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三章「マリオネットのキモチ」
「ジリリリ」
目覚ましの音が空気を震わせ、リリーの耳の奥へと響く。しかし、リリーはまだ起きたくないのか目覚ましをとめ、もう一度眼を閉じた。いつもなら、母親が優しく「リリー」と声をかけてくれる。リリーも寝ぼけた頭で母の声を待っていたのだが、瞬間…
「ボスン」
鈍い音とともに、お腹に衝撃を感じた。驚いて寝ぼけた頭を必死に起こそうと眼を見開き衝撃のあったお腹の方向をみやる。すると、一冊の分厚い本があった。衝撃の原因はこれか、と頭で理解し、いつもと違う部屋の情景に「ああ、お祖父様の屋敷にいるんだ。」ということをぼうっと理解した。しかし、何故本なのだろう。と数秒考えて、ベッドの横をみるとロアがじっとリリーの顔を眺めていた。
「ロ、ア。」
薄い目でロアをみる。真っ白な服が朝日に反射して目がチカチカしていた。
「起きた。」
無表情のまま見下ろしてたずねる。
「あ、うん。」
「下、来て。ご飯ある。」
まるでロボットのようなその物言いはなんだかよそよそしくかえって敬語より改まっている気がした。ロアはそう一言告げると、部屋を後にした。今起こった出来事を頭で整理しながら、ベッドからでる。すると、トンと何かが落ちた。
「あ、さっきの本。」
題名には経営学の基本と書かれていた。
「ああ、お祖父様の本ね。」
リリーの祖父ロイドは小さな会社を大手の会社にまで広げた名の在る社長だった。そのことが誇らしいリリーは自分も祖父に恥じない立派なレディーになろうと志していた。リリーはその本を手に取り、どこに戻すか分からず、とりあえず、机の上に置いといた。そうして、ロアの言葉を思い出し、ネグリジェからトランクにつめてあったピンクのワンピースを取り出し着替える。壁にかけてある時計を見ると八時をさしていた。昨日は眠たくなってしまって部屋を見ていなかったが、綺麗に片付けられていた。きっちりとまるでロボットが掃除したようにその人のくせというのがまるでなかった。普通。片付けるとき自分の趣味というものが出てくるだろう。例えばリリー、彼女はお気に入りの服をよく壁にかけたり、好きな花を飾ったりと好きにレイアウトを楽しんでいたが、この部屋は違っていた。確かに、かわいらしいぬいぐるみもある。花も飾ってある。しかし何か教本どおりというか何の感情もなかった。まるで本を見ておいてあるようだった。花のある花瓶は窓際に花はマーガレッで…少し昔を思い出して胸が痛んだ。同時にロアはやはり…。そう思ったがあまりにも違いすぎると考えるのを止めた。ぬいぐるみはひどく新しくベッドの横に置いてあった。
きっとロアだ。そう何の根拠もなく思った。
このなんの感情もない部屋が彼女はとても気に入った。きっと命令されて飾ったに違いないが、嬉しかったのだ、ロアがすこしでも考えておいてくれたのだ。その事実がリリーには嬉しかった。新品の香りがするくまのぬいぐるみをぎゅっと抱いた。
「よろしく、くまさん、今日からお世話になるわ。」
そういうとリリーは部屋をでて、下へと向かった。
「おはよう、ロア、さっきは起こしてくれたの?」
「うん。」
ロアは台所にたち、なにやらいい匂いの元を作っていた。
「本を落とすのがロアの起こし方なのかしら。」
「起きないから。」
「まあ、そうなんだけど、もっと起こし方があるでしょう。ゆすぶるとか声をかけるとか。」
「いつもこうやってマスターを起こしてる。」
「え、叔父様いつもそれで起きてるの?」
「そうしないとマスター起きない。」
「そうなの。」
丁度コンソメのいい香りがしてくる頃だった。ふああ、と眠そうにあくびをしながら階段を下りてくるハロルドがいた。
「おや、おはよう、リリーロア。」
「あら、お腹は平気?叔父様。」
「おお、リリーもあの起こし方だったのかい。」
「ええ、おかげで目ざめは最高よ。」
「ああ、先に言っておくけど、あの起こし方は僕が教えたんじゃないよ。」
「え、じゃあ、ロアが自分で。」
「うん、ただ、僕は目覚ましだけじゃ起きないから、何か強烈な起こし方をしてくれって。」
「確かに強烈ね。」
ロアは料理が出来たのか、トレーに2人分のトーストとその上に目玉焼きがのっかている。それととコンソメスープアがあった。出来立ての朝ごはんは湯気をだしいい香りがした。
「朝ごはん。」
そういってハロルドの前とリリーの前にそれぞれ朝食を置くとロアはトレーをもってキッチンへ行き方付けを始めた。
「ロアは食べないの。」
「食べた。」
「そう…。」
なんとなく寂しい気持ちだった。一緒にロアと朝食が食べたかったのかもしれない。
「じゃ、じゃあ昼は一緒に食べましょう。」
ロアは少しだけ考えたように動きをとめた。
「……はい。」
無表情のまま一言だけ答え、片づけを再開した。
