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1 ぼく(カナン)
【 シャングラー渓谷 午後 】
落ちる。落ちる。落ちていく。
ぼくの目は、はるか上に広がる青空を追う。それからぼくはしずかに目を閉じた。まもなくそこにくる「死」を待つために。ぼくは少し笑ったかもしれない。逃げて逃げてここまで来たけど、けっきょくこんな終わり方だ。でもぼくにはふさわしいのかも。だれも知らない死。だれにも見てもらえない死。だれにも。こんなとんでもない山の中で。
不注意に足をのせた石は、ぼくの体重を支えなかった。それはくずれた。そしてぼくは落ちた。ははは、まるっきりバカみたい。というか、バカだ、ぼく。ぼくはまだ落ちている。落ちつづけている。谷底の岩場はたぶん、もう、すぐそこに――
だけど。
さいごの瞬間はこない。
こない。まだこない。
バサ、バサ、バサ、
妙な音が耳につく。羽音、なのだと思う。
うっすらと目を開ける。
「うわわわわっ」
た、高い。
ずっとずっと下に、緑の渓流が見える。
ぼくはまだそうとうな高さにいる。
しかし、落ちてはいない。
なぜだか静止している。なぜだ? どういうこと?
「アブナカッタナ、ニンゲン」
声。
顔を上げると、そこには鳥。
そう、おそらく鳥なのだろう。
しかし大きい。翼の長さだけでもぼくの二倍はかるくある。いや、三倍?
あざやかな赤の翼を大きく広げ、鳥は滑空している。ほとんど羽根を動かさずに。二つの巨大なカギ爪で、ぼくの体を軽々とぶらさげて。するどい紅玉のような目で、ぼくをじろりとねめつけながら。
「えっと、あの、」
ぼくは必死になって言葉をさがす。
「これは夢? それとも死んだの、ぼく? キミは冥界の鳥とか、何かそういうヒト?」
「シンデハ、イナイ。ワタシガ、ヒロッタ。スコシオソケレバ、シンデイタナ」
「たすけてくれた?」
「ソウダ。ヒトマズハ」
「ひとまず? なにそれ、どういうこと?」
鳥はだけどぼくの質問はかるく無視して、渓流の奥へと、羽ばたいてゆく。風がぼくの服をはためかせる。はるか下には巨大な岩場、河、そしてまた岩場、そして森。
「あのー、もうそろそろ、どこかに、」
おろしてくれても良いのでは?
そう言いたかったけど、ゆれがひどくて舌をかみそうだ。
「おーいおーい、あのー、鳥のヒト?」
「ナンダ?」
「いまぼくらは、どこに向かっているのだろう?」
「エーナッド、トリデ」
「トリデ?」
「ソウダ」
「えっと、そこは何? そこに何があるの?」
「イケバワカル」
「あ、まあ、そうですね。そりゃそうだ」
ぼくは鳥との会話をあきらめる。そのトリデとかいう場所が何かは知らないけれども。とりあえずそこに行くしかない。ほかにどうしようもない。まったくこれは運まかせ、風まかせ。いや、鳥まかせ、か。
だけどぼく、ほんとに死んでない?
これってやっぱり、死にゆくバカなぼくの幻想じゃないか? このデカい赤い鳥とか。とても現実とは思えないけど――
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