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自分の物は自分の物人の物も自分の物
密着した背中で擦れているのは氷上の着ていたブルーのコットンシャツだと思う。
カリカリで透けてて……しかも男という三重苦の裸なんか見たい訳では無いから、必ずしも脱がなくてもいいのだが、こっちはこっちで片袖だけだがジャケットを着たままでシャツはグシャグシャ、インナーは捲り上がって脇の下に溜まっている。下半身だけというのは如何にも即物的でスッキリする為だけにガッツいた跡みたいだ。
「………この所はずっと……知らん顔をしていた癖に……急に何ですか」
「知らん顔なんかしてない」と氷上は反論するがそういう意味じゃ無いのだ。
初めは変な人だと呆れた。
知ってみると、やっぱり変な人だったが尊敬できる所を見つけて見直した。
その後、関わってはいけない人種だと思い知ったのに、なあなあで元に戻ってまた大っ嫌いになった。
体を重ねてからも上がったり下がったりと忙しかったのだが、一緒にいたいと強く思ってからは気紛れに寄り添ってくる美しい三日月が隣にいてくれるだけで満足しているつもりだった。
その方がいいと自分を説得していた面もある。
氷上は素っ気ない癖に時々ベタと言えるくらい甘い事を言ったりしたりする。
それは嬉しいのか悲しいのか恥ずかしいのか自分でもわからないが、酷く冷静に見えるのだ。
口先では独占欲を語り、目線は他所を向いている。そんなイメージだった。
だからという訳では無いが、ちょっとだけ、本当にちょっとだけだが、もしかしてただの友人になってしまったのかと不安になっていた。
「もう……いいのかと…」
「何が?」と耳を齧られた。
そんな所だと言いたいのだが、ヘトヘトのヘロヘロだったから頭が回ってないからか、危うくおかしな事を言いそうになってる。
「……いや…何でもないです」
「何だよウダウダと面倒な奴だな」
「言えったら言え」と戯れ作る元気がある「上」な人はいいが、こっちはもう動けないのである、甘噛みだった耳たぶがギューっと引っ張られて裏返された亀のようにバタバタともがいた。
「痛いって!ちょっと!」
「ネチネチすんなよ」
「してないですよ!氷上さん!痛いって」
「じゃあほじくる」と言われてギクッとしたが、「ほじくられた」のは耳だった。
生暖かい舌先が思わぬ程の深部まで侵入してくる。耳を舐めた事はあるが舐められるのは初めてだった。
「氷上さん…あ…」
ブルッと背中が震えた。
軽い前戯だと思っていたのに間近でグチュグチュと間近で聞こえる湿った音は犯されているという感覚そのものだ。
もうクタクタなのに「上がって」来るような気がする。
「氷上さん…もう無理です…から…」
「何?…言えよ…」
「何でも無いですよ、ただ……セックスはもう要らないのかなって………思ってただけです…」
「へ?」と抜けた声を聞くと恥ずかしさが込み上げて来る。
よく言えたと思う。
氷上の事だから「セックスは別の奴とするからいい」なんてサラリと言われそうで、そこがモヤモヤの原因なのだが、無いことも無いのだ。
「……誰でもいいとか言うし…実際誰でも良かったみたいだし…」
どう見ても仲が良いとは思えない瓢真とだって寝ていた。カタログ部の派遣とだって親睦を深める程の濃密な接点があったとは思えない。
「ご飯を食べたら……じゃあなって言うし」
「だってお前が泣くだろ」
「はい?……」
「ふう」っと困ったような溜息を付いて氷上が体を起こした。氷上が何を言いたいのかいまいちよくわからないから軽くなった背中を持ち上げようとすると「お前は寝てろ」と頭を押さえられる。
「だって顔が見たいです」
「俺は見られたく無い」
「どうしたんですか?後ろめたいとか?」
「……煩えな」
「…まあ…いいですけど」
見られたく無いなら見ないけど、そんな事を氷上が言うのは初めてだったから少し驚いていた。ほぼ初めてコミュニケーションを取ったばかりの同僚が相手でも平気でパンツを脱ぐ人なのだ。
「泣くからって?どう言う事ですか?」
「泣いただろ、だからやり過ぎたのかなって…」
「泣いたってか…………それ……嘘でしょ」
「嘘じゃねえよ…昔な、どういう経緯か忘れたけどうちの庭に同級生が何人か遊びに来てたんだ」
何の話に飛んだのかわからないから「はあ」と間抜けな返事をするとフフッと優しい笑い声が聞こえた。
セックスの時に聞く酷薄なイメージの笑い声とは随分違う。
「幾つくらいの時ですか?」
「多分小学生の時、男も女もいたけど何人かは覚えてない」
「それで?」
「うん……別に仲が良かった訳じゃ無いから名前も覚えてないけどな、背のちっこい女がさ草を結んだ罠に引っ掛かって派手に転んだんだ、だから見に行って…」
「助けたんですか?」
「いや、膝を酷く擦りむいてて石とか砂が傷口に入り込んでるから痛そうでな」
「うん」
「痛そうって言ったら、兄貴と爺さんに「違うだろ!」ってめちゃくちゃ怒られた」
「はあ……」
何の話だと思ったら……何の話だろう…。
「えと……だから?」
「お前は人の身になる事を学べってさ、「これだから甘やかし過ぎの一人っ子は」って怒るんだぜ、兄貴も実質は一人っ子なのにな」
「だから?俺が泣いたから?」
「急ぎ過ぎだったかなって反省したんだけどな、お前が煽るから我慢すんのはやめた」
「……煽ってないです」
「いいからほら、風呂に行くぞ」
そう言ってさっさと立って風呂場に行こうとする所を見ると学んで無い。
しかし、すぐに気が付いたらしい、起きあがろうとジタバタしている所に手を貸してくれたから微々たる成長はしているらしい。
塔矢くんのお兄さん、彼はそれなりに頑張っているようです。
どんな人でもそれなりに成長するものなのだから、朝の挨拶くらいは出来るように躾を強化してみようなどと考えながらシャワーを浴びた。
しかし、幼い子供時代の思い出話にすっかり和んでいたから気持ちよく眠れそうだと思っていたのに、氷上は氷上だ。学んではいるが反省は出来てない。
ベッドに入って枕を慣らしていると、耳元で囁かれた「もう一回」とは何だ。
やると言うならやるけど「やる」の意味合いはやっぱり…どう考えても反対だと思う。
流されるままに応じてしまったのは何か大事な物が壊れたからだと思う。
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