「はぁいつになったら、ロアは笑ってくれるのかしらね。」
リリーは机に肘をつき、はあ、とため息をつく。
「こら、リリーお行儀が悪い。」
「叔父様はロアに笑って欲しいっておもわないの?」
「本人の自由なんじゃないかな。」
「違うわ。叔父様の気持ちを聞いてるのよ。」
「ん。そうだね。僕はこのままでもいいと思うよ。」
「どうして?」
「きっとこのままのほうが彼も楽だろうから。」
その意味がリリーには分からず。ただただスープをすするハロルドを見ていた。
「はあ、私には分からないわ。」
「分からない方がいいよ。」
ハロルドはそれから一言も喋らず、黙々と朝食を食べていた。リリーもなんだか話すタイミングを失い、ロアの手料理を味わった。
ロアの手料理は分量どおりに図ったような正しい味でそこには性格もそのひとのくせもない。けれども美味しいと感じる。ソレがリリーには不思議に感じた。とても静かな時間が流れた。しかしソレは孤独という静寂ではなく、誰かが一緒にいるという暖かな静けさだった。父も母も忙しくいつも一人でご飯を食べているリリーにはとてもお腹の底がこそばゆいような気持ちになった。ロアはというと片づけをとっくに済ませ、もう、その部屋にはいなかった。リリーも食事を済ませ席を立つ。
「ねえ、叔父様、ロア何処にいると思う。」「ああ、多分倉庫だろうね。」
「倉庫…。」
「昨日リリーが最初にいた部屋だよ。あそこには人形がたくさん置いてあるからね。落ち着くんじゃないのかい。」
「ふーん。」
「じゃ、僕は仕事に戻るとするよ。」
「あ、叔父様、程ほどにしてね。身体壊すといけないから。」
ハロルドは少し微笑んでリリーの頭をぽんと撫でた。
「ありがとう、僕を心配してくれるのは姉さんとリリーくらいだよ。」
「だって、叔父様ほっといたら死んでそうなんだもの。」
「おやおや、それはひどいなあ。こうして朝食もとってるし、なにより可愛い姪子より先には死ねないよ。」
そう言ってハロルドはリリーのおでこに軽くキスをした。
「まあ、叔父様ったら。」
ハロルドはまた軽く微笑むと、書斎へと向かった。リリーはハロルドと自分の使った食器を洗い、もとに戻した。そうしてロアの元へと部屋を後にした。
「ロア!ローア!!」
ロアは会った時のように壁にもたれかかり目をじっと瞑っていた。
「あ、リリー。」
「もう、すぐいなくなっちゃうんだから。」
「何か用。」
「んもう、冷たいんだから、お話しましょう。」
「何を。」
「んーそうね…。」
ロアはそのまま動かずに人形に囲まれ座っている。リリーはというとぐるぐると回りながらせわしない。はっとひらめいたようにせわしないのをやめ、ロアの前に真っ直ぐと正座をする。
「ロアについて教えてよ!」
顔には出ないが無表情のまま固まる。そしてひたすらの間が流れる。
「何もない。」
リリーはお構いなしに質問を繰り出す。
「えっとまずは。好きな食べ物は。」
「ない。」
「嫌いな食べ物。」
「ない。」
「好きな音楽。」
「ない。」
「嫌いな音楽。」
「ない。」
いくつか質問をしても答えはきまって同じだった。
「んもう!つまらないわね!本当にないの。」
「うん。分からない。」
「へえ。じゃあ、これからは私が感情というものを教えてあげる!」
「いらない。」
「どうして。」
「感情は面倒だとマスターは言った。」
「あら、そんなことないわよ。ロアは昨日私の紅茶飲んで、嫌な気しなかったでしょう?」
ロアは一瞬戸惑いこくんとうなずく。
「ソレが美味しいなのよ!確かに感情は面倒よ。嫌いって気持ちは私にもあるしもやもやする時もあるんだけど楽しいって気持ちを知らないのは損よ!」
「損…。」
「そう、年中無表情だと楽しいはやってこないのよ。笑う。ソレが人生楽しむコツって最近気がついたの。」
リリーは話しながらロアの頬を上下に動かし遊んでいる。
「ほら、笑う!」
そういったと同時に口角をぎゅうとあげる。その顔をみてリリーはぷっと噴き出してしまった。
「ふふあははっは!面白い顔!」
ロアは無表情のままだが、顔を横にそらした。リリーはその様子を見逃さなかった。
「ああ、ごめん。怒ったかな。ロアの顔がおかしくて。」
「僕には感情がない。だから怒らない。」
「あら、誰にも感情はあるのよ。ロアは身体で感じてるけど心では感じたくないって思ってるのよ、さっきほら、顔をプイってしたでしょう。怒ってる証拠!ごめんねロア。」
リリーはロアの頭を優しく撫でる。真っ白なその髪は雪のようにふわふわとしていていつまでも触っていたいくらいに気持ちよかった。
「ああ、ごめんなさい。触りすぎね。」
「いい。大丈夫。」
その一言がなんだか、リリーの侵入をゆるしたように思えて満面の笑みでロアの横に座った。
「じゃあ、ロア私の話を聞いて。きっと面白いから。」
「うん…。」
