空籾の嘲笑

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 約束したぞ。  よし、では山多村でなにが起きたのか…なぜ、空籾ばかりが実る地になってしまったのかを話すとしよう。  改めて…俺は佐吉(さきち)という。あのころの俺はだいたい十二歳ぐらいだったかな。  山多村はここよりずうっと北の方にある――アンタに隠しても仕方がないな――遠野藩(とおのはん)という国の山沿いにあった村だ。あの辺りはどこも年中冷え冷えとした空気に包まれていて、冬は見上げるような雪に埋もれ、夏でも肌寒い。  そんなものだから、どこの田んぼも米の収穫高は知れていた。汗水たらして稲の世話をしても、半分は空籾になる。空籾ってのは、米の実っていない籾のことだ。籾はわかるか? 稲に連なっている実のことだよ。  まあ、どんなに穫れ高が低くても年貢は治めないといけない。ただ、遠野藩は銀鉱山を領地内にもっていて比較的裕福だったから、上の連中にも余裕があった。なもんで、ある大冷害の年なんかは年貢の一部免除がされたりもした。当時はうちの村はもちろんのこと、国全体で結構な数の餓死者もでたはずだ。もっともそれは特例中の特例で…そうでなくとも俺たちはいつも飢えていたがなぁ。  俺は田んぼが嫌いだった。親兄弟がどんなに苦労して働いても、収穫の時には肩を落としている。今年はこれだけ採れた、来年はどれだけ採れるか。いつもそんな会話を戦々恐々としていた。  それと、怖くもあった。子供心になぁ…あの黄金の稲穂が田んぼ一面で(こうべ)を垂れて揺れる様が、まるで「おいで、おいで」と誘う無数の手のように思えたんだ。村では空籾の中には化物が潜んでいて、その化物が他のちゃんと実った米を食っちまうんだなんて言われてもいた。だから、ここらでは空籾が多いんだとも。  だから俺は日中、山の中に入っていることが多かった。さぼっていたわけじゃない、山でもそれなりに食えるものが採れる。あの土地では山菜摘みも大事な仕事だったのさ。…だから俺があの男をみつけちまったんだけど。  山多村は国境近くの村でもあった。山向こうは扇田藩(おうたはん)という他国の領土で、すぐそこには墺村(おうむら)という村がある。扇田藩は遠野藩と違ってこれといった特産品もなく、財政は苦しかったらしい。その皴寄せは藩民に向かっていたってんで、数年前までは墺村からよく人が逃げてきて、国境を越えてこちらの山に隠れていることがあったんだ。それと例の大冷害の年なんかは、墺村で村人の過半数が犠牲になったって話だ。国境で隔てられているとはいえ、隣村だからな。そういう話は旅商人なんかを介して聞こえてくる。  山の中でその男を見つけたとき、俺はすぐにわかったよ。見知らぬ顔に、なにかでべっとり汚れた服…山道を必死に走ったのだろう傷だらけの足。こりゃあ、向こうの土地から逃げてきた百姓だなって。本来、百姓が住んでいた村も田畑も放り出して逃げだすってのは、お上から任された役目を投げるだけでなく、先祖代々守り続けてきた土地を捨てることでもあってなぁ。それは身を切るよりも辛く、とても覚悟のいることなんだ。  ちなみに扇田藩と遠野藩は仲が悪い。とくに扇田藩は裕福な遠野藩を妬んで普段から難癖をつけることが多くてなぁ…逃げた村人がこっちに流れ込んできたとわかると、自国の民を誘拐したとかなんとか言って、国境も無視して兵を送り込んでくる。でもってその兵たちがうちの村を荒らして作物を盗ってもいくもんだから、大人たちは墺村から逃げてきた者がいないか、いつも気をはっていた。  そんなやつを見つけたら、俺たち子供はすぐ村の大人に報告することになっている。そうしたら大人たちが土地を治める庄屋様なり、役人に通報する。  このときの俺も、当たり前のようにそうしたのさ。  数年ぶりの墺村の人間だってんで、大人たちは渋い顔を見合わせていたが、すぐに気絶した男を村に運び込んで、集会場に寝かしてやった。寝ている間の世話と治療は、男を見つけた俺が村長から命じられたよ。ある大人は男が着ていた服の汚れを見て言った。「こりゃあ血じゃないか」って。今思えば、その時点でなあなあにしなければよかったんだ。だが男の素性よりもまず、隣国が攻めてくることのほうが、俺たちには恐ろしかったんだよ。  ――ん、なぜわざわざ介抱するのかって?   死なれたら困るのさ。でないと俺たちが殺したんだと、これまた難癖の理由にされる。生きたまま、穏便に向こうに引き渡す必要があった。向こうに返されたあとのことは、俺たちは知らない。まあ、十中八九殺されるんだろうがな。  件の男は丸一日眠り続けて、二日目には目を覚ました。その頃には庄屋様から明日には城からの役人が村につくと連絡が来ていて、俺の役目はそれまでこの男に現状を不審に思わせず、かつ逃げないよう見張ることだった。  そうして目を覚ました男は、俺が渡した粥を見て「ここでは普通の米が食えるのか」とかなり驚いていた。穫れる米の半分は空籾だと教えてやれば、十分だと男は言った。墺村は日中も山の影に入っていて、日の光があまり当たらないんだと。まともな稲も、三分の一育てばいいほうだとな。まして最近は…。  男は山多村のことを知りたがった。羨ましい、羨ましいとそいつは繰り返したんだ。俺も当時はガキだったもんで、つい得意になっちまったのさ。俺たちはずっと貧しくて惨めだと思っていたから、すぐ隣にもっと不幸な村があると知って…うん、あれはきっと優越感だったんだなぁ。  大冷害の年には年貢の免除がされたことを話したとき、男は心から驚嘆の声をあげたよ。俺はさらにいい気になった。そのせいで村と藩を称賛する男の目が、一方で暗く淀んでいくことに…気が付いていなかったのさ。  さらに翌日、役人が来る前に村長も男の様子を見に集会場にやって来た。そこで改めて男の素性を問い質したのは…村長として、血のついた男の服が気になっていたからだろう。男はあっさりと、自分が墺村の人間だと認めた。
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