ってやつだ」
「ずるい。そうやって逃げるんだ」
言葉では非難しながら、その答えが分かっていたのだろう。朱里はわざとらしく、頬を膨らませて見せた。
俺は、目に留まった机の上の写真立てに、吸い寄せられるように近づき、手に取った。
「これは?」と、写真を朱里の方に向ける。
「あ、それは大雪の日にね、朔と二人で雪だるま作った時のだよ。カワイイでしょ、2人とも。特に、私」
写真には、ちょっとすまして、雪だるまを紹介するポーズの朱里と、ガッツポーズ姿を決める、小さな朔の姿があった。
「ああ、そうだな・・・」と、写真立てを置いた。
俺の知らない2人が、まだあることを感じた。
朱里の家を出た。目の前には、雪だるまの空き地があった。
草が伸びだした空き地に入っていくと、いつも俺たちが”マウンド”にしていた場所に立つ。壁にはピッチング練習の的にした絵が、まだうっすらと残っていた。
朔はあの時、何を考えて、あんなことを言ったんだろう。不意に俺は、3年前の出来事を思い返した。
高校最後の試合を終えた俺たちは、最後に引退試合を兼ねた紅白戦をすることになった。俺と朔は別々のチームになり、初めてあいつと対戦する。
試合を始める前に、朔は俺に言った。
「亮二。この試合で、賭けないか?」
「ん、何を。昼飯か?」
「いや・・・・・朱里だよ」
俺はおどろいた。朔は今までに、野球の勝負で何かを賭けるなんて、言ったことが無かった。だから、賭けるってだけでも驚きなのに、よりによって、朱里を賭けるって・・・
「ダメかい?」
「いや、でもお前、モノじゃないんだぞ。あいつの気持ちは、どうなんだ」
「好きなんだろ、朱里のこと」
「・・・・・ああ」
「僕もだよ。でも、今の僕らは、お互いを気にして、どうしようもなくなってる。朱里も、僕らの関係を気にして、戸惑っている。だから、野球で決めるんだよ」
朔の目は、真剣だった。姉のような関係だった朱里に恋愛感情があるんだと、あいつはやっと、気づいたのかもしれない。
勝負の事を朱里には告げず、引退試合は始まった。
朔との勝負、あいつは俺に、ストレートだけしか投げてこなかった。両腕を天に突き上げたフォームから、快速球がうなりを上げて、ボールが飛んでくる。今まで体感したことのない、気迫を感じる球だった。
俺は必死でバットを振ったが、朔の速球を捕えきれず、三球三振に終わった。
次の打席、他にも引退のピッチャーが居るから、これが最後の勝負になるだろう。この打席で俺が打てば勝ち。だが負けると・・・
2回目のバッターボックスに向かいながら、朱里の姿を探した。朱里はネットの向こうで、声援を送っている。
朱里を、失う?! 途端に俺は、恐怖のようなものを感じた。
10歳の時に転向してきて、一番最初に仲良くなったのは、家の前の空き地で遊ぶ2人だった。チビで弱虫な朔を、しっかり者の朱里が面倒を見ている。姉弟のような2人だった。
俺は当時から体が大きかったから、朔を守って、朱里には頼られる存在になった。それがたまらなく嬉しかった。
お互いに成長して、俺たちは自分の道を考え始めた。その時から、俺は朱里を・・・・・
朔の渾身のストレートが、うなりを上げて飛んでくる。迫ってくる黒い霧の塊を切り裂くように、バットを振るが、ボールは革同士が破裂する音を立てて、キャッチャーのミットに納まった。
俺は地面に落ちたヘルメットをかぶり直し、マウンドを一瞥した。
出会った頃は小さかった朔が、とてつもなく大きく見えた。だが・・・
「お前に負けられないよ。親友」
一息ついて自分を落ち着かせ、バッターボックスに立った。
マウンドの朔を睨む。お前と朱里が、どれだけの時間を過ごしてきたか、俺は知っている。でも、俺も負けられない。
朔が投じた2球目。またストレートだ。俺はタイミングを合わせてバットを振り抜くが、僅かにボールを掠めて、打球はバックネットに突き刺さった。
タイミングは合ってきている。俺は一つ息を吐き、バットを構えなおした。一切の音が、俺の鼓膜から消えていった。聞こえるのは、俺と、朔の鼓動だけだ。
朔、もうここは、俺とお前だけの世界だ。決着を付けようぜ、親友。
両腕を天に突き上げて、朔が投げた渾身のストレート。俺はバットを振った。バットとボールがぶつかった時の、ひときわ甲高い金属音が響く。
いった! 手ごたえは十分だった。
レフトスタンド側に、大きく打球は飛んでいた。ゆっくりと飛んでいく打球を、そこにいる全員が見守る。
だが・・・・・打球はスタンドに入る前に、ファウルラインを割り、場外に飛び出していった。名残惜しく、打球の行方を俺は見送った。
悔しさと安堵のため息が、グラウンドの空気をグッと重たく変えて、この場を支配した。その空気が、朔!? と悲鳴に似た、大きな声で一変する。
声に促されて、俺はマウンドに目を移した。そこに立っているはずの、名前を呼ばれた親友が立って・・・・・いない!
朔は、地面に吸い込まれるように、うつぶせになって、マウンドに倒れていた。
驚いて、俺はマウンドに駆け寄った。みんなも慌てて集まってくる。
朔を抱き上げて、名前を呼ぶが、反応はない。人だかりをかき分けて、朱里も朔に呼びかけた。朱里の声だと分からないほど、俺が今まで聞いたことのない、悲痛な叫びだった。
その日初めて、俺と朱里は、朔の病気の事を知った。
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