幸せな気分

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幸せな気分

 俺が家に居ても、伊織のバイトが無くなる訳では無い。  面接が終わり、ビールを買って家に帰ると伊織がちょうど出掛けるようで玄関で鉢合わせした。 「あ、おかえりなさい晴弘さん」 「あれ?もうバイトの時間?」 「今日はちょっと早め。明日から学校始まるし、早く帰りたいから」 「そっか」  ……伊織はバイトか。まぁ、分かってた事だけど、ちょっと寂しいな。  せっかく一緒に暮らせるようになったのに、俺が無職で暇なもんだから、前より1人で居る時間が多いような気がしていた。だから今日は面接受かった記念と浮かれて、約束通りビールを買って来たんだけど……(まぁ、2本だけね)。  俺がしょんぼりとしてるのが伝わったのか、靴を履いた伊織が俺の方へ近付いて来ては、軽くポンと頭を撫でられた。 「拗ねんなよ。今日まで我慢して」 「?」 「バイトの時間、今店長に調整してもらってんの。俺も晴弘さんともっと一緒に居たいからさ……ね?」  そのまま後頭部に手がまわり、首を支えられながらチュッと柔らかいキスが降ってくる。  顔が離れると伊織は口元を緩めて「じゃあ、行ってきます」と、颯爽とした態度で玄関を出て行くのだ。  俺は少しの間その場で固まり、ジワジワと湧き上がって来る高揚感に顔を赤くしては自分の胸を押えた。  な、なんというナチュラルなキス……。やっぱ俺の恋人カッコいい。どうしよう。惚れる。 「いくらでも我慢するわ、マジで」  年甲斐もなく、年下彼氏のスマートな行動にキュンキュンとしてしまう。  この先こんな幸せが長く続いたら、俺は一体どうなってしまうのだろうか。ちゃんと生きてられるかな。心臓保つかな。 「はぁ……好きだ」  ボソリと呟いた俺は、伊織への気持ちを改めて再確認したのだった。  伊織がバイトから帰って来るのを待つつもりだったが、いつの間にかリビングのソファで眠っていたらしい。晴弘さん、と名前を呼ぶ声が聴こえて目を開けると、伊織が目の前にしゃがんで俺の顔を覗き込んでいた。 「晴弘さん、寝るならベッド行こう。ここじゃ風邪引くっすよ」 「ん……おかえり、伊織。今何時?」 「まだ9時だけど」  風呂から上がったばっかりか、彼の身体からは石鹸の香りが漂って来る。おまけにこの角度からはシャツの襟元が見え、色っぽい鎖骨が目について少しだけムラッとしてしまう。  俺は寝惚けながらも彼の方へ両腕を伸ばし、その首に抱き付いては甘えた。 「伊織ぃ、今日シない?時間あるし、1回だけでも……」 「えー、昨日あんなにシたじゃん。アンタどんだけエロいんだよ。そんなに溜まってんの?」 「違うし。俺はただ、お前に甘えたいだけだし」 「ははっ、なにそれ。晴弘さんってば可愛い」  腕の力を緩めれば、伊織が少し頭を上げキスをしてくれる。  それも、今度は濃厚で深いやつ。 「……ん、んぅ……はぅ、ぁ……っんん……っ」  舌が何度も絡まり、時折リップ音が響く。  俺がもっとして欲しいと抱き締める腕に力を込めれば、彼もそれに応えようと身を乗り出して来る。そのまま顔を両手で包み込まれてより深く喰まれると、すぐにトロンと瞼が下りて来た。  ……気持ち良い。なんかまた眠たくなって来た。  伊織に触れてもらえて安心したのか、唇が離れてからも眠気が引く様子が無くて伊織に笑われてしまう。 「なに?眠そうじゃん」 「ぅう……そんなことないし……」 「目閉じそうだし。今日はもう寝よう」 「……なんで?シねぇの?」 「シない。昨日もヤってんだし、あんま焦んなくていいから。どうせ毎日一緒に寝るんだしさ、たまにはゆっくり寝ようよ」  そう言うと、そのまま伊織に抱きかかえられて寝室へと運ばれてしまう。そして布団に入れられた後、彼だけが立ち去ろうとするのですかさず呼び止めた。 「伊織?一緒に寝ないのか?」 「ん、まだ明日の準備が終わってないから、先に寝てて。すぐ戻って来るし」  ごめんね、と俺の頬をひと撫でし、伊織はベッドを離れる。  1人取り残された俺は、だけど拗ねる訳でもなく嬉しさに口元を緩めるのだった。  伊織がやたらと俺に触ってくるのが可愛くて愛しくて、幸福な気持ちで満たされる。その温もりが今度からはいつも側にあるのだと思ったら、そりゃ誰だって嬉しいもんだ。  俺は枕に頭を預けながら、幸せな気分で目を閉じ、いつの間にか眠りについていた。
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