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頑張る
4月。清々しくも新しい季節。
「……ん……さむっ……」
俺は少しの肌寒さに目を覚まし、身体を起こした。
ふかふかの布団は相変わらず寝心地が良くて、今日が何もない1日ならば迷わず二度寝していたというのに。
……それにしても、今日も良い匂いだ。
寝室の外から漂ってくる食欲をそそる匂いに、俺はのそっとベッドを抜け出す。そして静かに歩いては、扉を少し開けてキッチンの方を覗く。
いた。今日も朝早いんだな。……ていうか、やっぱり何度見てもカッコいい。
キッチンで朝の支度をしていたのは、明るい茶髪で、少し長めの前髪で、耳には複数のピアスを付けている、俺のイケメン彼氏である。
料理をしている姿も絵になるから、俺はそのまま見惚れてしまっていたのだが……ふと、彼が顔を上げては盗み見をしていた俺を見付け、微笑んでいつものように声を掛けてくれる。
「おはよ、晴弘さん」
「ん……おはよう伊織」
「顔洗って来たら?もう飯も出来るし」
「うん、そうするよ。ありがとう」
俺は言われるがまま部屋を出て、洗面所へと向かう。そこで顔を洗おうと、出した水に両手を指し伸ばしたところで一度手を止めた。
薬指にはめられた指輪が目に止まり、思わず頬が緩んでしまう。
好きな人と、伊織とお揃いの指輪。彼はバイト代で買った安物だって言ってたけど、俺にとってはどんな物よりも価値のある宝物だ。
そうやって1人ニヨニヨしていると、リビングの方で晴弘さーんと呼ぶ声がする。
俺はその声にハッとして、慌てて顔を洗うとパジャマのまま飛び出したのだった。
「わ、悪い……寝起きでまだ頭がボーッとしててさ」
洗面が遅かった理由を尋ねられたので、俺は椅子に座りながら適当な理由を口にした。
テーブルには既に朝食が並べられている。俺の好きな焼き鮭に、毎朝違う具の味噌汁、それとだし巻き卵だ。
そんなザ・日本の朝と言うべき光景に今日も幸福を感じながら、俺はいただきまーすと早速箸を動かす。
軽く後片付けを済ませた伊織もすぐに合流しては、俺の言い訳にクスリと笑っていた。
「……やっぱりまだ眠い?昨日、遅くまでシてたもんね」
「ぐふっ」
思わず味噌汁を吹きそうになり、俺は赤くなりながらも余裕顔の伊織を軽く睨んだ。でも、肝心の彼はニヤニヤと俺をからかい楽しんでいるようでもある。
伊織と同棲を始めてまだ1週間ちょっと。恋人と一緒に居たいが為に俺は仕事を辞め、こっちに戻って来てしまった。世間はそんな俺を考え無しのバカだなんて言うけれど、俺が幸せなんだから知ったこっちゃない。養う家族もいなければ、この先もずっと彼と一緒に居ると決めているのだ。一時期仕事が無くたって、なんとかなるはず。
俺は改めて食事をしながら、目の前に座る伊織に話し掛けた。
「て言うか、伊織は?学校って明日からだろ」
「ん、今日はこの後、学校のヤツに課題の事で呼び出されてるから、行ってくる」
「そっか」
「うん。晴弘さんは午後から面接だっけ?」
そう返されて、俺も「そうなんだよぉ」と気怠げに口にした。
実は実家に戻っていた時、地元で仲の良かった同級生が最近こっちで会社を起ち上げたという情報を入手していたのだ。それで懐かしさもあってその同級生に電話をしたのだが、色々話しをしていたところ、ウチの会社に来ないか?と突然スカウトを受けたのだ。しかし、その時はまだ伊織が来る前だったから、前の会社を辞めるつもりは無くて断っていたのだが……。
そんな話しもあったから、俺は伊織から離れたく無いが為に潔く仕事を辞められたのだ。こんな不純な動機で退職したなんてあまり大きな声では言えないが、後悔はしていないから別に良い。
でもなぁ、と、考える事もある。
その仲の良かった同級生の会社、なんかものすごく難しそうな事をやっているようなのだ。それが俺に務まるのか不安だったから、あまり面接には乗り気じゃないんだけど……。
俺はため息を吐き、伊織ぃ、とわざとらしく泣きマネをする。
「面接めんどくさい……落ちたらどうしよう……」
本当はこんな弱音、年下の恋人に聞かせるのはかっこ悪いと分かってる。それでも不安に思ってる事を口に出して伝えれば、伊織はちゃんと俺を慰めてくれるのだ。
「そんな事言うなって。大人なんだから、頑張って仕事しなきゃだろ」
「そーだけどさぁ」
ぅう……あと一声欲しい。
上目遣いに彼を見つめると、伊織は小さく息を吐いては分かったよ、と俺の欲しかった言葉をくれるのだ。
「……じゃあ、アンタが面接受かったら、夕飯は好きなもん作ってやるよ。だから弱気になんねぇで頑張れ」
「……うん。分かった。頑張る」
2回目の頑張れという言葉に、俺は元気付けられて僅かに照れ笑いをする。
伊織に励まされるのは嬉しい。だから、たまにわざと甘えたくなるのだ。
俺は「伊織」と名前を呼んで、彼が顔を上げた後にニッコリと笑ってはお礼を口にする。
「ありがとうな。やる気出た」
「ん、なら良かった」
「あと、面接受かったらさ……一緒にお酒飲もう」
「……………」
それは、最近覚えた俺からの誘い文句。
伊織はその発言に眉をピクリと動かすと、ボソリと「……ケースで買って来て下さい」と頬を染めながら言うのだった。
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