「あのね、私、こう見えても目悪いのね。今はコンタクトしてるんだけど、この前学校にコンタクトしていくの忘れちゃって。それでね、なんか話し合いがあったのよ、でも良く見えなくて…なあんか返事がないなって思ったの!私何に話してたと思う。」
「…さあ。」
「ロッカーよ!私、ロッカーに話しかけてたのよずっと!なあんかくすくす聞こえるなっておもったのよ!」
リリーはそのままロアのほうへ向き直った。
「ね!面白い?」
目をキラキラと輝かせるリリーにロアは少しだけ微笑んだような気がした。
「ねえ、今笑った?」
「さあ。」
「笑った。絶対笑った。」
「笑ってない。ただ、」
「ただ…。」
「一人で楽しそうだなって。」
「まあ、酷いそれじゃ私がバカみたいじゃない。」
「そうだね。」
「あら、失礼しちゃう。」
とても穏やかな空気が流れた。リリーは笑い、ロアは無表情だが、何かが変わった。そう感じたのはリリーだけじゃなくロアもそうかすかに感じていた。
「それにしても…人形の数もすごいけど本も相当ね。」
辺りにはたくさんの人形とその奥には本棚につめられた本がたくさんあった。その中にはいくつか見覚えのある絵本がいくつかあった。きっとここは叔父い様が使っていた書庫なのだろう。
「ロアはここが好きなのね。」
「好きか、分からないけど落ち着く。」
「それは好きっていうのよ。」
「……。」
「ふふっねえ、ロアは本を読むの。」
「うん。この部屋にあるのは全部。」
「まあ!すごい。」
「マスターに暇なら読めって。」
「そう…。ねえ、どの本が気に入ったの。」
ロアは虚空を見つめそうして首をかしげた、その様子がなんだかかわいらしく思えた。
「分からない。でも、もっと分からない本がある。」
「なあに。」
そういうとロアすくっと立って後ろにある本棚の真ん中らへんに手を伸ばす。本棚は天井まであってはしごがかかっている。その本はどうやら、ロアが少し背伸びして取れる位置においてあるようで、爪先立ちで、その本を取り、リリーに見せた。
「これ。」
その本を見たとき。リリーはロアが分からないといった理由が瞬時に分かった。
「ああ、この本ね。」
タイトルには『寂しがり屋の人形』と書かれてある。中をひらくと絵だけの頁があった。
「この本。文字がない。」
「なつかしいな、それ。それはね、絵だけの絵本で、物語は口頭で語り継がれてるの。聞いてみるね。」
ロアは何も言わずにリリーの目の前に移動しちょこんとすわる。リリーはふうっと一息ついて物語を始めた。
『あるところに寂しがりやのお人形がいました。そのお人形は寂しい気持ちしか知りませんでした。あるとき、ある一人の少女がそのお人形を見つけました。少女は大変その人形を気に入り、人形と少女はいつも一緒でした。お人形も少女のことが大好きになり、いろんな感情を覚えました。楽しいや笑う、嬉しいや、喜び。いろんなことを覚えました。しかし人形は「涙」を知りませんでした。それは、二人の時間がとっても楽しかったからです。いつも笑っていました。しかし、あるとき少女は悲しそうに目から大粒の水をぽたぽたと落としていました。次の瞬間、彼女が人形を持つと・・『ボキ』異様な音がしたのです。人形が壊れる音です。少女は人形を床にたたきつけました。人形は何が起こったか分かりませんでした。それでも、彼女は悲しそうにぼろぼろと大粒の水を人形に落としました。そうして人形はソレが涙だと気づいたのです。人形はその瞬間、ボロボロとなき始めました。しかし笑いながらなくのでした。笑いながら、涙をボロボロと流して最後まで泣き止みませんでした。おしまい。』
ロアは黙ったまま何も話さない。
「ロア…?」
「分からない。」
「え。」
「その人形。泣いてるのに笑うの?泣くは悲しい。」
リリーは酷く幼く見えるロアを見てなんだか抱きしめたい気持ちになって軽く抱きしめた。
「何…。」
「んーなんだかロアが可愛くて。」
何も知らないまっさらなロアが赤子のように思え、その赤子が成長してゆくようでなんだか母親の気持ちになった。
「泣いてるんだけどね。でもその人形はどうしようもなく女の子の笑顔を見たかったの。だから、悲しくても笑うんだよ。」
「分からない。」
「そっか。きっとこれから。分かるよ。私もねずうっと分からなかった。その女の子が許せなかった。でも最近分かったの女の子の気持ちも。」
「……。」
「女の子はきっと後悔してる。後から気づいたのよ。自分の壊したソレがどんなに大切だったかを。」
「人間は難しいね。本を読んでも分からない。」
「だから面白いんじゃない!」
リリーは立ち上がり、ロアはリリーを見上げた。照明のせいかリリーがまぶしく見えた。ロアには到底リリーの考えてる事が分からない。しかし。分かってみたい。そう感じたのだ。そう、これがマリオネットの初めてのキモチなのだ―
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