空籾の嘲笑

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 そうして気が付いたら与一はこの村で目が覚めたのだと、俺や村長に説明した。  いったいどうやって国境を抜けて、遠野藩に入り込んだのかは思い出せないらしい。与一の話を聞いた村長の顔は真っ青になった。俺の顔も似たようなもんだろう。男の服の血痕は、墺村の惨状の時についたものだろうか。男の話は本当なのか。疑問と恐怖がないまぜになる感覚ってのを、あのとき初めて知ったよ。  ふと、この山多村で謂われる話を俺は思い出した。空籾には化物が宿るというあれだな。  墺村の稲は殆どが空籾だった。豊作の年に実る、赤い米。きっと、その赤い米は本来空籾であるはずの稲に実ったのだ。空っぽの、中身がない籾。そこに、村人たちの怨嗟、殺された役人たちの無念が宿ってのではないか。そしてそれが年々土地を穢し、正常な白い米は減っていく。  全部話し終えた与一は、うっすらと笑っていた。それが気味悪く見えて、遠野藩の役人がやってきたときは心から安心した。与一は役人に連れられて、抵抗なく集会所の外に出た。と、思ったら突然道中で暴れ出したのさ。そうしてなにごとかと集まってきた山多村の住民が見つめる中で、与一は役人に襲い掛かったんだ。相手は武家だ、かなうはずもない。与一はあっさりその場で斬り殺された。迸った絶叫が、俺にはむしろ哄笑に聞こえたよ。  そして…ああ、やつの体は崩れた。  比喩じゃない、本当に、ざらぁっと…崩れ落ちたんだ。与一の着ていた服だけを残して、その体が無数の…茶色くて小さな粒みたいなものに変わったんだ。ああ、それは籾だったんだ。  言葉を失った俺たちの前で、風が吹いた。  知ってるかい、“空籾”はなぁ、中身がないから軽いんだ。あっという間に巻き上げられて、そうして村中に降り注いだ。山菜採りの山や、村の田んぼにもまんべんなく。  ――その年、稲穂には一つも米が実らなかった。全部空籾だ。次の年も、その次の年も。役人たちは俺たちが稲作業をさぼっているのだと決めつけた。いくら財政に余裕のある藩でも、そんな村を放置しちゃあくれない。俺たちは役人に捕まる前にと、村人全員で逃げた…山多村から逃散したのさ。
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