新しい事

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新しい事

 4月も半ば。ようやく仕事にも慣れ、社長室もほとんど片付けが済んでいた。あんなにあった資料の束もファイリングしたりパソコンにデータとして保存したり……元営業マンだった俺にとっては少し骨の折れる作業だったけれど、新しい事に挑戦するのは幾つになっても新鮮で楽しい。  今日もお昼は弁当を食べようと目の前のパソコンを少しずらしていると、社長机に座っていた裕司が突然ニヤニヤしながら話し掛けて来る。 「晴弘!今日も手作り弁当か?」 「まぁ……そーだけど?」 「ふっふっふっ……実は今日は俺も、手作り弁当なのだぁ!」  そう言いながら、自慢げに弁当の包みを掲げて見せるのだ。 「おぅ……自分で作ったの?」  キョトンとして尋ねれば、違う違う!と彼は首を横に振る。 「実はさぁ、俺にもやっと春がやって来たんだよ!そう!彼女ができました!」 「おお、それはおめでとう」 「うんうん!で、ゆくゆくは同棲したいからさ、彼女がお試しで1週間ウチに泊まるんだよ!だから俺も弁当作ってもらったって訳!」  いやぁ、もう今夜家に帰るのが楽しみで楽しみで、と、まだあと半日も仕事が残ってるのに、裕司は呑気にそんな事を言っていた。だけど俺もその気持ちは分かるから、あえて苦笑いで返す。  裕司は小さい頃からガキ大将みたいなところがあって、男友達には結構慕われていた。しかし、女子にはめっぽう弱くて好きな人ができても告白が上手く行かない事が多く、俺の知る限りでは告白も連敗続きだったようだが……。  彼は本当に嬉しそうな笑みを浮かべながら弁当箱を開け、すげぇ!美味そう!とはしゃいでいる。  そんな上司であり友である裕司を微笑ましく見守りながら、俺も弁当を開けては箸を持ち、賑やかな休憩時間を過ごしたのだった。 「じゃーなぁ晴弘!また明日!」 「おう、また明日!」  会社の最寄り駅付近で裕司と別れ、俺は電車に乗る。ちょうど帰宅ラッシュに重なるこの時間帯は、俺と同じように会社で1日頑張って働いたおっさん達と車内ですし詰めになるという地獄の時間だ。でも、これに乗らないと伊織の待つ家には帰れないので我慢するしかない。  俺は気合いを入れると、ホームに滑り込んで来た電車に人の波となって乗り込んだ。すぐに乗り換えなのであまりドアから離れないようにして、俺はカバンを抱きしめながらなんとか隅っこの方をキープする。  ……くそ。周りに居るの、俺より背高い野郎ばかりじゃん。皆なに食ったらそんなにデカくなるんだよ。  こういう時、自分の身長の低さが目立って嫌になる。普段はそんなに気にならない身長だが、自分の顔を鏡で見るのに少し似ていて、目で見えて体感してしまえばそれは一気にコンプレックスとなってしまうのだ。  動き出す電車の中で、俺は気を紛らわす為にも外の風景を見ながらぼんやりと伊織の事を考えていた。  あの夜に初めて彼のモノをこの口に咥え、気持ちいいと言ってもらい……これからも触って、なんてお願いされたら、次は何をしてあげようかと考えてしまう。  ……伊織の誕生日って、来月だよな。その時になんかしてあげたいんだけど……。  そんな風に一生懸命に知恵を捻っていると、不意に車内アナウンスが流れる。しかし、周囲を俺より背の高い人達に囲まれていたからよく聞き取る事が出来ずに、恐らくは揺れに注意して下さいとかそんなのだったはずだ。いつもより人が乗っていたのか、揺れも大きく感じられ人の壁が押し寄せて来る。  ひぇ!潰される!  そう思った瞬間、目の前を阻むようにダン!と壁に手を着く人がいた。俺はその音にビックリして顔を上げると、スーツを着た若い男と目が合う。 「あ……す、すみません……」 「い、いえ……お気になさらず……」  お互いに気まずそうな顔で、小さな声でそれだけのやり取りをしすぐに顔を反らした。こんなところで見ず知らずの人に絡まれたくはないから、俺の防衛反応がそうさせるのだ。  ……はぁ、助けて伊織……。こんなギュウギュウな車内で潰れたくない……。  俺はまたすぐに窓の外を見つめては、心の中で助けを求める。でも、満員電車が苦手な伊織ともしこんな状態に2人で居たら……すぐに電車を降りて、近くのホテルにでも泊まって、始発の誰も居ないような時間帯に帰りましょうと彼は言うに違いない。勿論相手が伊織ならそれで問題無いが、ここには俺だけだ。何としてでも家に帰り着かねば。  途中電車を乗り換えると、少しは人もまばらになりホッとひと息つく。  ……後は最寄りまで乗ってればいいから、とりあえずは安心か。  俺はまたドアの側に陣取って、カバンを胸に抱えながら車窓の外を眺める。 「……………」  ビルやら店の看板が明るく目立っていた街からは段々と遠ざかり、見えて来るのは灯りがまばらに見えるちょっと廃れた街の影のみ。それでもつい最近まで九州の実家に居た俺からしてみれば、ここも立派な発展都市である。俺がこっちに来るまで電車なんて滅多に乗らなかったし、夜中でもカーテンの閉めきった部屋に人工の灯りが入って来れるなんて知らなかったから。  ……俺の知らない事がこの世の中にはまだまだ沢山あるんだよな。伊織の事もそれと同じで、知らない部分があるからこそもっと知りたいって思ってしまう。  来月の彼の誕生日は、いつもより沢山会話が出来るような環境を作ってみようとひっそりと考えていた。
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